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ミステリの祭典

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クージョ

作家 スティーヴン・キング
出版日1983年09月
平均点7.33点
書評数3人

No.3 7点 八二一
(2022/03/29 14:40登録)
珍しく現実の恐怖を描かれるが、登場人物の一人一人の心理と行動がじわじわと破局を招き寄せる怖さはやはり並ではない。
狂犬に閉じ込められるという状況だけで長編が書けてしまう筆力に敬服。

No.2 8点 Tetchy
(2017/07/16 22:40登録)
一般的に狂犬病に罹った犬が車に閉じ込められた人を襲うだけで1本の長編を書いたと評されている物語だが、もちろんそんなことはない。

クージョに関わる二家族のそれぞれの事情を丹念に描き、下拵えが十分に終わったところでようやく本書の主題である、炎天下の車内での狂犬との戦いが描かれる。それが始まるのが233ページでちょうど物語の半分のところである。そこから延々とこの地味な戦いが繰り広げられる。
しかしこの地味な戦いが実に読ませる。

町外れの、道の先は廃棄場しかない行き止まりの道にある自動車修理工場。旅行に出かけた妻と子。残された夫とその隣人は既にクージョによって殺されている。更に閉じ込められた親子の夫は出張中で不在。そして、これが一番重要なのだが、携帯電話がまだ存在していない頃の出来事であること。またその夫は会社の存亡を賭けた交渉に臨み、なおかつ出発直前に妻の浮気が発覚して妻に対する愛情が揺れ動いていること。この狂犬と親子の永い戦いにキングは実に周到にエピソードを盛り込み、「その時」を演出する。

これはキングにとってもチャレンジングな作品だったのではないか。今までは念動力やサイコメトリーなど超能力者を主人公にしたり、吸血鬼や幽霊屋敷といった古典的な恐怖の対象を現代風にアレンジする、空想の産物を現実的な我々の生活環境に落とし込む創作をしていたが、今回は狂犬に襲われるという身近でありそうな事件をエンストした車内という極限的に限定された場所で恐怖と戦いながら生き延びようとするという、どこかで起こってもおかしくないことを恐怖の物語として描いているところに大きな特徴、いや変化があると云える。更に車の中といういわば最小の舞台での格闘を約230ページに亘って語るというのはよほどの筆力と想像力がないとできないことだ。しかし彼はそれをやってのけた。
本書を書いたことで恐らくキングは超常現象や化け物に頼らずともどんなテーマでも面白く、そして怖く書いてみせる自負が確信に変わったことだろう。だからこそデビューして43年経った2017年の今でもベストセラーランキングされ、そして日本の年末ランキングでも上位に名を連ねる作品が書けるのだ。

これは単なる狂犬に襲われた親子の物語ではない。物語の影に『デッド・ゾーン』で登場した連続殺人鬼フランク・ドッドの生霊がまだ蠢いているからだ。つまりクージョはフランク・ドッドが乗り移った形代でもあったとキングは仄めかしている。

こうなるとキングの作品はただ読んでいるだけでは済まない。各物語に散りばめられた相関を丁寧に結びつけることで何か発見があるのかもしれない。キングの物語世界を慎重に歩みながら、これからも読み進めることとしよう。

No.1 7点 ∠渉
(2013/11/22 00:53登録)
S・キングの作品が現代ホラーのオーソドックスの一つとして君臨している所以がわかるというか、まざまざと見せつけらたというか、というのが率直な感想。
日常に降りかかる絶望、崩壊、退廃が狂犬病の犬を軸として残酷に書かれていて、もう怖いというか惨い。
あくまで狂犬病の犬も、精神異常者だった殺人鬼も、恐怖を具現化する道具に過ぎないわけで。なのでこれを支点とすると、力点であるトレントン一家の日常に潜む何とも言えない狂気(崩壊の危機感)にこの物語が抱えている本質的恐怖を感じた。キャッスル・ロックの住民らも、それぞれにえも言われぬ狂気を纏っていてトレントン一家の破滅を誘う作用をしている。
ホラーの持っている幻想的な響き、耽美な雰囲気がとにかく皆無。「世界の崩壊を日常で例えたらこんな感じ」って言われてるような感じで、テロとか戦争とか災害とか病気とか、様々な「崩壊」を想起させるような読後。

オノマトペ的にいうと「ゾワッ‥」というより「ウゲッ!」って感じの作品でした。

あと序盤の「クージョ。クゥゥゥゥジョ!」ってとこがなんかジョジョっぽかった。これ書いて思ったけどジョジョ好きに結構向いてるかも。全体的に地味ですが、骨太なストーリーで、紛れもない傑作です。

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