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[ 警察小説 ] 丘をさまよう女 <アバラチア・シリーズ> |
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シャーリン・マクラム | 出版月: 1996年01月 | 平均: 5.00点 | 書評数: 1件 |
ミステリアスプレス 1996年01月 |
No.1 | 5点 | 人並由真 | 2023/10/21 21:33 |
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(ネタバレなし)
1993年9月半ばのテネシー州。1968年に服役した無期懲役囚で、現在63歳のハイラム(ハーム)・ソーリィが脱獄、逃亡した。精神に障害があるソーリィは、自分が服役時の年齢で家族もそのままだという認識のまま、かつての自宅があった地域に向かうが、ウェイク郡のそこは18世紀後半にインディアンにさらわれた娘ケイティ・ワイラーの魂が今もさまよう地であった。郡保安官事務所のスペンサー・アロー保安官、助手希望のマーサ・エアーズはハームの行方を気に掛ける一方、目前の事件を追う。かたやハームの元妻リタとハームの実の娘のシャーロット(シャラーティ)は、ハームの接近を意識。そして地方ラジオ局のDJ「北部者のハンク」ことヘンリー・クレッツァーは、68年にハームが行なったとされる殺人事件の裡の、世に知られざる真実を掘り起こそうとしていた。 1994年のアメリカ作品。 作者の看板シリーズのひとつで、テネシー州アバラチア地方を舞台にした<アバラチア・シリーズ>の三作目。 評者は青年時代に、同じ作者マクラムの『暗黒太陽の浮気娘』(シリーズ探偵は大学教授ジェイ・オメガ)を読了。 SFコンベンションを舞台にした軽快かつヲタクの心を突いた内容を、ところどころ爆笑しながら目いっぱい楽しんだ記憶がある(同作への私的な思い入れは、メタ的な主要ギャグを今でもひとつふたつ覚えているくらいだ)。 そんなわけでしばらく前にふと思い、マクラムの作品はあれ以降翻訳されてなかったのか? とネットを検索したら、その後の邦訳を数冊確認。 ただしシリーズキャラクターの探偵役や物語設定はまるで別の路線みたいである。それでもまあ、あの(あれだけ面白かった)作者の作品なら、それはそれで楽しめるだろ? とネットで古書を入手。一昨日前から二日かけて読んでみる。 なおジャンルは、捜査小説という要素が多いので、その意味で警察小説ということでひとつ(厳密には主人公たちは保安官事務所の面々だけど)。 中身の方はまさに事前の情報通り、軽妙な『暗黒太陽の浮気娘』とは全く異なる、薄暗くて重厚な作風(まるで猫十字社の『黒のもんもん組』と『小さなお茶会』くらいの差異だ)。 ある程度予期はしていたものの、うん……まあ……とにかくと、読み進める。ちなみに本書は本国アメリカで、 ・アントニー(バウチャー)賞 ・アガサ(クリスティー)賞 ・マカヴィティ賞 さらに ・ネロウルフ賞 まで受賞の四冠王である(!) (少なくとも最初の三作はその年度の最優秀長編賞。) その辺の面ではさすがにおのずと期待はふくらみ、さらに冒頭のプロローグ、特殊な霊感を持つらしい老婆ノラ・ボーンスティールが、18世紀のインディアン災禍の被害者の娘ケイティの亡霊らしきイリュージョンを見るあたりから独特のゾクゾク感を見せてはくる。 キングやクーンツの全盛時代に、スーパーナチュラル要素を味付けに用いたローカルミステリかなという気分で読み進むと、群像劇風にカメラアイの切り替わる主要登場人物たち(ハーム、保安官事務所、リタの現在の家族。DJのハンクほか)の素描は実に丁寧に語られ、それなりに読ませ……はするのだが、話の進行が緩慢で物語の事件性、秘密度などもさほど感じられない。 一方で、土地のネイティブアメリカンとの因縁についてはかなり執拗に描かれ、アメリカ文学界ではこの辺がウケたんだろうなあ、という感じである(あ、あともうひとり主要人物として、民族歴史学者ジェレミー・コップのフットワークによる学術調査も相応の紙幅を費やして語られる)。 ただすみませんが、東方の島国の自分には、さほどその叙述に価値も興味も見いだせない。ごめん(汗)。 後半3~4分の1になって大きな事件が生じ、ようやくマトモなミステリらしくなるが、その頃にはどうにも読み手のこちらのテンションが下がってしまっていたし、一方で事件の構造も犯人も、登場人物がかなり多いわりにストーリーの進行がそれぞれのブロックのキャラクターごとで縦割りなので、じゃあ、真相はこんなで犯人はあの人だろうね、と推察したら、やっぱりであった。 う~ん。正直、ツライ。 読後に今回もTwitter(X)などで本書の感想を拾うと、傑作といっている人がいてビックリ(え~、どこが!?)。一方でAmazonでのレビューなどではそれぞれ☆三つで、やや不満めいた感想の方が目につく。うん、個人的には後者のリアクションの方に賛同。 結局この作者、現在ではまったく日本では忘れられてしまったようだが、さもありなん、という感じ。少なくとも大半の日本人とは縁が薄い作風だったのでは、と思う。 どうせなら、もうちょっと前述のジェイ・オメガものの方を翻訳紹介してほしかったなあ。いや実は本書(『丘を~』)の訳者あとがきでも、そっちの方も今後も出したい旨、言ってるんだけどね。たぶんこの作品『丘を~』自身が可能性の息の根を止めた気もする(汗・涙)。 今からでもワンチャンないですか? |