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ミステリの祭典

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IT

作家 スティーヴン・キング
出版日1991年11月
平均点7.33点
書評数3人

No.3 7点 zuso
(2021/02/03 19:38登録)
舞台はアメリカの田舎町デリー。1958年、町から次々と子供たちが消える。犯人はピエロのお化けペニーワイズ。「それ」は大人には見えない。「それ」は子供に恐怖を与えることで美味にする。そして「それ」は美味になった子供たちを食べてしまう。
少年少女が直面するのは、ピエロに姿を変えた成長恐怖。子どもたちだけで、信じ協力し合って乗り越える、十代の通過儀礼の物語。

No.2 7点 Tetchy
(2019/01/25 21:48登録)
少年時代は忘れ得ぬ思い出がいっぱい。良い物も忘れたいような悪い物も全て。本書は自分のそんな昔の記憶を折に触れ思い出させてくれ、そしてその都度私は身悶えするのだ。羞恥心と未熟さを伴いながら。

ところでキングの短編に「やつらはときどき帰ってくる」という作品がある。
それは高校教師の許に少年時代にいじめられた不良グループが再び当時の姿で舞い戻ってくるという作品だ。
28年前の悪夢との対峙を扱った本書は単にその時町を恐怖に陥れた怪物の対決のみならず、過去の自分とそして自分の忌まわしい過去との対峙でもある。
人は最悪の時を迎えた時、時が過ぎればそれもまたいい思い出になる、笑い話になる、そう願いながらその最悪の時をどうにか耐え抜き、やり過ごそうとする。何もかもが順風満帆な人生などはなく、そんな苦い経験、忘れたい屈辱などを経るのが大人になることだ。時がそんな負の思い出を浄化し、いつしか他人に語れるまでに矮小されていくのだが、そんな苦い過去を想起させる出来事が再び起きた時、それはつい昨日の出来事のように思い出される。
そして自問するのだ。あの時の自分と今の私は少しは変わったのか、と。

かつてとても怖かったいじめっ子と再び出くわすかもしれない恐怖、密かな想いを持っていた相手との再会。お互いそんなこともあったと笑って話せるほど、自分の中で折り合いがついているのか、と自分に問うことになる。
故郷に戻ることは即ち追いかけてくる過去に囚われることでもある。
但し過去は全て忌まわしい物ばかりではない。その時にしか得られない体験や友達が出来、それもまた唯一無二なのだ。

ビル、ベン、リッチー、エディ、マイク、ペヴァリー、スタン。この7人が、運命とも云える出逢いを果たし、仲間となるシーンが何とも瑞々しく、爽やかで無垢な人間関係が築けた私の少年時代の思い出を誘う。初めて出逢っても一緒に遊べばもう友達になっていたあの、楽しかった日々を。そして彼らが出逢った時にまるでカチッとパズルが収まるべく場所に収まったようなあの想いもまた、仲間としか呼べない強い結び付きを感じさせるあの瞬間を思い出させてくれる。そう、私にもそんな時期が、そんな出逢いがあったことを。

さてそんな彼らが対峙する“IT”とはどのような怪物なのか。
最初に登場した時はボブ・グレイと名乗るペニーワイズと異名を持つピエロとして現れる。しかしそれぞれの目の前に現れる“IT”の姿は一様に異なる。
エディ・コーコランという犠牲者の前では半魚人のような怪物とし現れ、エディ・カスプブラクの前では瘡っかきの梅毒持ちの浮浪者の姿で現れる。
弟の敵討ちに出かけたビル・デンブロウとリッチー・ドーシアの前では狼男として現れる。しかも「リッチー・ドーシア」の名前が入ったスクール・ジャケットを着て。
また“それ”は亡くなったビル・デンブロウの弟ジョージのアルバムの中の写真にも潜む。明らかにビルたちが生まれる前の親たちの若い頃の白黒写真にも現れ、そこから襲ってくる。しかもその写真に触れるとその中に入り込み、傷だらけにする。
ペヴァリーにとって“IT”は彼女しか見えない大量の血液だ。水道の蛇口から溢れる鮮血は家族の中では彼女しか見えない
やがて“IT”が見る人によって様々なイメージで見えることが解ってくる。
それらはつまり彼らの潜在意識下における恐怖の象徴ではないか。
“IT”はつまり彼らが少年少女時代に抱いたトラウマなのかもしれない。

しかしなぜ彼らは再び戻って“IT”と対決しなければならないのか。彼らが少年時代にそうしたように、第2のビルたち<はみだしクラブ>がデリーに現れ、彼らに任せてもいいのではないか。しかもマイク・ハンロンからの電話がなければ彼らは“IT”のことはすっかり忘れていたのだから。
彼らが再び舞い戻ったのは“血の絆”という特別な盟約を交わしたからだ。まだ純粋さが残っていた彼らは再び“IT”が戻った時、「そうしなければいけない」という義務感に駆られたからだ。
しかし時間は人を変える。少年時代の約束を未だに守ろうとすること自体、難しくなっている。それはそれぞれに生活が、守るべきものがあるからだ。
しかし彼らは1人を覗いてそれまでの暮しを、仕事を擲ってまでも集まる。“血の絆”に従って。つまり“IT”とは子供の頃を約束を愚直なまでに守る大人たちがまだいてほしいというキングの願望によって生み出された作品なのではないだろうか。

キングは冒頭の献辞にこの物語を捧げていることを謳っている。その結びはこうだ。
“―魔法は存在する”
この魔法とは30年弱の周期でデリーの街に現れる“IT”と呼ぶしかない災厄を少年少女が討ち斃す奇跡を指していると捉えるだろうが、忙しい現代社会で人間関係が希薄になりつつ昨今において、少年少女時代に交わした約束を守り、大人になったかつての少年少女が再会し、再び対決すること自体がキングにとって“魔法”だったのではないか。30年近くの歳月を経ても再会すればかつての気の置けない気軽な友人関係に戻る、これこそが友情という名の魔法ではないだろうか。
私はキングが自分の子供たちに魔法は存在するのだから今の友達を大切に、とそれとなくメッセージを込めているように思えた。

“IT”。
このシンプルな代名詞はその時の会話や場面で示すものが、意味が変わる。たった2文字の中に宇宙よりも広い意味を持つ。そして“それ”とか“あれ”とか“IT”を示す言葉が会話に多くなった時、それは健忘症の兆しだともいう。本書の主人公たちも“IT”の存在は忘れてしまい、そして戦いに勝利した後もまた忘れていっている。
“IT”とは私たちが老いと共に大事な何かを忘れていくことの恐ろしさ自体を現した言葉なのかもしれない。そして40も半ばを超えた私にもこの“IT”に当たる、忘却の彼方にある、何かがあるのではないか。そう、それこそが“IT”なのだ。

No.1 8点 小原庄助
(2017/07/10 09:40登録)
デリーという架空の街を舞台にしたこの物語は、1958年と1985年の二つの時間を自在に行き来する。
登場するのは七人の少年と少女。
彼らの子供時代と成人後のストーリーを交錯させながら、デリーという街のある「災厄」が描かれていく。
ピエロ、吸血鬼、ゾンビ、宇宙人、そして巨大な蜘蛛。
ありとあらゆる恐怖のシンボルと同時に描かれるのは、この世界にある現実の恐怖。
子供たちのモンスターとの闘いは、社会的暴力との闘いでもある。
そういう意味でもこの作品は、極めて優れた「社会学小説」と言える。

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