重罪裁判所のメグレ メグレ警視 |
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作家 | ジョルジュ・シムノン |
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出版日 | 1977年10月 |
平均点 | 5.33点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 6点 | クリスティ再読 | |
(2024/07/13 17:26登録) まあ確かに意外性とかないんだけどもねえ。 しかし、この小説は「ミステリ」として見たときには、かなりの破格があるようにも感じるんだ。 メグレは自分が捜査した二重殺人の被告の証言のために、重罪裁判所に赴いた。重要な物証はある。動機もある。でも...メグレは疑問を隠すことができずに、被告の額縁職人ムーランに有利な証言をする。はたして裁判は証拠不十分で無罪。メグレは関係者の動向に注目し続ける... こんな話。いや無罪をメグレが証明する話ではなくて、裁判後の額縁職人のムーランにスポットを当てて描くという、「ミステリの書法」を意図的に無視したような書き方の小説になるんだ。まあもちろん、捜査としてどうよ、というような批判はあるのかもしれないけど、そういう辺りを含めて「メグレ」なんだよね、とも感じる。 いやかなり「ヘンなミステリ」をそう感じさせずに読ませるシムノンの筆の達者さというものが、批判を許さないレベルに達しているということなのかもしれないや。 |
No.2 | 5点 | tider-tiger | |
(2014/06/01 13:31登録) この作品は自分がメグレ警視シリーズをはじめとするシムノンの作品を好きになる切っ掛けとなった作品です。 小説としては7点をつけたい、が、ミステリとしては3点か4点。大好きな作家だけに切ない……。 容疑者はガストン・ムーラン。伯母とその養女(のようなもの。洒落ではなくまだ幼女)を殺害したとして告発されます。 そして、いったん釈放されたムーランはメグレ警視が自分を泳がせていると信じています。自分に食ってかかるムーランにメグレはこんなことを言います。 「私は(君が殺人を犯したのかどうかは)知らんよ。だが、きみがやったのではないとは確信している」 ※この「私は知らない、が、~と信じている」という物言いはメグレ警視の十八番です。 ムーランが犯行を成し遂げるにあたって、子供を巻き添えにする必然性はなかった。ムーランは子供を理由もなく殺すような人間ではない。メグレはこのように考えたのです。 何頁かを割いて二人のやり取りが展開されます。交わされる言葉は平凡ですが、実は奥深く味わい深い。私は魅了されました。 「おまえは子供を殺すような人間ではない、だから、おまえは犯人じゃない」ミステリを期待して読まれた方には???な論理だと思います。メグレはあまり推理はしません。アリバイを崩したりトリックを見破ったりもしません。経験と洞察をもって被害者や加害者の人物像を組み立てていきます。その過程がたまらなく面白いのです。が、これはミステリを読む愉しみとは少し違うかなあと。 シムノンは素晴らしい作家だと思いますが、ミステリとして売るのは間違っているような気がします。 |
No.1 | 5点 | 空 | |
(2011/12/07 20:42登録) 前作『メグレの打明け話』では裁判で人を裁くということがテーマにされていましたが、本作でもその問題が再度取り上げられ、裁判になると、事件関係者はもう現実に生きている人間ではなくなり、「非人格化された世界」「不変の典礼による儀式」になってしまうことが述べられています。 と言っても、今回の事件の中心は判決確定後。裁判所のシーンは冒頭に置かれていて、メグレによる事件の最新情報証言により、被告人は結局証拠不十分で無罪になるのです。家に帰った被告人とその妻を、メグレは監視尾行させます。その結果がどうなるかということなのですが、結末はちょっともの足らない感じです。もちろん意外性を求めるような作品ではないわけですが、それでも哀しみがもうちょっと盛り上がるようにできなかったかな、という気がしました。 なお、本作ではメグレも定年が2年後に迫ったという設定ですが、シリーズはまだまだ10年以上続きます。 |