皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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クリスティ再読さん |
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平均点: 6.40点 | 書評数: 1378件 |
No.7 | 5点 | 真鍮の家- エラリイ・クイーン | 2017/02/04 12:28 |
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奇人の老大金持ちの「真鍮の家」に集められた6人の男女。それはこの老人の遺産600万ドルを誰に与えるか、を決めようとする試験だった...集められた男女の身元と選ばれた真の目的は?遺産はどこに隠されているか?老人を襲撃&殺害したのはだれか??
というわけで、プロットは「おっ」となるくらいにキャッチー。エラリイじゃなくて父親の警視(退職後)が、遺産のありかをめぐっていろいろアクティブに推理&駆け引きしていくのも、興味深く読める。エラリーみたいに名探偵の色が付きすぎているキャラっていうのは、意外にアクティブに動かしにくいものだから、これは好判断だと思う。というわけで、こりゃ「いい作品では?」と思わなくもない。けどね、一応のオチが付いたあと最終章で、家に戻るとエラリイがいて、安楽椅子で真相を推理、という仕掛けになっているんだけど....これがちょいと無理があったようだ。やはり「奇人の遺産はどこに?」ってテーマで「イズレイル・ガウの誉れ」を越えるのは難しい気がするなぁ。 (大したことではないですが少しバレます) 最後にエラリイがいろいろ解きあかすけど、面白い殺人の真相か、というとそうでもない(まあこれはよい)。本作は結構いろいろな謎があるんだけど、6人は老人の隠し子だったのか?それとも復讐対象だったのか?600万ドルの遺産はどこにいったのか?とかオチのうまくついていない要素が目立つようだ。 なので頑張って引っ張ったわりに、がっかり感を否定できない。「マルタの鷹」なら石膏の模型でもいいんだけどね。やはり「愚者の金」が「ほんものの金」に、「ほんものの金」が「真鍮」に転化するようなスペクタクルを期待してしまうのは、読者のさがというものだ... |
No.6 | 6点 | ギリシャ棺の秘密- エラリイ・クイーン | 2017/01/04 17:01 |
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本作は頂点であると同時に...袋小路への入り口な気がするな。国名シリーズ最長かつ最高との評の高い本作だけど、いわゆる後期クイーン的問題の前哨戦でもある。要するに「偽手がかりと手がかりの違いは何か?」ということだよね。だから本作も後期の作品同様に、一旦不本意な決着があって、さらなる真相が解明される、という二段構成になる。
(クイーンの厄介なところはどうしてもバレにつながる話をせざるを得ないところで...直接誰とか書かないけど、読むと推理の手掛かりになるバレ話です。) で...なんだけど、第一部の途中で示されるエラリーの推理だが、これが実はツッコミどころが結構ある。赤緑色盲は皆さんも散々ツッコんでるので評者は繰り返さない(真犯人の作為がないからよし)。で紅茶の出しがらの話だけど、これは見せかけの上で状況に合致しているのを、エラリーがひっくり返し、しかもそれが証言で再度ひっくり返させることになる。でしかもこれは、エラリー以外気にも留めない可能性の高い着目点(ハルキス非盲目説)でもあるから、何のためにやっているのかちょっと疑問に思うような「犯人の作為」なんだよね...でずっとこれが気になって読んでいたのだが、結局この線は「エラリーが飛び付くであろうように工夫した偽手がかり」にしかならない。なので本事件は、エラリーの存在をその前提に組み込んだ、名探偵ありきの犯罪、ということになってしまう...評者の趣味だと、こういうの、モダンじゃないな。 あと、ホテル訪問者の中で最後まで謎で残る人間が犯人だとしたら、結構対象者が狭まるとか、タイプライターの手がかりだけでなく絵の保管場所をどうやって見つけるか?という問題でノックス邸に出入りできた人物、ということになるので、意外に犯人当ては難しくない気がするんだよ(評者は犯人を何となく憶えてたから、公平じゃないけども、読んでて「犯人こいつに決まってるよね...」って印象)。 少なくともメカニカルなタイプライター自体がさほど普及したことがなく、しかも電子式のキーボードで置き換えられた日本で、どの程度納得のいく推理になるか疑問(そもそもそういうタイプライターがレアかさえ日本人は判らない)だとか、いろいろアラは多い。実際、ハルキス邸を舞台にする前半が小説的に退屈で、ノックスを中心とする後半の方が動きがあって面白いのは、リーの文章の好きな評者でも否定できない。 それでも後半(特に読者への挑戦の後も)二転三転するダマし合いみたいな仕掛けがあって面白いと思う。というわけで、重厚な力作だとはもちろん思うし、形式的な面でのミステリらしさ(&ミステリらしいロジックと「意外な犯人とか)では頂点かな、とは思うけど、傑作かというとアラが多くて実は微妙...という評価でいいんではと思う。 |
No.5 | 5点 | 盤面の敵- エラリイ・クイーン | 2017/01/04 16:31 |
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評者読んだのはポケミス版なので、裏表紙に皮肉なことにリーとダネイの肖像(二個一の写真ではなく)が別々に載ってるよ。皆さん書いてるけど本作がコンビ解消第1作で、リーは関ってない。ライターはSF作家で名をなしたセオドア・スタージョンだということだが、こうやって読んでみると、評者やっぱりリーの荘重で叙事詩的な文章って好きだったな、と思う。本作だと文章が軽めで、ウィットの豊富な会話が多い(だからまあ、悪いってんじゃないけどね)。
で、スタージョンがライターだから...というのではないが、本作今にしてみれば、山田正紀っぽいテイストがあって、実はSFなんでは?とも思う。あ、枠組みとか全然ちゃんとしたミステリ、っていうかみんな大好きな家モノだよ。読みようによっちゃ、例の「Yの悲劇」のやり直しみたいな部分もある。実行犯をまずバラしちゃってるあたり、「『Yの悲劇』の犯人は誰でしょう?」の解②側をダネイは正解だと思ってる?とか勘ぐるのもアリかもしれないくらいに、クイーンな作品であることは間違いない。 まあそうでなくても、後期クイーンっていうと、「十日間の不思議」とかキリスト教系の神秘主義に絡む話が多少あるわけで、そういう神秘主義と表現上のメタレベルの問題をうまく作品にしてやろう(ここらが特に山田正紀)...という狙いを感じるわけだ。いかにもミステリっぽいネタなんだけど、実はパズラーとは程遠い、あえてパズラーとして見たらわざとやってるインチキみたいな真相になる。ダネイは小説の裏側にまで「ミステリ」を拡張しようとしてるかのようである。どう見てもミステリの枠内にうまく収まりきれるものじゃない気がするよ。 (あ、あといわゆる解離性同一性障害は、アメリカではカウンセラーによる記憶の捏造が大社会問題になってしまい、現在インチキ&オカルトという評価も強いようだよ。けど小説が興味本位でセンセーショナルに扱っちゃうと、責任は一体誰がとるんだろうね?) (ネタバレ注意!) 本作の犯人は神(いやマジで)。 |
No.4 | 4点 | ダブル・ダブル- エラリイ・クイーン | 2016/12/18 23:05 |
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まあ皆さんおっしゃるように、本作は「九尾の猫」のやり直しみたいな感じの作品である。童謡殺人モノの体裁をとっているんだけど、エラリイ介入時点で1件以外は殺人の疑惑さえ持たれていない状況、というはなはだ意気上がらない設定なんだよねぇ。「九尾の猫」だと被害者の関連性が不明でも絞殺の手口が一致するから連続殺人疑いなし、というセンセーショナルな部分が興味の大きな部分を占めてた...というのが逆によくわかる。
あと、仕方がないんだが見ようによってはアンフェアな部分としては、ネタとなった数え歌の後半をなかなか教えてくれないところ。アメリカ人はジョーシキなのかもしれんがねえ。後半の歌詞がわかると、なんとなくピンと来るところがある..と思うと、登場人物が少ないので、すぐに犯人の見当とかついちゃうんじゃないかなぁ(実はメタなんだけどね)。本当はこの後半とか、犯人視点の皮肉なサスペンス物として描いた方がずっと良かったんじゃないかな。 でヒロインのリーマだけど、ちょっとクリスティの「動く指」を連想する話だよね(ちょっと思うんだが、このネタのオリジナルはG・B・ショーの「ピグマリオン」だよ。時代に合わせてその翻案作がいろいろと移り変わるのは仕方ないんだがねえ)。でエラリイがリーマに魅かれていたりするあたり、ライツヴィル物で目立つようになったボンクラぶりがちょっと強調されちゃってるな。まあ本作も「九尾の猫」と同じく後期クイーン的問題(エラリイ首を突っ込まなきゃよかったのにね)のお話の一つ。読みやすいけど、ちょいと腰砕けな感覚の方が強いや。 付記:名探偵って2通りあると思う。「共同体のヒーロー」であるか、共同体に同化しない「孤独な異邦人」であるか、という役割の問題なんだよ。ポアロなんて明白に異邦人だし、マープルだって多かれ少なかれ苛烈な魔女といったニュアンスが見え隠れするから、クリスティは常に「孤独な異邦人」側だったといえるんだろう。エラリイの栄光と悲惨は...エラリイのための共同体であるライツヴィルの「町の名探偵」として、「共同体ヒーロー」をその背に引き受けちゃったところなんだろうな(「ガラスの村」でエラリイが主人公たり得ない理由もそこら)。だから、エラリイは「町の潜在意識」(それが誘導された虚偽意識であっても)を代表せざるをえないわけだから、それに振り回される展開は必然で、そういうエラリイのある意味無様な姿は、共同体の理念への捧げものとしての姿だろうね。評者はエラリイが泣きながら笑っているかのような微妙な表情をして立ち尽くすのが目に浮かぶ。 |
No.3 | 8点 | ガラスの村- エラリイ・クイーン | 2016/10/31 22:27 |
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本作はかなり異色だけど、本格原理主義者じゃないなら中期のクイーンの傑作でイイと思うよ。まあクイーンっていうと最後までレギュラー探偵の作品がほとんどで、クリスティやカーがレギュラー探偵に飽きて、いろいろやっていたのと比較すると本当にストイックなんだけど、本作はエラリーは登場せずに、アプレな帰還兵が臨時の探偵役を務める珍しい作品だ。まあ皆さん書いているように、時事批判の目的があるのは言うまでもない。今大統領選も終盤で、評者なんか本当にトランプってキャラがウケること自体理解不能なんだけども、そういうアメリカの草の根保守とかリバタリアニズムといったあたりの、日本人には理解困難なアメリカの風土はこの頃からそうそうは変わっていないようにも感じるのだ。
で、そういうアメリカのバックボーンをなす特性としての「裁判制度」を、クイーンは本作で批評的に使っている。村人たちをなだめかつ真犯人を探す目的で、実にヘンテコな裁判を主人公グループが主催する格好になる。これが裁判手続きの理念みたいなものを考えると、作中で承知の上で悪夢的なことをしていたりする...法廷モノとみると奇作・怪作の部類だと思うけど、これがプロットとしてうまく機能しているあたり秀逸。「開いた口がふさがらない」ような手続きを愉しんで読むといいよ。 謎解きも自然で、このレベルなら素人探偵が急に閃いても不自然にならないってくらいのもの。しかもうまく覆われているので、パズラーとしては小粒でも評者はこのくらいの方が好感が持てる。まあ青い車氏同様評者も、本作とちょっと似ている「Zの悲劇」の死刑囚のヒドい扱いから見ると、クイーンの作家的成熟を本作には感じたりするわけだ。 |
No.2 | 7点 | 九尾の猫- エラリイ・クイーン | 2016/10/10 21:54 |
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さて重要作。マンハッタンでの連続絞殺事件に、エラリーが市長直属の特別捜査官として挑む...という異例の話。今回、エラリーの立場はアマチュアじゃなくて、責任がある立場だ、というのがちょっとポイントのように思う。というのはやはり評者も例の「後期クイーン的問題」ってちょっと気にはなるんだよね。
クイーンの文章って結構クールな良さを評者は感じるんだけど、本作だと被害者たちが社会的にバラバラの階層に属していて、結果社会を俯瞰するような視点で書かれている。ある意味社会小説的な側面があるね。市民集会でパニックを起こした市民たちが暴動を引き起こすあたり圧巻だ。まあ本作の出版は1949年だから、マッカーシー旋風の直前くらいの、原爆スパイだ核戦争の脅威だとアメリカ社会がピリピリしていたあたりの描写なんだよね(もうすでに映画界の赤狩りは始まってる)。だからホントは本作は「ガラスの村」あたりと一緒に読むべき作品だろうな。 だから本作は警察小説みたいに読んだほうがいい。実際、読者による推理のポイントなんてほとんどない。アメリカ人って精神分析が好きだなぁ....(評者はキライだ) でとくに「後期クイーン的問題」でも特に2番目の方の探偵倫理の問題なんだけど、これってどっちか言えばイギリス的なアマチュアリズムが前提になっているようにも思う。本作の場合って、エラリーは非公式な父親の顧問みたいな立場じゃなくて、市長直属の特別捜査官だから、異例ではあるが公式の立場だ。だからああいう泣き言を言うのは不覚悟なように思うよ。評者別な作品について、ハードボイルド性=探偵のエゴイズムの自覚、みたいなことを書いたけど、エラリーも自分のエゴイズムに気が付く...というような展開を望みたいところではある。 |
No.1 | 6点 | Zの悲劇- エラリイ・クイーン | 2016/05/30 00:02 |
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評者どうもX・Yとの相性が悪いようだ。
というのは、ドルリー・レーンの描写がどうも厨二的に見えて仕方がないんだよね...で、描写は結構大仰だし、小説的にハッキリ苦手である。 でまあ、その原因はというと、ヴァン・ダインもそうなんだが、第一次大戦後にアメリカが世界の覇権を握ったために、「もはやアメリカはヨーロッパに文化的にも追いつき・追い越した!」というような夜郎自大な自意識が鼻につくわけだよ。ドルリー・レーンの、アメリカの(イギリスの代名詞である)シェイスクピア俳優という設定はそういう意味でしょ。で、訳の分からない根拠で上から目線で殺人事件に介入するし、果ては真犯人を私刑してしまうし...と、評者どうも受け付けないや。 けどX・Yでもいい部分というのは、ある。アスピリン・エイジのドライでクールなアメリカらしさを描写している部分(市電格納庫での取り調べ場面とかね)とか好きなんだがねぇ... 逆にこの「Zの悲劇」という不人気作は、どこがどう不人気か...というと、ドルリー・レーンがあまりヒーロー的活躍をしないあたりなんだろうな、実際大ミスするし。X・Yがバブル仕様のヒーロー小説だとすると、実はこのZは「不景気仕様のヒーロー」少しヒーローに懐疑的になっている小説だと思って読むのがいいんじゃないかな(まあ次が次だし..)。本格パズラーの夢というのは「論理と推理が常に成功を生む」というはなはだ楽天的な夢想であるがゆえに、バブルの高揚との相性がきわめて良いものであったのを、大恐慌がその非論理性やリアリズムによってその夢を破ることになった...なんて読みができるのかもしれないや。 まあ本作のウリは例の消去法推理だけど、評者コレを結構買ってる。ある意味これは結果によっては20則違反になる(端役的な人物が犯人)可能性もあるんだが、そういう可能性を含めてミステリの「推理」としてはアリだと思うし、未開拓のネタがいろいろあるのでは..と思うよ(どうも最近流行ってるようだな)。 けど、最後のツメが少し? 医者二人を除くロジックだが「医者ならば聴診器を使うはずだ」で論理は完結しているのであって、とくに息を吹き返した証言があろうとなかろうと、この論理には関係がないんだよね..まあ厳密な証明というよりも、一種の弁論術くらいで聞いておいたほうがいいのかな。 まあ、クィーンの論理、って人は言うけどさ、利き手・利き足・利き目については散々心理学で実験されていて、同じ側で一致することも多いけど、一致しなくても珍しくはない..くらいが、現在の結論のようだ。「非対称の起源」(クリス・マクマナス著)って面白い啓蒙書があるけど、これによると1920年代に利き目と利き手が入れ違うことが失語症の原因となる..という説を唱えた学者がいるのを紹介してる。まここらをクィーンが真に受けて採用したあたりの話じゃないかなぁ。そもそも説得力がないのを自分で認めてるわけだから世話はないけどもね。 最後に一点。生贄にされかけた囚人の最期についての記述が結構ヒドい。ちょっとなぁ...マイナス1点。 |