皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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[ SF/ファンタジー ] 闇よ落ちるなかれ |
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L・スプレイグ・ディ・キャンプ | 出版月: 1970年01月 | 平均: 9.00点 | 書評数: 1件 |
早川書房 1970年01月 |
早川書房 1977年08月 |
No.1 | 9点 | 人並由真 | 2019/10/03 17:53 |
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(ネタバレなし)
1939年のローマ。アメリカ人で31歳の歴史学者マーティン・バッドウェイは落雷に打たれ、気がついたら西暦535年の帝政ローマ末期の世界にいた。各宗教派閥の陰湿な闘争、熾烈化する領土紛争、そして何よりも未成熟な科学文明。帝国崩壊後のローマはこのあと数世紀に及ぶ、地動説も進化論も置き去りにされた文明の暗黒時代を迎えるはずであった。我が身一つでこの世界にタイムスリップしたバッドウェイは、自分が修学した20世紀の知識と教養をもとに、もうひとつの新たな歴史の歩みを生み出そうと試みるが。 1907年生まれのアメリカの作家L・スプレイグ・ディ・キャンプ(ディ=キャンプ)が1939年に、新妻キャサリンにハネムーン旅行を延期してもらいながら書き上げた長編。「アンノウン」誌(「ウィアードテールズ」に次ぐアメリカ第二のSF&ファンタジー雑誌らしい)に同年から1941年まで二年間かけて連載ののち、1941年に書籍化された。 史上初のタイムスリップもので歴史関与ものの嚆矢といわれるマーク・トウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』へのリスペクト作品とも言われるが、評者はそっちはまだ未読なので比較はできない。 今回は、先日読んだ豊田有恒の今年の著作『日本SF誕生─空想と科学の作家たち』に本書の話題が登場し、楽しめそうな内容だったので手に取ってみたが、いや、最高級に面白かった。 西洋史についてはマトモな知識などなく、あのテイの『時の娘』すらとても十全に楽しめたとは言いがたい(そのうち再読してみたい気はあるが)評者だが、本作の場合、古代のローマ世界の中での主人公の立ち位置の変遷、20世紀から持ち込んだ技術と知識のどれがそのまま実践として生きて、どれがまったく役に立たないかの書き分け、さらには主人公バッドウェイが出会う数十人の多種多様なキャラクターたち。そんな小説要素の積み上げがSFというよりは、変化球の史劇ロマン&合戦小説として練り上げられ、正にひと息に最後まで読み終えてしまう。 ちなみに評者はSF分野の作品群を多少は読んでいるものの、大系的にジャンルの形成を認識している訳ではないので「タイムスリップして過去の世界に干渉すれば、そこからパラレルワールドが生まれる」という概念がいつ欧米の作家勢に定着したのかは知らない(しかしこのコンセプトそのものは、21世紀の今では、もう日本人の多くが知っているだろうね。『ドラゴンボール』人造人間編などのおかげで)。 本作が1941年と意外に古い作品だったことを知った時はちょっと驚き、もしかするとダイレクトにバタフライ効果で一本筋の過去と未来が相関する設定かなとも思ったが、実のところ、序盤から21世紀の現代にも通じるパラレルワールド(歴史から枝分かれする世界)の概念が導入されていて軽く驚いた。 まあちょっとしたSFファンなら、この時代(1940年前後)にもうこんな作品が書かれていたことなど、常識の範囲なのかもしれないが。 なお、本書(早川文庫版)のあらすじや、先の豊田の著作での記述とかを読むと、主人公バッドウェイはもっと真剣に親身に、ひとつの世界線(歴史の時間の流れ)のなかで人類の科学文明が停滞してしまう「暗黒時代」が来ないようにするため、あれこれ画策するのかとも思った(だからこそ、この壮大な邦題であろうと)が、実際にはもうちょっと、古代ローマ帝国のなかで自分が居心地のいい場を作ることを優先しながら動く感じで、その辺はなんか予見と違った。 とはいえだからといって主人公の魅力やウェイトが軽くなるわけでは決してなく、彼が出会う当時の人間の中には本当に愛すべき人物もいれば、くだらない腹黒い連中も、良い奴ではあるが堅物な面々もいて、そんな雑多な人間関係のなかで生き抜くために少しずつスレていき、そしてそんな自分のありように苦笑する主人公バッドウェイの描写には、すごい親近感を覚える。本当にやむをえない場合は殺人や合戦にも応じるが、できるかぎりは他者の殺傷なんかしたくないという普通人らしい心情も、なじみやすい。 異世界にいきなり放り込まれた主人公が持ち前の知識や情報でチートになる、というのは21世紀のコミックやラノベの諸作群(『Dr.STONE』だの『百錬の覇王と聖約の戦乙女』だの)にも脈々と受け継がれる王道のエンターテインメント作劇とは思うが、これはそのクラシックにしてユーモアとテンション、ドラマ性とペーソス、そのすべてにおいて気の利いた名作。 あー、とても面白かった。 |