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No.8 7点 スペイドという男 ハメット短編全集2- ダシール・ハメット 2016/01/30 11:11
1970年代に、全四巻が予定されながら、半分で刊行が止まったまま、結局、編訳者の稲葉明雄氏の逝去(1999年没)もあって中絶した、創元推理文庫のハメット・アンソロジー。
その第2巻は、『スペイドという男』として1986年に改装版が出るまでは、長く『ハメット傑作集2』として流通しており、今回、筆者が“積ん読”の象の墓場(?)から掘り起こしてきたのも、その旧版のほうです。
なんだかんだで、収録短編の過半数を、他の本で読んでしまっていたため、これまで、イマイチ通読する意欲が湧かなかった一冊でしたが、さて……。

収録作は以下の通り。
①スペイドという男(1932.7 American Magazine)②二度は死刑にできない(1932.11.19 Collier’s)③赤い灯(1932.10 American Magazine)④休日(1923.7 Pearson’s Magazine)⑤夜陰(1933.10 Mystery League Magazine)⑥ダン・オダムズを殺した男(1924.1.15 Black Mask)⑦殺人助手(1926.2 Black Mask )⑧ああ、兄貴(1934.2.17 Collier’s)⑨一時間(1924.4.1 Black Mask)⑩やとわれ探偵(1923.12.1 Black Mask)
これに、『フェアウェルの殺人』(旧題『ハメット傑作集1』)同様、エラリー・クイーンの“序文”が付されている構成ですが、今回は、その文章の出典が、クイーンの編んだハメット・アンソロジー The Adventures of Sam Spade and Other Storiesであることが明記されています(と、こういう、当たり前のことが前巻では出来ていなかったんだよなあ)。
「訳者あとがき」によれば、前掲書の収録作品(①②③⑦⑧)に、新たにコンティネンタル・オプもの二編(⑨⑩)と、稲葉氏が「とくに気に入っているもの三篇」(④⑤⑥)を追加したのが本書ということになるわけですが#……しかし、この編集方針は、あまり感心しません。
だってねえ、1944年に出版された The Adventures of Sam Spade and Other Stories は、それまで雑誌掲載のまま埋もれていた短編をクイーンが掘り起こしてまとめた労作(60年代初頭まで、都合9冊が刊行された、クイーン編纂のハメット・アンソロジーの皮切りで、あの〈クイーンの定員〉では #098 に挙げられています)なわけですよ。本来、きちんとした形で、つまりクイーンの選択になる本としてそのまま紹介すべき一冊を、お手軽に利用しているようにしか思えない。結果として、親本(?)より充実した内容になったとしても……稲葉氏のアンソロジストとしての姿勢には疑問が残ります。

気を取り直して、作品を見ていきましょう。
本書のウリは、まずは、名作『マルタの鷹』の主人公・サム・スペイド(創元推理文庫版での、探偵名の表記。ハヤカワだとサム・スペードですね)が活躍する、三作しかない希少な短編がすべて読めるということに、なります。 筆者は、「スペイドという男」は創元推理文庫の『世界傑作短編集4』で、「二度は死刑にできない」と「赤い灯」は、講談社文庫から出ていたハメット短編集『死刑は一回でたくさん』(各務三郎編)で既読でしたが、どれもストーリーをまったく忘れている始末で、その意味では、新鮮な気分で読み返すことができました。
が――う~ん、微妙。『マルタの鷹』の設定を踏襲しただけで、まったく陰影のない、アルファベットのVっぽい顔立ちをした金髪野郎が、ゴチャゴチャ入り組んだ事件をバタバタ解決していくだけの、平凡な仕上がりでした。
3編のなかでは、枚数に余裕のある「スペイドという男」が、二次創作的なキャラクター小説として、トリックと手掛かり(消えたネクタイ)を配した謎解き小説として、まあ、そこそこ無難な仕上がりといえなくはありません。しかし、顔見知りの警察関係者を差し置いて、巻き込まれた殺人事件の現場で捜査の主導権を握ってしまうスペイドは、まるで“エラリー・クイーンのライヴァルたち”の仲間入りをしてしまったみたいです。褒めてるんじゃありませんよ。作中、私立探偵が“名探偵”としてパフォーマンスを披露できるだけの、前提がまったく用意されていないんですから。

民間の私立探偵が、警察(公立探偵)と対立するのではなく、協力して、というか、むしろ警察を利用して仕事を遂行するというシチュエーションは、同じ作者のコンティネンタル・オプものでも、まま見られました。本書収録の「一時間」(“ゴチャゴチャ入り組んだ事件をバタバタ解決”する話が、かっきり一時間におさまることで、逆に笑いを誘う。前掲『死刑は一回でたくさん』にも収録)と「やとわれ探偵」(オプが“やとわれ探偵”となったホテルでおきた、意味ありげな謎の三重殺人――の、意味のなさ! オフビートな佳品)にも、その要素はあります。しかしオプものでは、それがむしろ、一匹狼ではない、主人公の属する組織(ピンカートン探偵社がモデルである、全国規模のコンティネンタル探偵社)の大きさを感じさせることになり、紙上のリアリティは保たれていたのです。

短編に関するかぎり、スペイドものは、試行錯誤を繰り返したオプものより、後退してしまっています。シリーズ最後の登場となった、「二度は死刑にできない(死刑は一回でたくさん)」の幕切れでは、犯人を前にいかにも“悪魔”然としたセリフを決め、笑ってみせたスペイドですが、いやいやオプが、「金の馬蹄」(ハヤカワ・ミステリ『探偵コンティネンタル・オプ』所収)で犯人におこなった非情な仕打ちに比べれば、甘い甘い。
『マルタの鷹』の、あの結末(スペイドと秘書エフィとの関係性の変化、そして相棒の未亡人と続けていくことになるであろう、虚無的な日常の予感)を無かったことにして、キャラクターを流用し形式的に続きを書くのであれば、むしろ完全に二次創作に徹して、『マルタの鷹』の前日譚のエピソード――スペイドと相棒との出会いやら、その妻と不倫にいたる経過やら、を何らかの事件と絡めて――でも描いたほうが、ファン・サービスになり、商売上もよかったかもしれません。まあ、それを潔しとするような作者でなかったことは、分かるのですがね。

本書の真価は、じつのところ、雑多な印象を受けることは否めないにしても、ハメットの初期から後期にかけての、作家としてのさまざまな試みを概観できる、ノン・シリーズもののほうにあると言えるでしょう。
胸の病気で入院中の患者が、一か月分の生活費をもって外出する、その散財の一日の出来事を綴った「休日」は、まだハメットがコンティネンタル・オプものを書きはじめる前に文芸誌に発表された、習作の域を出ない(と個人的には思う)掌編ですが、主人公のモデルが、結核を患い入退院を繰り返したハメット自身であろうことが、付加価値になっています。この、最初期の、ミステリでもなんでもないお話など読むと、もともとのハメットは、普通文学のほうに行きたかった人なのかな、という思いを強くします。
「夜陰」については、後述。

「ダン・オダムズを殺した男」と「殺人助手」は、オプものの合間に『ブラック・マスク』誌に書かれた作品です。脱獄囚の“旅路の果て”の物語である前者(前掲『死刑は一回でたくさん』にも収録)は、あらためて読むと、三人称客観描写のハードボイルド文体のテスト・ケースにも思えてきます。あまりにも大きな偶然に依存しているのが難ですが、舞台となる西部の背景描写は素晴らしく、一種の寓話として、目をつぶるべきか。これ一作きりの、刑事くずれで醜怪な容貌の私立探偵アレック・ラッシュものの後者(ハヤカワ・ミステリ『名探偵登場⑥』に採られていたんだよなあ)は、「三人称客観描写」を謎と解明の物語に適用している点で、オプものからスペイドものへの移行の、準備段階とも言える作品。ですが、お話を複雑にしすぎて、前記の文体では、読者が作中の人間関係をスムーズに把握できない弊害をもたらしています。また、当初の犯行計画にも大きな論理的欠陥(カトリーヌ・アルレーの『わらの女』にも通じる問題)がありそう。そんなわけで“名探偵”ものとしては失敗作なのですが……小説がまったく別なものに変わってしまうような、ラスト5行が凄い。ハードボイルドの定型に亀裂が入り、ノワールが深淵を覗かせています(そのへんの凄さは、初読時の、子供の頃の自分には、ま、理解の外だったでしょう)。

そして。
スペイドものの長短編を経て、ハメットの作家としての最後期の仕事といえるのが、「夜陰」と「ああ、兄貴」です。うん、ともに今回が初読のこの2編は、いいですよ。主人公の“おれ”とトレーナーの兄の関係性、その魅力でグイグイ読ませるボクシング小説の後者は、最後に殺人も発生しますが、その謎解きは――幾つかの可能性は語られるものの――ないんですね。リドル・ストーリーとも違う。あくまで起こってしまったことが問題で、あとからその真相を云々したところで、死者が帰ってくるわけでもない、という、いわば脱ミステリの境地で終わるわけですが、それが肩すかしにならず、余韻に昇華されています(内容的に、女性読者にお勧めしたいハメット作品――と個人的には思っていますw)。
余韻といえば……「夜陰」も然り。夜道を通りかかった“私”が、嫌な男たちに絡まれている女の子を助け、車で彼女の希望する酒場に連れていってやる――という、ストーリー的には、ただそれだけの掌編。なのですが、最初期の「休日」と決定的に違うのは、そこに、作話上のある仕掛けが隠されている点(「訳者あとがき」の、稲葉氏の本作に対するコメントは、できれば先に読まないのが吉)。オチのつけかたの妙味という点では、過去に言及したことのある、同じ作者の「アルバート・パスター帰る」(筆者のお気に入り。本サイトの、ハメット『悪夢の街』のレヴューをご参照ください)にも通じますが、オチが、意外性の演出にとどまらず、それ以上の小説的効果をあげているという点では、こちらに軍配があがるでしょう。「普通文学のほうに行きたかった人」かもしれないハメットが、既存のミステリ短編の枠にとらわれず、しかしまぎれもないミステリ・スピリットを発揮してみせた、この洗練された逸品を投じたのは、『ミステリー・リーグ』誌――わずか四号で終焉を迎えはしたものの、あのエラリー・クイーンが、『EQMM』以前に情熱をもって世に送り出したミステリ専門誌の、創刊号でした。

# 念のため、The Adventures of Sam Spade and Other Stories の初刊本(1944)の収録作を資料で確認してみると―― 
「 赤い灯」「二度は死刑にできない」「スペイドという男」「殺人助手」「夜陰」「判事の論理」「ああ、兄貴」
となっており、稲葉氏の記述とは若干の齟齬がありますが、これは同氏が使用されたテクストが、1945年のデル・ブックス版ということで、収録作に異動があった(アブリッジされた版であった)ためと思われます。

No.7 9点 マルタの鷹- ダシール・ハメット 2015/12/31 16:14
ひさしぶりにハメットを読もうと、ハヤカワ・ミステリ文庫の『マルタの鷹』〔改訳決定版〕を手にした直後に、訳者の小鷹信光氏の訃報に接しました(12月8日、逝去。享年79)。
ハードボイルドの“鬼”であり、何より海外ミステリの研究者・紹介者として、筋金入りのプロでした(氏が編まれたアンソロジーを、一冊でも読まれた人なら、実感されるでしょう)。
筆者は一度だけ、あるパーティでたまたま小鷹氏とお話する機会があり、『コンチネンタル・オプの事件簿』のレヴューのなかに、そのときのエピソードを記しています。
寂しいなあ。

今回読んだ「改訳決定版」(2012年 発行)は、このところ早川書房が押し進めている、いささか無節操な感のある「新訳」とは性格が異なります。1988年6月にハヤカワ・ミステリ文庫から刊行された旧訳版『マルタの鷹』の訳者である、小鷹氏自身の手になる改訳なのです。
新たに付された「あとがき」によると、アメリカ文学研究者の諏訪部浩一氏が2009年から《英語青年》のウェブサイトに連載された〈『マルタの鷹』講義〉(のち、紙の本としてまとめられ、第66回 日本推理作家協会賞の評論部門を受賞)に接し、「きびしい英語教師の添削に身をすくめる生徒の気分」となり、旧版の翻訳時の「辞書の不備、検索の不徹底さ、深読みのいたらなさ、安易な誤読、単純な校正ミスなどを思い知らされ」、その反省から改訳を決意されたようです。これはしかし、なかなか出来ることではありませんよ。頭が下がります(筆者などは、ミステリがアカデミックな研究材料となることへの抵抗があり、諏訪部氏の本に目を通す気にもならずにいたのですが……料簡の狭さを、いま反省しています)。

はからずも、追悼のための読書、といった感じになってしまいました。あまりのタイミングに、いささか運命的なものを感じたりもしています――って、我ながらオーバーな表現ですね。
でも、たまたまそういう偶然があった、というだけのことなのに(そして、世界が恣意的であるなんてことは、人生五十年も生きてくれば、当然のように分かっているはずなのに)、ついそこに特別な意味を見出したくなるのが、人間というもの。
『マルタの鷹』第7章で、主人公の私立探偵サム・スペードが、ヒロインたる、一筋縄ではいかない依頼人・ブリジッド・オショーネシーに語る、有名なフリットクラフトのエピソード(まるで問題の無い日常を送っていた男が、あるとき、オフィスから昼食をとりに外に出たまま、忽然と行方をくらましてしまうが……その原因は、たまたま建築中のビル工事現場から彼の近くに落ちてきた、一本の梁にあった)のように。

筆者は中学生時代に、創元推理文庫版(村上啓夫訳)でいちど『マルタの鷹』を読んでいますが、そのときは、随所に印象的な場面や描写があるとは思いながらも(とりわけ第二章で、スペードが警察からの電話で眠りを妨げられ、起きだしてパートナー殺しの現場に向かうくだりの、客観的なナレーションは、忘れがたいものでした)、肝心のお話は、どこがどう面白いのか分からず、前述の「フリットクラフトのエピソード」も、なぜスペードが突然、当面の事態とは無関係に思えるそんな話を持ち出したのか、理解不能でした。
あらためて読み返してみれば、ああ、これは愛の告白だよなあ、とピンとくるわけですが(こちらも、それなりに年をとったということです ^_^;)。ブリジッドと何やらつながりがあるらしい、怪しい男を呼びつけ、両者を激突させることで局面の更新をはかる前に、「きみは、おれの人生に落ちてきた梁なんだ」というメッセージをブリジッドに伝えようとした――でも、まったく伝わらなかったんですね。
そして……そんな、人生を変えるような恋と冒険(お宝の争奪戦。いってみれば、このお話はオトナ版の『宝島』なんです)をしたはずのスペードは、でも最終的に、フリットクラフトと同じような“日常”に吸収されていってしまう。あとに残るのは、宴のあと――たとえそれが、狂乱の宴だったとしても――のような虚脱感。ああ、これはやっぱり名作だわ。
表面上の設定や部分的な要素を、後続の作家たちは模倣・流用しまくったわけですが、本書は本来、ハードボイルド・ミステリへの葬送曲ともいうべき作品であり(その意味では、探偵小説のパロディとして執筆されたはずなのに、結果として“黄金時代”を先導する役割を担うことになった、E・C・ベントリーの『トレント最後の事件』と近いものがありそうな)、ジャンルの創始者たるハメットが、これを書いてしまったことに、ある感慨を覚えます。
似たようなことは、『赤い収穫』の再読時にも感じました。主人公を徹底的に使い切って、搾りかすみたいにしてしまったら――そりゃハメット、シリーズものとして続きを書くのは楽じゃないよぉ。

そして。
真相を知ったうえでの再読で明瞭になるのは――
本書が、じつはミステリとしていったい何が“謎”なのかを、巧みに隠している、きわめて技巧的な作品であったのだなあ、ということ。ごく初期の段階で、その謎は提示されているにもかかわらず、初めて読む人は、事件の連鎖(ミスディレクション)に気をとられ、何が中心となる謎なのか把握できず、まったく別な興味で読み進めるでしょう。それが、最後になると……
という、その“仕掛け”を可能にしているのが、ハメットが本書で採用した、探偵役の三人称客観描写(その行動に密着しながら、しかし内面にはまったく踏み込まないという、作者の視点)なのです。
探偵役の一視点で展開するハードボイルド・ミステリが、露呈しがちな弱点は、主人公の内面描写をおこないながら、作者の都合で謎解きに関する思索を選択してオミットする不自然さです。かりに、調査の過程で、手掛かり自体はフェアに提示されていたとしても、主人公の内面から、推論を組み立てるプロセスが欠落していては、本当の意味でフェアとは言えないでしょう。往々にして、ハードボイルドの名探偵は、いつのまにか全部お見通し――か、でなければ、急に閃いて全部分かりました――になってしまう(ような気がする、というのが本当ですね。あんまりハードボイルドを読んでない人間なので、アテにしないでください w)。
『マルタの鷹』も、一見、そんなふうに見える。
ですが、クライマックスの対決場面でスペードが開陳する謎解きは、それまでの混沌とした状況のなかにあって、段階的に得られたデータを総合したものです。その指摘を念頭において、最初からお話を振り返れば、スペードのなかで疑惑がじょじょに確信に変わっていったプロセスを、それがじっさいには書かれていないにもかかわらず、読者は紙背に読み取ることが可能になる、そしてそれは、スペードという陰影のあるキャラクターの肖像を、あらためて浮かびあがらせることにもなるのです。
とまあ、本書のきわめて実験的な三人称記述を、筆者はそんなふうに理解したわけですが……本当は、もっとブンガク的な意味(ヘミングウェイの影響とか?)があるのかも知れません。そのへんは、いずれ諏訪部先生の「講義」で勉強させてもらうつもりですw

『赤い収穫』のパワーと『マルタの鷹』のテクニック、前者の破天荒さと後者の完成度、どちらを上に置くかは、これはもう、個々の評者の好みでしかないでしょう(『デイン家の呪い』なんて無かったww)。
あえて差をつけるため、本書の採点を9点としましたが(レヴュー登録済の『赤い収穫』は10点です)、これは、最後のほうの、スペードの告発(二段階に分かれており、第一の告発が、必然的に第二の告発に繋がる)の、警察に対する有効性にやや疑問を感じたためで、一介の私立探偵のコトバだけで、裏付けなしに簡単に警察が逮捕に向けて動くものか? という、その甘さをマイナス要因としたことによります。
あと、小説としてさらに欲を言えば――
舞台となるサンフランシスコが、随所に細部描写はあるものの、それが細部描写にとどまって、主人公サム・スペードの「おれの町」として立ち上がってこないウラミがあります。町と、そこで生きる人々のポートレイトに、もう一工夫欲しかったと思います。
やがてカリフォルニアを舞台に、ハードボイルド・ミステリのそうした潜在的な魅力を引き出したのが、フィリップ・マーロウの創造主・レイモンド・チャンドラーということになるのでしょうが、それはまた別な話。

No.6 3点 デイン家の呪い- ダシール・ハメット 2014/06/20 16:54
コンチネンタル探偵社の「私」(名無しのオプ)が、宝石盗難事件の調査の過程で知り合った娘、ゲイブリエル。彼女の家系(デイン家の血)は呪われているのか? 所を変え繰り返される、惨劇の連鎖。その中心には、つねにゲイブリエルの存在があった。個々の事件は、一応の解決を見ていくが、「私」は納得しない。これが偶然であるものか。裏で糸を引いているのは誰だ――?

Black Mask 誌の1928年11月号から翌29年2月号まで、四回に分けて掲載されたのち、改稿を経て(三部構成に改められ)、『赤い収穫』と同じ29年に単行本化された、ハメットの第二長編です。
村上啓夫訳のポケミス版で所持しながら、ずっと“積ん読”だったこの作品を、小鷹信光の新訳(ハヤカワ・ミステリ文庫 2009)で読了しました。

う~ん、これはねえ・・・駄目。
ミステリ的にどうこういう以前に、シリーズものとして、駄目。
前作『赤い収穫』は、ヒーローのはずの主人公が、暴走し壊れていくという異様な物語でした。あきらかに一線を越えてしまった「私」の、その後をどう描くか?
しかし作者は、そこに目をつむってしまった。
あたかも、アレは“ポイズンヴィル”という町の毒気にあてられたオプの、一時的な乱心だったとでもいうように。
殺戮ゲームを無事に生き延びたサラリーマン探偵の「私」は、上司にお灸をすえられたあと、もとどおりのワーカホリックに戻りましたとさ。
でも・・・そこでオプというキャラクターは終わってしまったのです。
本作において、オプは、麻薬に溺れたヒロインの身を案じ、彼女が無事に社会復帰できるよう尽力します。その“優しさ”は、のちのチャンドラーのフィリップ・マーロウ(あるいは島田荘司の御手洗潔w)にも通じるもので、そうした新生面を評価する向きもあるだろうとは思いますが、ドライなキャラクターからの変貌が著しく、筆者にはキャラ崩壊としか受け取れません。
訳者の小鷹氏は、解説のなかで「『デイン家の呪い』が『赤い収穫』とはまったく風味の異なる小説である」とし、「探偵役のオプの役柄もまるで別人だ」と述べられていますが・・・
異なるタイプの小説に、無自覚にオプを流用したのは(本書の第二部は、既発表のオプもの短編「焦げた顔」が原型になっているので、仕方ない面もあるとはいえ)、大きな失敗でした。
そしておそらく、ハメットもそれを自覚した。このあとの長編で、一作ごとに、その“世界”にふさわしい探偵役を創造しているのは、そういう反省に立ってのことだろうと筆者は考えます。

さて。
ではミステリ的にはどうなのか、というと・・・これがまたパッとしない。
本サイトのジャンル設定が「本格」になっているのには驚きましたが、たしかにこれは、本格とハードボイルドが対立する概念ではないことをしめす、サンプルではあります。
ありますが、でも、あまりにゴチャゴチャしすぎて、種明かしされてもスッキリ納得できない。
オプのまえに出現する“幽霊”とか、密室状況下で炸裂する手榴弾とか、個々のパーツは面白いんですけどね。
本書に関しては、正直、当時のパルプ・マガジンの通俗小説の域を出るものでは、ないでしょう。
ヴァン・ダインを酷評したことで知られるハメットですが、この作を読んだ(ら)ヴァン・ダインも、言いたいことはあったろうなあwww

ただ。
これは翻訳だけ読んで語ってはいけないかもしれませんが・・・
筋立ては、当時の「通俗小説の域を出」ないとしても、それを表現する、簡潔で淡々とした文体には、時の経過による腐食をこばむ、パワーを感じます。
書き出しの一節――いっさい余計な説明を抜きに、ショッキングな発見とそれに続く「私」の対応を描くハメットの筆致は、かくの如し。

 それはまぎれもなくダイアモンドだった。青く塗られたレンガの歩道から六フィートほど離れて芝生の中で光っていた。台座がついていない四分の一カラット以下の小さな粒だ。私はそれをポケットにおさめたあと、四つん這いにこそならなかったが、できるだけ芝生に目を近づけて探し始めた。

まぎれもなく練達の士です。

No.5 10点 赤い収穫- ダシール・ハメット 2013/09/26 19:56
Black Mask 誌に、1927年11月号から四回にわけて掲載され、29年に単行本化された、コンチネンタル・オプものの集大成 Red Harvest。
翻訳者に、歴代の錚々たるメンバー実に七名が轡を並べる、ダシール・ハメットの長編デビュー作です。
筆者は基本的に、あまりハードボイルドとは縁のない人だったのですがw さすがにこれは無視できず、中学生時代、テスト勉強の合間の息抜きに、田中西二郎訳(創元推理文庫『血の収穫』)で読み飛ばした記憶があります。
いま思えば、ほとんど劇画(死語?)のページを繰るような感覚でしたね。で、怖いもの知らずの感想は「面白いっちゃ面白いけど、グダグダだあ!」。

あれから幾星霜。
ふとしたことからハードボイルド再入門を思いたち、ジャンルの基本図書のひとつと考える、小鷹信光・編訳『コンチネンタル・オプの事件簿』(ハヤカワ・ミステリ文庫)にあらためて目を通したら・・・
うまく波長が合って、なんだか昔は見えていなかったものまで、自然に見えてくるような気がしました。
そうなってくると、子供のころに読んだきりの、かの“古典”も、小鷹・新訳の『赤い収穫』(同前)で読み返してみてはどうか、という気持ちになります。

品切れなので(このへんを切らしてどうするのよ、早川さん!)古本を捜して一読した次第。
すると――まず冒頭の一節で、驚かされました。ちょっと長くなりますが、ここは重要だと思うので、はしょりながらも、あえて引用します。

 パースンヴィルがポイズンヴィルと発音されるのを初めて小耳にはさんだのは、ビュートの町のビッグ・シップという店でのことだった。(・・・)そのときは気にもかけなかった。(・・・)やっぱり同じように呼ぶのを後になって耳にしたが、そのときも(・・・)他愛のないユーモアぐらいにしか思わなかった。その数年後に私はパースンヴィルに出かけ、自分の考えがいたらなかったことを思い知らされるはめになったのである。(引用終わり)

この導入以降、地の文の一人称I(アイ)を、小鷹さんは「私」と訳している! 名なしのオプの短編では、一貫して「おれ」を採用しているのに・・・。この人称代名詞の使い分けにどんな意味があるのか? そのへんを訳者が明かした文章なり発言なりが、どこかにあるのかどうか、あいにくハードボイルドにわかの筆者には、わかりません。
レヴューの最後で、この問題は、あらためて考えることにします。

さて。
腐敗した町にやって来たニヒルな主人公が、町を牛耳る複数勢力をたくみにあやつって、たがいに抗争させ、自滅へ導く――骨子だけを見れば、本作はいまとなっては、よくあるお話でしょう。いやこれがオリジンだから、という弁護も、それだけでは「歴史的価値」の評価にとどまります。
しかし今回、筆者がこの小説から受けた印象は、そんな黴臭さとはまったく異なる、鮮烈なものでした。

これ以前の、オプもの短編になじんでいる読者なら、凄腕のサラリーマン探偵である主人公が、必ずしも社規に忠実ではなく、必要に応じて担当事件のシナリオを、自分の望む結末に書き変えてきたことは承知しています。そのために、たとえ命が失われても、しかし一応は、彼なりの「正義」を実現するためやむを得ず、といったエクスキューズのようなものはありました。

ところが本作のオプは、あきらかに常軌を逸している。行動原理の肝心なところに、ポッカリ穴があいているのです。最初から、「仕事」はタテマエで、本音は殺戮ゲームを主宰するのが面白かったのだ、としか思えない。そして、途中からはもう、引き返せなくなってしまった・・・
本格ミステリ・ファンでもある筆者は、これを「名探偵の成れの果て」の物語としてとらえました。
あ、一応オプは「名探偵」です。バイオレンス小説のはずの本作で、周期的に繰り出される推理→サプライズ(実質、中編四つをつなげた構成の本作には、大雑把にいえばドンデン返しも四回あるw)がそれを証明しています。荒削りながら、面白いアイデアも盛り込まれています(3/4のところでオプが解き明かす、銀行襲撃事件のからくりが、筆者は一番好きです)。
そんな、ヒーローとしてのオプが、しかし「裁くのは俺だ」を繰り返すうちに暗黒面に堕ちていく・・・

けっして完成度の高い小説ではありません。むしろ「グダグダ」かもしれない。しかし、私立探偵型ハードボイルドのスタートにしてゴールのような、異様な迫力に圧倒されます。うん、これはワン・アンド・オンリーの作。

そんな本作は、こう締めくくられます。

 報告書をあたりさわりのないものにしようとして必死に汗をかいたのは無駄骨だった。おやじをだますことはできなかった。私はこってりしぼられた。

しかし、この小説に本当にふさわしい結文は、

 (・・・)私はこってりしぼられ――コンチネンタル探偵社をやめた。

ではないかと思います。

最後に。
訳者の小鷹氏が、短編と本作で一人称表記を変えた理由について。
さきに引用した小説冒頭の一節が、一件落着後の“回想”であることに、ヒントがあるような気がします。
リアルタイムのドキュメントではない。どの程度のタイムラグがあるのかもわからない。しかし、いずれにせよ――

『赤い収穫』で地獄巡りをしたあとのオプは、もうそれ以前のオプではありえないんだよ――

もしかして、そうおっしゃりたかったんでしょうか、小鷹さん?

No.4 5点 フェアウェルの殺人 ハメット短編全集1- ダシール・ハメット 2013/07/05 14:53
1970年代に、全四巻が予定されながら、半分で刊行が止まったまま、結局、編訳者の稲葉明雄氏の逝去(1999年没)もあって中絶した、創元推理文庫のハメット・アンソロジー。
その第一巻は、『フェアウェルの殺人』として1987年に改装版が出るまでは、長く『ハメット傑作集1』として流通しており、今回、筆者がひさしぶりに読み返したのも、そちらの旧版です。
ちなみに、カバーと扉裏には This king business & other stories の表記があります(改装版では、それが The Farewell murder & other stories に改まっているのかと思ったら・・・もとのままのようですね。じゃあ表題は『王様稼業』にしなさいよw)。

収録作は、以下の通り。すべてコンティネンタル・オプものです(初出誌は、⑦をのぞいて Black Mask)。

①フェアウェルの殺人(1930-2) ②黒づくめの女(1923-10-15) ③うろつくシャム人(1926-3) ④新任保安官(1925-9) ⑤放火罪および……(1923-10-1) ⑥夜の銃声(1924-2-1) ⑦王様稼業(Mystery Stories, 1928-1)

その昔の、初読時も感じたことですが――これは編集が良くない。
まず、巻頭に、主人公キャラのモデルについて言及した、エラリー・クイーンのエッセイ「偉大なる無名氏」が置かれているものの、当該文章の末尾に「――エラリー・クイーンの解説より――」とあるだけで、どこから採ったものか(クイーンが1945年に編んだアンソロジー The Continental Op の序文か?)その説明が無い。

また、作品の配列が発表年代順ではなく、といってそのランダムな構成(オプのデビュー作⑤を、この位置に据える意味は???)が何かの効果をあげているわけでもありません。
都会を舞台にした作品に比して、この巻には「編集のつごうで地方ものがいささか多くなったきらいがある。できれば一編ずつ別個にお読みいただいたほうが味が変ってよろしいかと思う」という「訳者あとがき」の文章も、何それ? と言う感じで、釈然としないことおびただしい。

稲葉氏は、翻訳に関しては良い仕事をしていると思いますが、残念ながらアンソロジストとしての仕事ぶりは、中途半端と言わざるを得ません。

さて。
コンティネンタル探偵社のベテラン社員「私」が、業務として、悪党を追いかけたり謎を解きほぐしたりしていく、多忙な日々の調査報告というシリーズのなかでも、とりわけ本書では、警察と(敵対するのではなく)共同で捜査にあたり、得られる情報を活用しながら一歩先んじて意外な真相にたどり着く、正統的な“謎解き型”のエピソードが目立ちます。
①②③、それに⑤⑥あたりがそうで、いっそ、路上の“密室”をあつかった「パイン街の殺人」(講談社文庫『死刑は一回でたくさん』所収)なども加えて、そういったお話だけで『ハメット傑作集1 本格推理篇』w にしてしまったほうが良かったのでは、と思うくらいです。意外と律儀に、伏線を張っていたりもしますしね。

ただ、探偵役の一人称という形式の制約から、途中、解明につながる正しい思索を展開できない(そこで正解を導くと、ラストの劇的効果があがらない)ため、解決場面でいきなり一発ネタの伏線回収になりがちで、説得力はもうひとつなんですが。
そんななか、手掛りにもとづく捜査の面白さをよく伝え、意外性と説得力のバランスで佳作となっているのが(企みのトリッキーさを重視すれば①や⑥になるでしょうが)、金持ちの娘の誘拐事件をあつかった②です。この「黒づくめの女」については、以前にも本サイトで書いたことがあります(『コンチネンタル・オプの事件簿』のレヴューを参照のこと)。

ハメットのファースト長編『赤い収穫(血の収穫)』の原型となった、ウエスタン風味の異色作④についても、すでに紹介を済ませていますから(こちらは『悪夢の街』のレヴューをご覧ください)――

最後にアレについて書きましょう。初読時は、何が面白いのか全く分からなかった⑦です。
バルカン半島の架空の国を舞台に、オプが、革命のスポンサーとなった富豪の息子(世間知らずで、革命成功のあかつきには、自分が王様になれると思っている)の身柄を守り、本国に連れ戻そうと尽力するお話。
おなじみのキャラクターを、ガラリと変わった世界に放り込む、という小説作法は④に通じるものもありますが、これはその“ファンタジー性”がきわだっています。
例外的に Mystery Stories 誌に発表された本篇について、小鷹信光氏は「Black Mask でボツにされたと思われる」(ハヤカワ・ミステリ文庫『コンチネンタル・オプの事件簿』巻末の「資料 コンチネンタル・オプ物語」より)と書かれていますが、さもありなん。およそ読者がハメットのミステリに期待するような内容ではないのですね。

再読でも、評価に困るという感想は変わりませんでした(調子に乗ったオプが美女にキスしたりしちゃ、キャラ崩壊だよ~)。
変わりませんでしたが、しかし――ラスト三行を読んで、ああいいな、と思わされてしまったw

事件の“当事者”をドラマから退場させたあとの、結びです。
「小切手はもちろん二人に渡した。かれらはライオネルの三百万ドルだけを取り、のこりの百万はムラヴィア国に返すことにきめた。私はというと、サンフランシスコに帰り、提出した経費明細書にある五ドルとか十ドルの支出を無駄づかいだといわれて、支局長(おやじ)とやりあった」

非日常的な冒険の舞台で、しかしオプは任務をこなすため、命を張ります。一歩間違えれば死んでいました。なぜそこまで? 答えはきっと、それが仕事だから――でしょうね。まことにカッコイイ。
そんな彼が、日常に帰還したとたん、五ドル、十ドルの支出をめぐって(事件で動いた何百万ドルとの対比)、上司からガミガミ責められる。まことサラリーマンはツライ。
この落差。
軽みが魅力の、後輩チャンドラーに比べると、お固いイメージが強いハメットですが、潜在的なユーモアはあなどれないな、と感じたことです。
そのへんが分るようになった、というのは、しかしこちらもトシをとった、ということなのでしょうね。

No.3 6点 悪夢の街- ダシール・ハメット 2013/04/04 14:42
ハヤカワ・ミステリ642番(1961年刊)。エラリイ・クイーンが編者になって刊行された、計9冊にのぼるハメット短編集のうち6冊目、Nightmare Town(1948)の翻訳です。
収録作は――

①「悪夢の街」(1924 Argosy All-Story Weekly)井上一夫訳 ②焦げた顔(1925 Black Mask)丸元聡明訳 ③「アルバート・パスター帰る」(1933 Esquire)小泉太郎(生島治郎)訳 ④「新任保安官」(1925 Black Mask)稲葉由紀(稲葉明雄)訳

①は、酔っ払って砂漠の中の新開地に紛れ込んだ主人公――重りを仕込んだステッキを武器にするタフガイ――が、そこで出会ったヒロインを助け、その“悪夢の街”を脱出するまでの冒険譚。スケールの大きな、街ぐるみの秘密がプロットの眼目で、アイデアに魅力はありますが(当時のアメリカなら、紙上のリアリティはあったか?)結局、関係者の告白で一切が明らかになるのは、謎を解くヒーローの物語として弱いですし、カタストロフをへた“その後の事ども”がフォローされていないのも、ミステリとしては物足りません。

②④はともにコンティネンタル・オプが語り手――にしては、一人称が「おれ」「私」とマチマチ。統一してほしいなあ、早川書房編集部殿――で、のちのオプもの長編の原型となりました。前者が『デイン家の呪』、後者の進化型が『赤い収穫(血の収穫)』です。そう思って読むせいか――④のほうは再読ですけど――帯に短し襷に長し、という印象ですね。

上流階級の娘たちの失踪が、やがて悪魔的な背景w を浮かび上がらせる②は、「謎解き型」としては、ストーリーの転機となる部分に飛躍が大きすぎます。ミステリ的な真相よりも、オチのつけかたで記憶される一篇。

秘密の任務をおびたオプが、アリゾナ砂漠のとある小さな町に“新任保安官”として赴任してくる④は、大西部時代の終りを活写したリアリズム・ウエスタン(?)としては楽しめるものの(オプいわく「外部資本がはいり、外部の人間が住みつくようになる。それはきみたちでも、どうにもならないことさ! 人間は昔から反抗を試みてきたが、みんな時世には負けたよ」)、お話の決着の甘さは否めない。オプというキャラが本当に際立つのは、やはり非情に徹したときなのですよね。あ、フーダニット部分にはいちおう伏線が張ってありますが・・・別にそれで作品の評価があがるほどのものではありませんw

③は、すでに『マルタの鷹』(1930)や『ガラスの鍵』(1931)を発表し、作家としての名声を確立したハメットが、創刊されたばかりの男性誌に投じた、軽い趣向のショート・ショート。
なんですが、じつは中編サイズの他の作にくらべても、本書のなかでは、これが一番面白かった。
故郷に帰ったタフガイが、地元のゆすり屋を相手に一戦交えた話――が、ラストでそう転ぶか、というオドロキ。なんだハメット、こういうのも書けたんだ!
②のオチのつけかた、そのテクニックにも通じますが、あちらは夾雑物が多すぎた。その点、より切りつめられた枚数だけに、“そこ”に焦点を絞り込んだ、作者の情報操作の手際が光ります。
かりに筆者が、短編ミステリの書き方講座を開講するなら、教材のひとつに使いたいくらいですよ(って、誰が受講するんだw)。
ただ、オチと関係ない部分で、設定的に矛盾しているんじゃないか、という箇所があるので、そこは誤訳によるものかどうか、今後、調べられるものであれば調べておきたいな、とは思っています。

No.2 7点 探偵コンティネンタル・オプ- ダシール・ハメット 2013/03/11 10:32
収録作品は――
 ①「シナ人の死」(1925)
 ②「メインの死」(1927)
 ③「金の馬蹄」(1924)
 ④「だれがボブ・ティールを殺したか」(1924)
 ⑤「フウジズ小僧(キッド)」(1925)
昭和32年(1957)に六興キャンドル・ミステリの一冊として刊行され、のちハヤカワ・ミステリに編入された(今回、筆者が読んだのは、重版された早川版)、日本初のハメット短編集です。

訳者は、初期ハメット翻訳の第一人者、砧一郎。編者は――誰かなw
早川の、編集部S名義の「解説」には、アメリカ本国で1945年に出版された、エラリイ・クイーン編の The Continental Op が「本書」とありますが、これはマチガイ。完全なオリジナル編集です。
レヴュー済みの、小鷹信光・編訳『コンチネンタル・オプの事件簿』と重複するのは、“強盗殺人事件”の真相にたどり着いたオプが、依頼者にはあえて別な解答を提示する、余情豊かな佳品②のみですが・・・これというガイドも無かったはずの時代に、なかなか面白いところを集めています。
前記、六興キャンドル・ミステリのブレーンの一人だった、海外ミステリ通・田中潤司氏のセレクトかもしれません。

中国系女流作家の邸で起きた、殺人の調査が発端となる、巻頭作①は、ストーリーを込み入らせすぎて散漫になってしまいましたが、裏社会の大物である怪しい中国人チャンの、一見ユーモラスなキャラクターと、悪党を罠にはめ、結果、死に追いやるオプならではの“解決”ぶりが、忘れ難い印象を残します。

失踪者の探索の途中、他殺体が転がる――という、のちに定石化する、ハードボイルド・ミステリの見本のような展開の③は、チャンドラーやロス・マクドナルドへの直接の影響という点でも重要。オプが出張する、メキシコの地方色もよく出ており(タイトルのもとになっている、酒場「金馬蹄軒」のエピソードがグッド)、ストーリーを通して築きあげられた人間関係と、その非情な決着の対比が鮮やかです。

④は、オプが目をかけていた後輩が殺される――という発端の設定が、なんらストーリーに深みをもたらさない点(他の探偵が被害者でも、大筋にまったく影響なし)、ハードボイルド・ミステリとしては失敗作でしょう。ただ、「だれが~を殺したか」というストレートなタイトルが示す謎解きは、自然で無理のないものです。のちの名作『マルタの鷹』の、フーダニット部分の原型といえます。

悼尾を飾る⑤は、要注意人物としてフウジズ小僧(キッド)を印象づける導入部がうまく、そこから空間限定(アパートの一室)の巻き込まれ型サスペンスに移行する――以前レヴューした秀作「ターク通りの家」(『コンチネンタル・オプの事件簿』所収)のヴァージョン・アップ版です。
クライマックスの、暗闇の中での待ち伏せのくだりには、少年のころ、ドイルの「まだらの紐」や「赤毛組合」を読んでワクワクした、あの気分がひさびさに甦りました。ちゃんとアタマを使ったアクション・シーンになっているのも、ミステリとして好感度大。
③と並んで、本書のベストであるばかりでなく、ハメット短編全体のなかでも上位の出来でしょう。

小鷹信光訳での、オプの一人称――仕事の鬼の中年キャラとしてピタリとはまった「おれ」を読んでしまったあとでは、砧訳の「ぼく」で語られるオプにはどうしても違和感がありますし、また訳文が経年劣化しているのも、否定できない事実ですが(たとえば・・・夫から若い妻への呼びかけ「お前さん」が気になって、たまたま手元にあったペイパーバックで原文にあたってみたら、該当箇所は my darling だったw)、それを認めたうえでも、一読をお勧めしたい一冊です。

No.1 8点 コンチネンタル・オプの事件簿- ダシール・ハメット 2013/02/18 12:03
いきなり私事で恐縮ですが・・・
先日あるパーティで小鷹信光氏にお目にかかり、お話させていただく機会がありました。
筆者にとって同氏は、まず何より海外ミステリの研究者・紹介者として大恩人なので、その感謝の思いを伝えたわけですが、「じつは私はハードボイルド・ミステリの良い読者ではなくて」と余計な一言を言ってしまったときの、小鷹氏の「おいおい」という目が忘れられませんw
心を入れ替えて、ハードボイルド再入門してみます。
となれば、まずは「始祖」ハメットからでしょう。

アメリカ探偵小説の揺籃期、1920年代の初頭に『ブラック・マスク』誌でスタートした、ハメットの原点・コンチネンタル・オプものの短編群は、我国ではいまだに本の形で体系的にまとめられていません。
そんななか、現時点で筆者がハメットへの入り口としてベストだと考えるのは――けっしてヨイショではなく――、ハメット生誕百年の1994年にハヤカワ・ミステリ文庫から出た、小鷹信光編訳の本書です。
出た当時、一読して、ああ、『赤い収穫(血の収穫)』や『マルタの鷹』を読む前にこれに目を通しておけたら、どれだけ作品理解が深まったろう、と嘆息したものでした。

収録作は―― ①放火罪および・・・ ②ターク通りの家 ③銀色の目の女 ④血の報酬/第一部 でぶの大女 ⑤血の報酬/第二部 小柄な老人 ⑥ジェフリー・メインの死 ⑦死の会社

冴えない――チビでデブの――サラリーマンが、基本的に“業務”で事件を解決していくさまを、一人称でキビキビ語っていく、いま読んでもなかなかにユニークな、後年に流布した紋切り型のハードボイルドのイメージにはおさまらないシリーズです。
以前、筆者はドイルのシャーロック・ホームズものに関して、その本質は「「名探偵」というヒーローの活躍を描く冒険譚」だと記しました(本サイトの『回想』のレヴューをご参照ください)。探偵活動をなりわいとするヒーローの冒険行が、作者の狙いによって「謎解き型」に特化することもあれば、「サスペンス型」に姿を変えることもある、という意味合いです。
そして、いまあらためてオプものを読み返すと――なんだ、いっしょじゃないか(苦笑)。

①は、1923年に発表されたオプ登場の第一作。彼がおりおりに「――ジグソーパズルの断片を寄せ集めて一枚の絵に完成させてみようとした」「――頭の中でジグソーパズルの絵が完成しかけていた」と考えることからもわかりますが、これは「謎解き型」以外の何物でもない。しかし犯人のトリックの、肝心の部分にポッカリ穴があいているので、その出来はお世辞にもよくありません。
初期の「謎解き型」なら、同じ23年の「黒づくめの女」(創元推理文庫『フェアウェルの殺人』所収)のほうがずっと良い内容なのですが(ただしこれは誘拐テーマということで、オプ最後の事件である⑦とかぶるため、作品集の彩りを考えると押し込めないか・・・)まあ「放火罪および・・・」の歴史的価値は動かせない。

②と③の連作が本書のベスト。
ことに、偶然のことから悪党どもの巣窟に捕らわれることになったオプが、知略で状況を改変し――クローズド・サークルwからの――脱出をはかろうとする前者は、ハメットが「サスペンス型」に開眼してシリーズの枠組みを広げたという意味で重要。
そこで取り逃がした悪女との決着を描く後者のエンディングは、これぞハードボイルドですね。やせ我慢と言わば言え、それが男のプライドなのさ。でも、据え膳食わぬオプは、サム・スペード(『マルタの鷹』)に比べればまだまだ甘いw

合わせて本書の約四割を占める中編連作の④⑤はさすがに読みごたえ充分で、ことに、全米の悪党どものドリーム・チームwが銀行を襲撃! 追跡するオプたちを嘲笑うかのように、しかし実行犯は次々に粛清されていく・・・という前者のインパクトは凄い。広げた風呂敷が大きすぎるので、その畳みかたや続編の帰結がいささか竜頭蛇尾に感じられるのは、仕方ないところでしょう。
「謎解き型」の名探偵が、ときに独自の裁きで事件を終結させるように、オプも後者の終盤では“業務”から一歩踏み出して、かなり危ういラインに足を突っ込んでおり――本人は、あくまで「たまたまああなっただけのことです」と言っていますが――ここから『赤い収穫(血の収穫)』まではあと半歩です。

訳文、編集、書誌データ――プロの仕事とはこういうものだ、という一冊に仕上がっており、広く推薦できるわけですが・・・
個人的に(小さくない)不満がひとつだけ。筆者の考えるオプもののベスト(中)短編が入っていない (>_<)
目次で“異色短篇”と謳われた⑥の、独特の余韻も悪くありませんが、オプの“探偵”としての物語に鮮やかに謎解きが組み込まれた「カウフィグナル島の略奪」(ハヤカワ・ミステリ『名探偵登場③』所収)を落としてしまっては――④とケイパー(襲撃)ものの趣向かぶりを気にされたのかもしれませんが――傑作選として画竜点睛を欠きますよ、小鷹さん。

ちなみに。
「カウフィグナル島の略奪」は、「クッフィニャル島の夜襲」として、嶋中文庫の『血の収穫』(グレート・ミステリーズ9)にも収録されていましたから、興味をお持ちの向きは、是非古本を捜してみて下さい。
(後記)2020年になって、創元推理文庫から刊行された『短編ミステリの二百年2』(小森収 編)に、門野集による新訳で「クッフィニャル島の略奪」が収録されました。(2020.3.29)

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おっさんさん
ひとこと
1960年代生まれの、いいかげんくたびれたロートル・ミステリ・ファンです。
再読本を中心に、あまり他の方が取り上げていない作品の感想を、のんびり書き込んでいきたいと思っています。
好きな作家
西のアガサ・クリスティー 、東の横溝正史が双璧。
採点傾向
平均点: 6.35点   採点数: 221件
採点の多い作家(TOP10)
栗本薫(18)
横溝正史(15)
甲賀三郎(12)
評論・エッセイ(11)
エドガー・アラン・ポー(9)
アーサー・コナン・ドイル(9)
雑誌、年間ベスト、定期刊行物(8)
ダシール・ハメット(8)
アンソロジー(国内編集者)(7)
野村美月(7)