溺死人 |
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作家 | イーデン・フィルポッツ |
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出版日 | 1984年02月 |
平均点 | 6.67点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 7点 | 弾十六 | |
(2022/08/01 23:06登録) 1931年出版。橋本さんの翻訳はいつものように端正でした。 政治談義が非常に多くてちょっとげんなり。フィルポッツがゴリゴリの保守なので、まあこういうのは小説ではやめて欲しいなあ、と思ったら、結構、ラストで上手くまとまる。ああ、この時事(ジジイ)放談(フィルポッツ、当時69歳)の積み重ねも全くの無駄では無かったのだなあ、とちょっとだけ(本当にちょっとだけだが)感心した。この頃は労働党政権が誕生してみんな不安だったのだろうし、と大目に見たい気もする。ここら辺の議論が保守派の本音だったのだろう、とも思う(今度の戦争では英国なんて負けちまった方が良いのだ!と無茶苦茶を言っている)。 ミステリ的には本作の傷は大きく二つ。一つ目は第5章p116あたりの登場人物の行動。二つ目は第6章p136あたりの反応。まあここを越えれば後はスルスル行くはず。 私は素人探偵をいかに成立させるか、という工夫が気に入って、その二つの傷も、ここでうるさく言っちゃうとオハナシが盛り上がらんべえ、と雑に心を納得させました。欧州ではつい先日大きな戦争で非常に傷ついた訳だし、主人公と見守る友人は戦火をくぐり抜けた中なのだから、ドライな現代の人間関係では押し測れないものがあるはずだ。 論理で解決ではなく、流れで進んでいくのがロジック派には不満だろうが、構成は非常に良いと思う。 ただし小説の腕は全然感心しない。フィルポッツさんが若きアガサさんの習作小説を読んで、その会話を褒めた、というエピソードが知られているが、自分が不得手だったから、特にそこが気に入ったのだろう。 トリビアに行く前に、しばらく調べてやっと気づいたタイトルの意味を解説しておこう。“Found Drowned” 初版をみると引用符付きである。実はこの表現、水死のインクエストの結果を知らせる時の新聞の決まり文句で『評決は「溺死と認定」された』ということ。動詞findはインクエストの陪審員が「事実として認める、宣告する」の意味。辞書には「評決する, …と判決を下す」とある。インクエストの性質上、本来は自殺なのか、他殺なのか、事故なのか、を評決しなければならないのだが、「死んでいるのは」確実だが、その死に至る経緯が提出された証拠や証言から判断できなければ(特に溺死体はそういう事が多いのだろう、検索するとverdict of “Found drowned”という用例はかなり多かった)、ただ死んだことだけをもって評決とする場合がある。(verdict of “Found dead”という例もあり) つまりこれはopen verdictの一種なのだ。 以下、トリビア。原文は残念ながら入手出来ず。 作中現在はp201、p13から1930年10月初旬から始まる。 英国消費者物価指数基準1930/2022(72.65倍)で£1=11752円。 p8 ロンブローゾ◆時代遅れの科学。 p8 集団テスト p11 殺人物やミステリ p12 ダレハム◆いろいろ探したが、架空地名のようだ p13 海軍の軍人ふうの顎ひげ p13 十月初旬 p14 バンジョー p14 砂絵描き p14 かつて非常に有名だったミュージック・ホールの俳優--「白い眼のカフィル人」といわれたチャーグィン◆ G. H. Chirgwin(1854-1922)“the White-Eyed Kaffir”のこと。英Wikiに写真付きで項目あり。「白い眼」ってこういう事か! p17 検死審問(インクエスト) p22 リヴァートン◆いろいろ探したが、架空地名のようだ p25 「溺死体で発見さる」という評決 p26 検死審問のあいだに、こっそりあの死体を調べてみた◆検死審問では傍聴者が死体を観察する機会もあったようだ。 p41 ロープ◆これは何だろう。二度と言及されないのだが… p41 九月の時刻表◆作中現在は10月。本当は8月下旬の鉄道時刻表を調べたいところだが、手近にあった前月のでとりあえず確認した、という事か。 p42 三マイル先の有名な海水浴場◆南デヴォンらしいのでExmouth BeachかBlackpool Sands Beachあたりか。よく調べていないので適当です… p43 自動車の出現 p46 八月二十七日◆事件の日 p47 正面に国旗をつけたとんがった帽子◆イメージがさっぱり湧かない… p47 レッドチェスター◆いろいろ探したが、架空地名のようだ p48 一等の切符代は10シリング◆おそらく距離15マイルの運賃 p48 ブラッドベリ紙幣◆「訳注 1ポンド紙幣」財務省の当時の事務次官John Bradburyのサインが入っていたことから。作中現在の紙幣は1928年以降なので£1 Series A (1st issue)、緑色、サイズ151x84mm p52 独力で出世した男◆ここら辺、全く同意 p52 ペーシェンス◆トランプの一人占い。 p55 ヨット乗り用のひさしつきの帽子 p59 色の浅黒い◆多分dark(黒髪の) p60 電話室◆屋敷内の p61 どなたにおかけですか◆相手の名前を聞いていない。これがマナーだったのか。 p69 一ペンス半◆切手代。Three halfpence、当時の封書の郵便代の最低額(2オンスまで) p69 パンを水の上に投げると、ずっと後になって、それを得る… 「伝道の書」の教え◆ (KJV) Cast thy bread upon the waters: for thou shalt find it after many days (Ecclesiastes 11:1) 文語訳「汝の糧食を水の上に投げよ 多くの日の後に汝ふたたび之を得ん」 p76 お古のオーバー… 5ポンド p79 プリマス… 三つの町の合併◆訳注 1914年にプリマス、デヴォンポート、ストーンハウスの三つの町が合併してできた p81 二ポンド十シリングくらい◆バンジョーの値打ち p87 ジェイムズ・マクラレン… アーチボールド・トムキンス… ダンテ・ロセッティ… ベートーヴェン・スミス◆James McLaren, Archibald Tomkins, Dante Rossetti, Beethoven Smith… 綴りは適当だが、思い当たるのはDante Gabriel Rossetti(1828-1882)くらいか。 p88 マウント・エッジカム・ホテル◆Mount Edgecombe Houseはプリマスの史跡。ホテルは架空のものだろう。 p88 新たに建設されたエディストーン燈台◆Eddystone Lighthouse、1882年に建てなおされたもの(四代目)。 p88 スミートンの旧燈台◆ John Smeaton(1724-1792)がデザインしたエディストーン燈台の三代目で、1884年に移築されプリマスの史跡(Smeaton's Tower)となっている。 p98 ホルストの『惑星』◆1916年発表。私の世代だと冨田勲ヴァージョン(1976)を思い出してしまうよね。 p115 一ポンド十シリングにあたる六枚の紙幣◆これは誤訳だろう。話の流れから少なくとも二枚の1ポンド紙幣があったはず。当時の少額紙幣(英国財務省発行)は1ポンドと10シリングしかない。高額紙幣は5ポンド以上で英国銀行発行の白黒印刷。原文は「1ポンド紙幣や10シリング紙幣が合計六枚あった」だろうか。高額紙幣とは明らかにサイズが異なり、印刷もカラーなので、ハッキリ区別できる。 p115 十ポンド紙幣◆英国銀行発行のWhite Note、裏は無地。サイズ211x133mm p117 紙幣にはナンバーが p128 成り上がり者… ダイヤの指輪… 派手な靴下 p138 ロージェイ◆Peter Mark Roget(1779-1869)英国人の辞書編集者。現在ではロジェで通用しているが、Wikiの発音記号を見ると英国式では「ロジェイ」が正しいのだろう。 p147 グレート・ウエスタン・ホテル◆鉄道会社が建てたロンドンの有名なホテル。 p148 ユダヤ人らしかった p149 一ギニー◆骨董屋の値段の単位はギニーなのかな?(贈り物に使われるから?) p149 放送 p156 前の大法官と今度の大法官◆1929年6月に交代。Douglas Hogg, 1st Baron Hailsham(1872-1950)からJohn Sankey, 1st Baron Sankey(1866-1948)へ。大法官も内閣の一員なので、この交代は保守党政権から労働党政権に変わったことによるもの。 p165 合法的に離婚 p172 普通の人たちはリューマチの痛みを痛風と言うことが多い p193 一ドル賭けても◆ここは「1ポンド」の誤りだろうか。 p195 五シリング p201 一九三◯年 p203 五パーセントの利息◆当時の普通の利率なのだろう。 p261 ルカ伝の伝道者たち p273 貴族の方々の消息は新聞に載る p293 ヴィクトリア女王… われわれはおもしろがってはいないのだ◆このセリフは『キャッスルフォード』(1931)にも出てきた。原文は“We are not amused” 王宮での夕食の席で、いささかスキャンダラスで不適切な話を聞いた後、女王が言ったとされる言葉。出典はCaroline Holland “Notebooks of a Spinster Lady”(1919) |
No.2 | 7点 | 斎藤警部 | |
(2016/02/09 16:12登録) 何たる凄み、終わりの一文。 この結末、更に一ひっくり返しを求める人には肩透かしかも知れない。私にはこの終わりが衝撃だ。 今の不穏な時代背景あればこそ、かも知れない。 それにしても演説に満ちている。熟考を良しとする進歩的保守派のそれだろうか。語り手と友人の会話文に、地の文(作者の主張)としか見えない所が多過ぎて笑う! 知的でリーダビリティの高い 要点とユーモアだけの饒舌は本当に素敵だ!まるでディベート中継を浴び聴いているような、激しくも論理と感性に忠実な陳述の応酬よ! かと思うと‘朝日には冷笑的な傾向があり云々’なんてチャンドラーもどきの警句や皮肉、それらをすり抜けると、癒しの心地よい水圧が充満だ。 ラスプーチン暗殺が数年前の出来事って!! 第二次世界大戦の不可避を1931年に語る!! さて犯罪物語は、発見された溺死人が誰か、という当初の大前提が呆気にとられるほど早い段階で軽やかにひっくり返る。嗚呼。 何気なく容疑者のラインナップが豊かなのは愉しきこと。そして真犯人の立ち位置の意外なこと(十戒だか何かに触れている?)。何なら被害者の扱われ方も驚きの大胆さだ。 登場人物表にも出てこないウィルソン夫人の何たる深い癒しよ。。。。 やはりこの作品は、フィルポッツの饒舌な優しさを思い切り浴びるためにあるのだと思います。そして、気持ちよく浴びるためにはやはり適量の本格ミステリ興味が必要。 1931年の作品に”LSD”が登場したのはびっくらこきました。 しかし「ベートーヴェン・スミス」って!! 世界のどこかのミステリサイトで誰かがこっそりハンドル名にしている事を期待します。 ところで「デキシニン」ってちょっと「ロキソニン」とか「ブロバリン」の仲間の、薬の名前みたいですよね。 だけど語り手の医師がね、どことなく胡散臭い所あるんだよね。それがまた人間らしい味でね。 |
No.1 | 6点 | Tetchy | |
(2014/11/03 19:19登録) フィルポッツと云えば21世紀現在でも古典ミステリの名作として『赤毛のレドメイン家』を著した作家としてその名を遺しているが、実は彼にはそれ以外にもミステリの諸作があって、本書は私が前出の作品を初めて読んだ大学生の時には既に絶版で長らく手に入らなかった1冊である。実に初版から30年経ってようやく復刊フェアにてその姿を手にすることが出来た。 報われない人生を歩んできた一介の旅芸人が自殺のために訪れた断崖の洞窟で別の溺死体を発見したことがきっかけで、死者に成りすまし、別の人生を送る。よくある、特にウールリッチの諸作に見られる設定の本書で、特に目新しさは感じないが、これがまず1931年に書かれたことを考えると、いわゆる身代わり殺人というモチーフの原型ではないかと思われる。 しかしそんな入れ替わりも早々に破綻してしまう。なんと4章目にして失踪者ジョン・フレミングは追跡者メレディスによって発見されてしまうのだ。全12章のたった1/3を過ぎたあたりだから、これはかなり早い段階だ。 そしてそこから新たな謎が生まれる。ではジョン・フレミングが成り替わった死体とは一体誰の死体なのか?そしてなぜ彼がダレハムの断崖で亡くなっていたかとさらに謎が重なってくる。たった300ページ弱の厚みに謎の連鎖が詰まっている。 しかし最後まで読むと本書はミステリなのかと疑問を抱えてしまう。上に書いたように確かに謎は連鎖的に連なっていくが、肝心要の溺死人を殺害した犯人は探偵の推理ではなく、犯人からの自白で判明する。 そして最終章の章題は「われわれも、おもしろがってはいないが」と掲げられている。これはつまり人の死をミステリと云う謎解きゲームの器に盛ったミステリ作家たちは罪を犯すことの意味という最も根源的な事を忘れて、知的ゲームに興じているのではないかという作者からの警句なのだろうか。 これは誰も裁かれない物語だ。いや唯一裁かれたのが溺死人であった。つまり被害者自身のみが裁かれるべき者であったという実に特異な物語だった。 本書の原題は“Found Drowned”。つまり『溺死人発見』が正確な意味だが、溺れた者とはミステリというゲームに溺れた作家たちを指すのかもしれない。 本書で唯一裁かれたのが被害者であり、人に害なす恐喝者を始末した殺人者は善悪の観点から裁かれずに終わる。これはフィルポッツが犯罪とは一体何なのかという原理原則を問うた作品ではないか。犯人を解き明かすことだけが犯罪を取り扱うミステリの使命ではないと謳っているように感じられてならない。そう考えると本書の題名はミステリ作家に対して何とも痛烈に響くことか。 本格ミステリの雄であるエラリイ・クイーンがロジックとパズルに淫した後に行き着いた先を既にフィルポッツは1931年の時点で警告していたと考えるとやはりこの作家は『赤毛のレドメイン家』のみで語られるべき作家ではない。文豪はやはり文豪と云われるだけの深みがあることを再認識させられた。 |