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ミステリの祭典

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百年祭の殺人
ジェフリー・ブラックバーンシリーズ

作家 マックス・アフォード
出版日2013年05月
平均点5.33点
書評数3人

No.3 6点 nukkam
(2014/09/02 17:34登録)
(ネタバレなしです) ラジオドラマの方が本業で、数学者ジェフリー・ブラックバーンを名探偵役にしたラジオドラマが600作を越えるのに対して推理小説の方は非常に数が少なく、10作にも満たない作品を残したに過ぎないオーストラリアのマックス・アフォード(1906-1954)が1936年に発表したミステリー小説デビュー作が本書です。密室や猟奇的な殺人といった派手な設定の割には演出は抑制されており、複雑な事件背景を丁寧な推理で説明することに力を入れています。論創社版の巻末解説では「クレイトン・ロースンとエラリー・クイーンの魅力を併せ持つ作家」と評価していますが、奇術的でアクロバティックなトリックの多いロースン作品に比べると本書はトリックに無理がなく(但しサプライズもありませんが)、論理性重視の本格派推理小説になっています。生々しい残酷表現を全く使っていないところは個人的には歓迎ですが人物描写や舞台描写もほとんど配慮されておらず、プロットが淡白過ぎて小説としての面白みに欠けるのは弱点です。

No.2 4点 おっさん
(2013/07/19 11:05登録)
オーストラリアの著名なラジオ・ドラマ作家マックス・アフォードにとって、小説執筆はあくまで余技だったのでしょうが、それでもその生涯に、6作のマイナーな長編ミステリを残しています。
うち、特に、イギリスのミステリ愛好家ロバート・エイディが労作 Locked Room Murders and Other Impossible Crimes にリストアップした最初の4作は、内外の本格ミステリ好きにとって、関心をそそられる存在でした。
バリバリの本格ミステリ・キッズにして密室フリークだった、若き日の筆者にとっても、それは然り。
なかでもオカルト趣向で面白そうな Death's Mannikins というのを頑張って入手したら(古書価、高かったです、ハイ )、なんと『魔法人形』として邦訳が出たのも、苦い、もとい懐かしい想い出です。
その後、アメリカの Ramble House がアフォード・ミステリを全作復刊してくれましたが・・・国書刊行会の『魔法人形』を読んだら、なんだか憑き物が落ちたようになってしまって(悪い作じゃないんですけどね)、しいて原書をコンプリートする気にもなれず、今日にいたります。
本書は、そのアフォードが1936年に発表した、ミステリ第1作。

傷心のドイツ人医学生が、新天地オーストラリアで奇妙な求人広告に応じ、辺境の館を訪れる謎めいたプロローグから、ストーリーは一転。
市制百周年を記念してにぎわうメルボルンの、とある高級アパート。その八階の、鍵のかかった事務室から、片耳を切り取られた判事の刺殺体が発見される。
ロンドンから赴任したリード主席警部が事件を担当することになり、百年祭にあわせてこの地を訪れていた、親友の忘れ形見にして切れ者の数学者である、ジェフリー・ブラックバーンを非公式アドバイザーに、この猟奇的な密室殺人を捜査していく。
犯行当夜、現場への出入りが目撃されていた、怪しい黒ひげの男。被害者が所持していた、新聞の切り抜きから浮上する、新たな容疑者。繰り返されるディスカッション、にもかかわらず解明の曙光が見いだせないまま、事件は次のステージへ。
刺されたうえ今度は右手を切断されて見つかったのは、さきの判事とは何のつながりも無さそうな、青果店のオヤジだったが――犯行現場はやはり密室を構成し、そこにも黒ひげの男が怪しい影を落としていた・・・

う~ん、頑張ってるはいるけど、習作だなあ、という感じ。
とりあえず、小説的な膨らみはまったくない。プロローグこそ、多少の荒涼感は出ていますが(つかみはOK)、本篇に入ると、百年祭でにぎわっているはずの、メルボルンの町の雰囲気など微塵も感じられません。完全に訳題負け(原題は、含みのある Blood on His Hands!)していますw
キャラクターも、主役クラスを含めて、平板な連中が(例外的に存在感があるのは、強引に事件に介入する女性記者くらいかな)作者の都合で、ただ駒のように動かされているだけ。

となると、あとはもう、本格ミステリとしての演出、プロットの出来だけ、ということになります。
実作者・大山誠一郎氏の解説「ロースン+クイーン」(キャッチ・コピーとしてうまいなあ。“オーストラリアのJ・D・カー”より、ずっと本質に迫っているし)は、戦略的にそこに焦点を当てた技術解剖で、マニアなら要注目の内容です。
ただ、作者の論理と探偵の論理に着目しながら、肝心の犯人の論理の検討をスルーしているのは、いただけません。どうせ真相に踏み込むなら、そこまでやらないと。

いちおう論理的に解明されたはずなのに、矛盾や説明不足が多々あって、犯人の視点から事件をうまく再構成できないのが、本書の一番の難点だと筆者は考えます。
要はこの犯人、何を考えてたんだよ、ということ。
判事殺しだけを見ても――
あの品物を凶器に選択するのは、犯行の精度を低めるだけですし、煙草の吸殻をめぐる偽装工作にも、メリットが感じられません。
密室トリックも然り。アクシデントにより、窓への誤誘導が無理になった時点で、ドアの鍵をアレする必要はまったくナシ。現場が密室になってしまったら、当然、警察はトリックを考えます。となると、犯人の用いた方法が検討される可能性は(なぜか本篇では見落とされましたが)覚悟しなければなりません。すると必然的に、容疑者が限定されます。
普通に殺せば(発見を遅らせたいなら、ドアを外から施錠して立ち去り、使った鍵はどこかへ捨てるだけでいい)、この犯人がクローズアップされることはないはずなのに、なぜわざわざ密室をつくって、自分の首を絞めるのでしょう?
その他もろもろ、犯人の異常性を“免罪符”にするのは、ズルイですよ。

さて。
第二の殺人の歪み、そしてイレギュラーな第三の殺人から解明にいたる経路は、なかなか面白く組み立てられていますし、例のプロローグが終盤にからんでくる構成も、効果をあげています。アフォードのプロット・メイカーとしての才は、充分わかるのです。
ただ、さきにも指摘した「平板な連中」を「作者の都合でただ駒のように動か」す、筆力の不足がはね返って、(血の通った)キャラでなく(記号としての)駒なら、どうあつかおうと自由自在だよな~と思えてしまうのは否めません。
次作の『魔法人形』は、そこまで粗が目立たなかった記憶がありますから、このへんはデビュー作ゆえの未熟さ、でしょうか。

こうなると、最高傑作の誉れも高い、3作目の The Dead are Blind あたりも、読んで確認しておきたいですね。
本格ミステリ・ファンの成れの果てとして、最後の一冊まで付き合いますから、是非、日本の Ramble House を目指してください、論創社さんw

No.1 6点 kanamori
(2013/06/23 18:24登録)
密室状況で連続して発生した死体損壊の猟奇的殺人事件の謎に、若き数学者ブラックバーンが挑む本格パズラー。”豪州のディクスン・カー”とも称されるアフォードのデビュー作です。

探偵役ブラックバーンの人物像や、事件が進展するごとにリード首席警部と交す推理の手法などは、ディクスン・カーというよりエラリィ・クイーンを髣髴とさせるところがあります。
二つの事件現場の見取り図の掲載、第一部の終わりに事件のおさらいと手がかりの整理、”ココ重要ですよ”とばかりの文章に傍点など、本格ミステリ読みの琴線に触れる趣向が盛りだくさんで楽しめました。
トリックに独創性がみられない点と、ロジカルのようで実はそれほどロジカルとはいえない探偵の論理展開がやや減点材料。

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