皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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小原庄助さん |
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平均点: 6.64点 | 書評数: 267件 |
No.4 | 6点 | カード師- 中村文則 | 2024/05/26 08:13 |
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物語の冒頭、主人公の「僕」に、ある謎の組織から「投資会社社長」を名乗る佐藤なる人物にアプローチせよとの要請が舞い込む。イカサマ占い師にして裏カジノのディーラーである「僕」に託された狙いは、内部破壊工作にあった。
物語の骨格をなすのは、佐藤と内部破壊工作を委ねられた「僕」の食うか食われるかの戦いである。物語は全五部から構成され、それぞれに魅力的なクライマックスが用意されている。第一部で、大きく目を瞠されるのは、殺害される前任者の最後の食事の場面だろう。食事の様子を子細に観察する「秘書」の語りのうちに、小説全体の主題が暗示される。「黙過」ないし、主の「僅かな加減」によって生かされている人間の生の不条理という主題。 第三部は、三章にわたって延々と描き継がれるポーカーシーンに圧倒される。この場面の秀逸さは、ゲーム展開の息も継がさぬドラマにあるが、参加者の一人の急死による唐突なお開きの場面で見せる作家の手さばきも注目に値する。 第四部、佐藤が「遺書」で示したのは、私たちが生きる世界の出来事が、いかに不条理な偶然に左右されてきたか、ということだ。その事実に決定的に傷ついた佐藤だが、その彼が「僕」に差し出した三つの「手記」には、通底する主題があった。それは、いずれも「僕」からポジティブに生きる希望を奪う「黙過」の記録と自らのペシミズムを癒そうとした。その佐藤の「遺書」が、戯画的ともいえる偶然の一致やメロドラマ的な要素にもかかわらず胸を打つのは、彼の運命論がまさに私たちの時代の標と化しつつあるからではないか。 |
No.3 | 6点 | 私の消滅- 中村文則 | 2022/10/18 07:31 |
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記憶は、個人の同一性と結びつく。それなら、記憶が操作され実際とは異なる記憶がはめ込まれたら、人は別人格を生きることになるのか。本書は、悪意と暴力、記憶と人格が描出する見えない線への挑戦だ。
サスペンス的な展開の中、精神分析や洗脳の歴史が盛り込まれる。日本社会で現実に起きた連続幼女殺害事件の犯人の心理が分析される。記憶と人格と人生が入り乱れて「私」とは誰か、という問いと謎を読者に突きつける。 吉見という精神分析医は、興味本位の悪意で人の心理を捜査する。悪の側面だけを過度に強調した、性格を描いて平面的にならないのは、幾重にも錯綜する要素によって、周到な手際でストーリーが構成されているからだ。悪意の連鎖と復讐劇が繰り広げられている。 これまでも作者は、さまざまな悪意、心の闇を作品化してきた。言葉によって形にすることで、始めて対峙でき、時には乗り越えられるというように。今生まれるべくして生まれた緊張感ある作品だ。 |
No.2 | 7点 | 悪と仮面のルール- 中村文則 | 2017/11/22 09:28 |
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人間の悪意とは何かを徹底的に問い詰めた小説。
私たちの身の回りにある小さないじめから、殺人、戦争による大量虐殺まであらゆる悪について、登場人物同士の対話を通し読者に問いかけている。これは、まさしく哲学小説である。 表層に流れているのは「邪」の家系に生まれた主人公の男が、父親の悪の継承者としての刻印を乗り越え、恋愛を貫き通して、邪の家系を断ち切ろうとする物語だ。 刑事、探偵、テログループなどが登場し、ミステリタッチで描かれ、悪の象徴である父親を殺す話は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」と呼応している。また登場人物による長い哲学論議は、埴谷雄高を想起させる。現代文学は哲学的な要素を欠く作品が多いが、前作「掏摸」に続いて悪の問題に固執する作者の姿勢に脱帽する。 「幸福」とは、苦しみや悲痛を持つ人間たちを無視し、飢えや貧困を無視した上に成り立つ、との忌むべき父親の言葉が妙にリアリティーを持つのは何故なのか。作者は、巻末で絶対悪に対して、愛の力や可能性を提示する。ドストエフスキーは「神」という概念でその愛を表現したが、現代を生きる私たちに果たして希望はあるのかと考えさせられた。 |
No.1 | 7点 | あなたが消えた夜に- 中村文則 | 2017/09/08 10:02 |
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いうまでもなく作者は芥川賞作家であるが、物語の中心に犯罪を置いて圧倒的な人間ドラマを作るため海外では犯罪小説の作家として読まれているらしい。
各種のミステリランキングをにぎわせた「去年の冬、きみと別れ」あたりから技巧にも磨きがかかり、ひねりやどんでん返しを効果的に採用するようになった。 本書も例外ではなく、第一部の最後に驚きの真相を用意し、第二部ではさらに別の地点へと読者を運び、第三部では手記を使ってさらなる混沌を生み出す。 警察捜査小説から犯罪小説、犯罪小説から宗教文学への接近をはかる。 とことん暴力的で退廃的で悲惨だ。悪に惹かれ、罪を犯し、精神を病む者たち。 殺人と自死の願望に引き裂かれながらも、不安と絶望と孤独のなかで、それでも必死に生きようとする。 このぎりぎりのところでの営為が胸を打つ。 ただし好き嫌いがはっきり分かれる作品であることは間違いない。 |