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[ ハードボイルド ] 百万ドル・ガール 私立探偵ジョー・ピューマ |
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ウイリアム・キャンブル・ゴールト | 出版月: 1966年01月 | 平均: 6.00点 | 書評数: 1件 |
東京創元新社 1966年01月 |
No.1 | 6点 | 人並由真 | 2021/01/19 06:17 |
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(ネタバレなし)
1950年代のロサンジェルス。「わたし」こと私立探偵ジョー(ジョゼフ)・ピューマは高利貸しウィリズ・モーリスから、彼が金を貸した相手で28歳の女性フィデリア・シャーウッド・リチャーズを捜すよう依頼を受けた。フィデリアは2回の結婚歴がある、今は独身の美女。彼女は30歳になれば、ゆかりの富豪の遺産300万ドルを相続する予定の身上だった。フィデリアを難なく見つけたピューマ。だが彼は彼女に会う際に、その場に居合わせたゲイの男ブライアン・デルシーと成り行きから争いになった。しかし大事には至らず、フィデリアと意気投合したピューマはそのまま男女の関係となる。そして翌朝、二人のすぐそばには、あのブライアンの射殺死体が転がっていた。 1958年のアメリカ作品。全部で7本の長編が書かれた私立探偵ジョー・ピューマシリーズの第三長編で、唯一の邦訳。 本国ではそれなりの人気と文壇での地位を獲得しながら、日本ではほとんど評価に恵まれなかったミステリ作家というのはいつの時代もいるもので、50~60年代の米国ハードボイルド系のなかでは、このウイリアム・キャンブル・ゴールトなどその筆頭格のひとりだろう。 (なお作者名のカタカナ表記は、パシフィカの叢書「名探偵読本」の一冊「ハードボイルドの探偵たち」などでは「ウィリアム・キャムベル・ゴールト」。実際の創元文庫の表紙周りでは「ウイリアム・C・ゴールト」標記で、さらに文庫巻末では厚木淳が「ウイリアム・キャンブル・ゴールト」と表記しているので、本サイトでの名前登録もその解説のものに倣った)。 それでゴールトといえば、20世紀のアメリカミステリ文壇ではそれなりの大物だったはず。なにせ史上最初のMWA本賞の受賞作家(当時は処女長編のみが受賞対象だったが)だった。にも関わらず、その該当作品はいまだもって日本には未訳である。 さらに看板キャラといえるレギュラー探偵も二人創造したが、その片方の私立探偵ブロック・キャラハンものの方は、現在でも翻訳がない? ハズ。 そしてもうひとりのレギュラー探偵であるこのジョー・ピューマも、短編なら「日本版マンハント」にのべ4本が掲載されたものの、長編の翻訳はとうとう、今回ここでレビューする『百万ドル・ガール』一作きりで終わってしまった(……)。 さらに1980年代以降に海外から聞こえてきた噂では、晩年の作者ゴールトは手持ちの看板キャラである二大探偵のジョー・ピューマとブロック・キャラハンの世界観をリンクさせ、キャラハンに、ピューマの最期を看取るか、あるいはその死の事情に関わり合うか、させたらしい。 つまりシリーズミステリの趣向でいうなら、クラムリーのミロとスールーの先駆みたいなことをやっていたというか、はたまた『カーテン』にミス・マープルが乗り出してくる(あるいは『病院坂』に由利先生が顔を出す)みたいなオモシロイことをしていたわけで……。ああ、今からでもその晩年の作品だけでも、日本語で読んでみたい! で、まあそういう意味で貴重な(?)唯一の邦訳長編のジョー・ピューマ活躍譚が、この『百万ドル・ガール』。 ぶっちゃけ評者の場合、前述の日本版マンハント(古書店でかき集めた)でピューマ登場編を何本か嗜み、それなりに面白かった記憶がある。しかし具体的にどんな話だったか、どこがどう面白かったか、などは、すっかり忘却の彼方。 (まあ大昔に翻訳ミステリ誌で読んだ短編、それもシリーズものなんか、そういうパターンのものはザラだけど。) で、この『百万ドル・ガール』も、大昔に読んだかどうかすらはっきりしない。たぶんコドモの目線で読み飛ばして忘れているか、それとも唯一の邦訳長編ということでモッタイナイと思い、そのままいつのまにか21世紀になってしまったか。うん、どっちもありうるな(笑)。今回は、たぶん後者っぽい。 というわけで、数ヶ月前にwebで古書が安く売りに出てるのを見かけ、懐かしくなって購入(たしか買ってあるハズの本が見つからない)。 そして、このたびの本サイトの新装開店記念を個人的に祝うつもりで、ある意味で<とっておきの一冊である>これを読んでみた。 例によって前説が長くなったが、まあ、そういうワケである(笑)。 ……で、一読しての感想だが、うん、決してつまらなくはないが、やや微妙な出来。 改めて付き合ってみて、主人公のピューマ当人は50年代のハードボイルド私立探偵キャラとして結構悪くないと思う。秘書もいないビンボーっぽい探偵ライフだが、お金の稼ぎ方には一定の矜持を持ち、ワイズクラックの吐き出しぶりや警察との距離感などのスタイルもかなりきちんとしている。内面を小出しにするキャラの見せ方も信頼を預けられる感じでいい。 くわえてイタリア系の出自に誇りを持ち、面識のある警官レプケ巡査部長に「イタ公」と侮蔑されて激怒して手を出す(ただし、のちに和解)。そんな不器用な人間臭さにも好感がもてる。 これなら一級半のハードボイルド私立探偵キャラとして、本国でもたぶんフツーに人気はあったろうな、と思える。 ただし本作は、ミステリとしての造りがちょっと。 いや、計画的な犯罪の真実と、その流れに関わり合う探偵のポジションは悪くない(一番近い感じでは、A・A・フェアの諸作あたりの、謎解き要素がそれなりにある私立探偵小説みたいなムード)。 だがそれが、ピューマの強面な一面とうまく折り合っていない感じというか。 特に後半なんかもっと<いろんなところ>で、もうちょっとパッショネイトになればいいのに、ミステリとしてのタスクを消化するために、キャラクターの頭が妙に冷えすぎてしまっているような感じだ。ラストなんか<そういう方向>に行くのは最終的によしとするにせよ、この道筋で決着するのは、なんか違うのでは? という気になった。 (全般的に曖昧な物言いで恐縮だが、たぶん、本作の実物を読んでもらえれば、言っていることが通じてもらえる……だろう?) いろんな意味で、ピューマシリーズがこの一本だけしか長編の翻訳がないというのがじわじわ来る。なんかもうちょっと冊数を読めば付き合い方が見えてくるのに、そこに至るのがむずかしい感じなんだよね。 とはいえ創元文庫の厚木淳の解説を読むと、シリーズの中から面白そうなものをみつくろってコレ、だったようで、その選球眼がもし確かならアレ……ではある。 ただし作中には以前の事件についてのものらしい述懐(さらにその中で深く関わったヒロインの話題)とかも何回か出てきて、いかにも作者ゴールトは、この作品を連続シリーズの一環として読んでほしい、みたいな気配もあった(クェンティンのアイリス&ピーターシリーズみたいな雰囲気だ)。 そういった趣や、さらに、先述した<ハードボイルド私立探偵小説>と<ミステリ部分>の折り合いの面も踏まえて、これ(本作『百万ドル・ガール』)は、もしかしたらシリーズの中でもやや異質な一本だったんじゃない? とも思えるところもなくもない。だから長編これ一本でものを言うのが、どうもやりにくいんだよ。 今から未訳のものを発掘してほしい、とは強く言えないんだけれど、万が一奇特な翻訳家や版元が気が向いてくれることでもあるんなら、それは大歓迎というところ。 (しかしシェル・スコットの未訳分やバート・スパイサーあたりを論創さんが発掘してくれていた数年前は、ホントにイイ流れだったねえ。) |