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[ 本格 ] 河畔の悲劇 ルコック/別題『オルシバルの殺人事件』 |
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エミール・ガボリオ | 出版月: 2018年06月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 2件 |
2018年06月 |
No.2 | 7点 | 弾十六 | 2020/11/21 16:50 |
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『オルシバルの殺人事件』牟野素人さんによる完訳。Kindleで入手可能です。
1867年出版、初出は新聞Le Soleil 1866-10-30〜1866-12-20及びLe Petit Journal 1866-10-30〜1867-2-6(連載開始は同じで、終わりが違う。何だろう。新聞にあたってみるしかないのかなあ。そもそも同時連載ってのが変だ。読者層が違うのか?) (2020-11-21追記: 両方とも社主が同じ新聞でLe Soleilの方は高級紙、Le Petit Journalは非常に安い大衆紙のようだ。Le Soleilは入手出来なかったので、そっちの連載が終わった次の日のLe Petit Journal 1866-12-21を見てみたら(仏国立図書館Web版で入手可能)第17章の途中(全体の57%)で、区切りとしても悪い。どーゆー終わり方だったのか気になる。続きはLe Petit Journalで! みたいな感じだったのかな?) ルコック・シリーズ第二作。いやあ、『ルルージュ』が凄くよかったので、期待して読んだら中盤までは、ああ、この程度?とちょっとがっかりしてたら、怒涛の後半が素晴らしい。やや無理なんだけど、かなり上手な企み。大ロマンが味わえます。何でこれが埋もれてるのか、実に不思議。堂々たるメロドラマです。(推理味はちょっと薄いのですが…) 登場人物も上手く書けています(端役もいきいきしてる)。ルコックのキャラ設定も素晴らしくて、後半の記述が非常に良い。 あと、ドイルの例の構成は本書から思いついたのかも。(似てたらパクリ呼ばわりは阿保の所業ですね。すみません) (2020-11-21追記: と思ったら、二部構成形式をドイルはガボリオに学んだのでは?という説が昔からあるようだ。『オルシバル』も、今読んでる『書類百十三号』も途中で話が中断し、過去の出来事が長めに物語られる(ドイルの長篇で)お馴染みの形式。犯罪の証拠というものは現時点の事しか示せないのだから、動機を探るなら過去に遡る必要がある。実に理にかなっており、オルシバルの展開は実に流れが良くて、ガボリオもドイルも探偵小説における二部形式の威力を本作で実感したのだと思う。) 牟野素人さんの翻訳は淀みなく読ませる達者なもの。しかも値段設定がタダ同然です。次の『ファイルナンバー113』(書類第百十三号)も非常に楽しみ。 トリビアは後で。(まだ『ルルージュ』も終わってない…) (以上2020-10ごろ記載) ——— dédicace : « A mon ami, le Docteur Gustave Mallet. » p33/8893 186*年7月9日木曜日♣️ |
No.1 | 7点 | おっさん | 2013/02/28 16:45 |
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1866年に大衆紙『ソレイユ』、および『プチ・ジュルナル』紙にほぼ同時に連載され、翌67年に単行本化された、ガボリオの第二長編 Le Crime d'Orcival(オルシヴァルの犯罪)の戦前訳です。テクストは、昭和四年の、改造社『世界大衆文学全集』第26巻(併録は、同じ作者の『ルコック探偵』)。訳者は、ガボリオならこの人の、田中早苗です。
概算、四百字詰原稿用紙にして三百七十枚程度と、大幅にダイジェストされていることは明らかですが、戦後訳が刊行されていないので仕方ありません。先日、ドイルの『恐怖の谷』をレヴューしていて、事件の起点を過去に遡及する先輩格のガボリオを、急に確認しておきたくなったんですw 舞台はパリ近郊の、静かな町オルシバル。セーヌ河ぞいに建つ、地元名士の伯爵邸に、ある夜、召使いたちがもと同僚の結婚披露宴に出席するため留守にしているあいだ、凶賊が侵入したとおぼしい事件が突発する。 邸内は荒らされ、庭園の水際ではめった刺しにされた夫人の死体が見つかる。くわえて主人の伯爵の死体も、どうやら河に流されたらしい状況である。 予審判事は、急に大金を所持しアリバイの明確でない庭師を、重要容疑者として逮捕させるが、パリ警視庁から派遣されたルコックは、残されたさまざまな痕跡から推理を展開し、事件の裏に隠された企みに迫っていく・・・ 前作『ルルージュ事件』では脇役だったルコックが、正式に探偵役として起用され(アマチュア名探偵のタバレは登場しません)、実質的なルコック・シリーズのスタートとなる作ですが、すでに彼は駆け出し刑事ではなく、パリでは多くの部下をしたがえ「大探偵」と目される存在になっています。 そんな彼の名前も、しかし地方にまでは浸透しておらず、地元の捜査担当者と最初からうまくいくわけではない。それがやがて――というあたりの運びは、さすがにガボリオ、大衆小説の語り部としてうまいものです。 ルコックの推理は、データが充分、事前に提示されていないせいもあって(これは抄訳のせいもあるかもしれませんが・・・)、いまとなって特筆すべきものはありませんし、ディクスン・カーなどは、その凡庸さを「――警察官が時計のネジを巻き直したり、血痕を調べたり、ガボリオの時代このかた使い古されたトリックを駆使して」(エッセイ「地上最高のゲーム」)と晒しあげています。 あまりにイージーゴーイングな犯人の計画も、ちょっとそれはどうなのよ、というところはあります。 そして全二十九章立ての本作の、第十章までで、伯爵邸の怪事件は、フーダニットを含めてあらかた解明されてしまう。 犯人と被害者のあいだには、殺人にいたるまでの何があったのか? というひとつの大きな謎を残したまま。 そこから、某作中人物の記した「厚ぼったい書類」をもとに、関係者の過去がフラッシュバックで描かれていくわけです(ちなみにこの趣向は、まだ『ルルージュ事件』では出来上がっていませんでした)。 そしてじつは、第十一章から第十九章にかけての、その過去パートが・・・むちゃくちゃ面白いんですよ。 筆者は以前、『ルルージュ事件』のレヴューのさい「ディテクティヴ・ストーリーから一転、ノワールに踏み込んだような」という表現を使ったことがありますが、本作にもそれは言えて、古風な犯罪メロドラマがジェームス・ケイン(『郵便配達は二度ベルを鳴らす』)の世界と交錯するようなスリリングさがあります。 第二十章以降は、逃亡し大都会の片隅に身を潜ませた犯人を、ルコックが部下を駆使して駆り立てていく、警察小説ふうのテイストもあり、これも悪くない。 いちがいにハッピー・エンドとは言えないかもしれませんが、救いのあるラストには、素直に感動できました。 本格→犯罪メロドラマ→警察小説の、なんというか、ジャンルが確立するまえのジャンル・ミックスw 抄訳ゆえの買いかぶりなのか、それとも・・・? これは是非、完訳を出してほしいですね。 |