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ミステリの祭典

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ランドルフ・メイスンと7つの罪
悪徳弁護士ランドルフ・メイスン

作家 M・D・ポースト
出版日2008年03月
平均点6.00点
書評数4人

No.4 7点 ʖˋ ၊၂ ਡ
(2022/10/19 16:17登録)
十九世紀のアメリカを舞台に、機知あふれた文体で、法律の間隙を突いた大胆な悪事が描かれる悪徳弁護士メイスンの物語。
メイスンの勝利は、完膚なきまでのものではあるものの、一抹の後ろめたさが混じり、矛盾を内包した当時の社会状況を映し出すようで味わい深い。

No.3 5点 弾十六
(2019/02/11 09:59登録)
1896年出版。何かの連載をまとめたもの?長崎出版の単行本で読みました。
⑴を「クイーンの定員」で読んで、随分とエグい話だな〜と他の収録作が楽しみだったんですが、想像してた悪の弁護士とはほど遠い知恵者、曾呂利新左衛門と言った感じ。正直、ネタになってる法律のポイントがよくわかりません。米国法専門家の解説が欲しいです。パークスとの関係性は、この後、どう変わって行くのでしょうか。

⑴The Corpus Delicti 評価6点「クイーンの定員I」の書評を参照願います。

⑵Two Plungers of Manhattan 評価5点。トリックスター、メイスンの面目躍如。最後のセリフがいかにも。
p52 五千ドル: 消費者物価指数基準1896/2019で29.91倍、現在価値1638万円。

⑶Woodford’s Partner 評価5点。堂々と犯罪を犯して罰せられない。A.A. フェアのラム君みたいな感じ? 正直、どーして犯罪を構成しないのか、よく分からないです。(詐欺にならないのかなぁ) (2019-2-3追記: よく考えると、奇跡的にお金が戻ってきたらどう弁明するか、という視点が欠けています…)
p72 幾度となく引用される、慌てふためいたダビデの言葉(oft-quoted remark of David in his haste): Psalm 116:11 KJV “I said in my haste, All men are liars.” われ惶てしときに云へらく すべての人はいつはりなりと(文語訳)、[わたしは信じる]不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。(新共同訳) このくらいは訳注で処理して欲しいなぁ。
p76 電報を頼んで兄の部屋に送った。(calling a messenger, sent it to his brother's hotel.): 1890年代ごろから電報会社は自転車の少年(10〜18歳)を雇って配達していたようです。ここでは電報会社に依頼せず、ホテルからメッセンジャーが直接伝言を運んだのかも。
p84 [車掌は]危険を承知でと言うのなら、列車から飛び降りることができるくらいに十分速度を落として走ろうと言った。(he would slow up sufficiently for Mr. Harris to jump off if he desired to assume the risk.): 車掌の提案のように訳しているが、原文では「(斜面に差し掛かるので)十分速度が落ちますけどね、危険ですよ」と言ってる感じ。(最初のhe=his trainでしょう) 乗客のわがままのために列車のスピードをわざわざ緩めるような鉄道員はいないと思いました。(この場面、特に賄賂を握らされてる訳ではない)
(ここまで2019-1-27記載)

⑷The Error of William van Broom 評価4点。⑶同様、舞台はウェスト ヴァージニア。ネタは平凡な感じ。パークスの行動が謎めいています。
(2019-2-3記載)

⑸The Men of the Jimmy 評価5点。メイスン ピンチ!な冒頭が良い。異常な状況を設定しますが、これで本当に罰せられないのでしょうか。奪取は明白なように感じます。パークスの行動がますます怪しい。
(2019-2-3記載)

⑹The Sheriff of Gullmore 評価4点。またもウェスト ヴァージニアンが登場。大げさな身振りのおっさんです。p177に「衡平法(equity)」と「古い判例法(the old common law)」が対照的に出てくるのですが、メイスンの策略が硬直化したコモン・ローと柔軟なエクイティーの狭間を突いたものだとすれば、1938年制定の連邦民事訴訟規則2条でコモン・ローとエクイティの手続が統一されたので、もはや使えないトリックということですね。米国法の専門家の解説が欲しいところです。
p158 聖書に出てくる「神を恐れず、人を重んじない」男 (in the scriptural writings, "neither feared God nor regarded man."): Luke 18:2 Saying, There was in a city a judge, which feared not God, neither regarded man. (KJV) 或町に、神を畏れず人を顧みぬ裁判人あり(文語訳)
(2019-2-10記載)

⑺The Animus Furandi 評価4点。またまたウェスト ヴァージニアが舞台。(ポーストの出身地だから仕方ないですね) 最後の犯行はどーみても強盗ですが、これを裁けないってどういうこと?なお、p195の「銀行(賭けトランプの一種)」はfaro。wikiに「ファロ」として載っています。「スペードの女王」の賭けもファロだったんですね。
(2019-2-11記載)

No.2 6点 おっさん
(2011/11/27 11:21登録)
20世紀初頭、アブナー伯父という、アメリカ版<シャーロック・ホームズのライヴァル>、もとい独立不羈の名探偵を創造し、ミステリ史に名を残すポーストが、1896年に、弁護士活動のかたわら刊行したデビュー作品集です。
ホームズもの読み返しの合間に、マーチン・ヒューイット(アーサー・モリスン)やプリンス・ザレスキー(M・P・シール)に寄り道し、さてアメリカの状況は――と目を向けたら、ああ、これ読んでなかったわ! と浮上してきた一冊(長崎出版の海外ミステリGem Collection 13)。

収録作は――
①罪体 ②マンハッタンの投機家 ③ウッドフォードの共同出資者 ④ウィリアム・バン・ブルームの過ち ⑤バールを持った男たち ⑥ガルモアの郡保安官 ⑦犯意

絶望的なトラブル(問題)に直面し、助力を求めてきた人々を、弁護士ランドルフ・メイスンが救いだす連作なのですが・・・
メイスンがさずける“解決策”は、一見、あからさまな犯罪行為。
しかしそれは、法律の前では犯罪とは見なしえない不正だった(最後のその説明が、絵解きにあたる)という、著者の職業上の知識・経験を逆用した、なんとも大胆な内容になっています。

うち①②⑤は、雑誌やアンソロジーに既訳があり、目を通していましたが、今回、あらためて通読しました。
殺人と死体処理(“罪体”の完全消滅。作業中、排水口の金属部分を交換させる、芸の細かさがリアル)を示唆し実行させる①の強烈さは記憶鮮明。メイスンのダーティ・ヒーローぶりがきわだちますが・・・これはパイロット版というか、ちと別格。
コン・ゲーム路線といっていいシリーズの性格が打ち出されるのは、オチに落語的な味わいがある(筆者のお気に入りの)②からで、この「マンハッタンの投機家」から登場する、メイスン事務所の事務員パークスが、シリーズを通しての(陰の)キーパーソンになります。
センセーショナルだったろう、法律の抜け道教えます――という“売り”は、畢竟、その時代・地域限定のものであり、ミステリの評価としては、一編一編を見るかぎり(悪夢のような①をのぞき)歴史的価値にとどまると思います。

しかし。
悼尾を飾る⑦で明かされる、シリーズの舞台裏と、船上の鮮やかなラスト・シーンが、本書を連作短編集としてうまく完結させており、その余韻は捨てがたいものがあります。
好評にこたえてか、このあと第二短編集と、そして(主人公がもはや“悪徳”弁護士ではなくなっている由の)第三短編集まで出版されていますが・・・蛇足のような気がするなあ。
ランドルフ・メイスンという(シャーロック・ホームズとはまったく異質の)シリーズ・キャラクターを、連作でここまで使い切ってしまったら、あとは出がらしではないかしらん。

あ、でもでも、続きを訳してくだされば、必ず買いますよ、各出版社さま。なのでヨロシクw

No.1 6点 mini
(2011/08/18 09:55登録)
ホームズのライヴァルの中でもアブナー伯父ものの短編総数は全部で22篇しかなく、これは他のライヴァル達に比べると少ない
その代わりポーストには全く意趣の異なる他のキャラが存在する、パリ警視庁長官ムッシュー・ヨンケルと悪徳弁護士ランドルフ・メイスンである
短篇集「アブナー伯父」の刊行が1918年だが、メイスンものの短篇集は3冊有って1896~1908年の間に刊行されている
つまりアブナー伯父よりメイスンの方がずっと早いのである
長崎出版版はこの内第1短篇集の全訳だ

メイスンはホームズのライヴァルという範疇には属さず全く別の意味を持つキャラである
悪徳弁護士と肩書きを付けられているが、根っからの悪党ではなく法律の隙を突く事に鋭く頭を働かせる事に生き甲斐を感じているといった感じだ
前書きを読むと、自身も弁護士だった作者ポーストはその当時のミステリー小説の存在は把握しており、それらとは違ったものを法律家の観点から狙ったという意図らしい
最も有名なのはアンソロジーにも採られている冒頭の「罪体」で、これだけは既読だったという読者も多いはずだ
読者によってはこのエグい死体処理トリックばかりに目を惹きつけられがちだろうが、主眼はそこにあるのではなく道徳律と法律との対比というテーマ性である
この「罪体」だけを読んでトリックだけに期待して他のシリーズ短編を読むとまず肩すかしを喰らうだろう
「罪体」以外は経済犯罪的なコンゲームっぽい話が殆どで、しかもハウダニットよりも思想性テーマ性が強い
法律の隙を狙う犯罪者に対して道徳律の権化のように”神の摂理”を説くアブナー伯父と、法律の抜け穴と道徳律とは別物と豪語して運命の女神と対峙するランドルフ・メイスン
両者は表裏一体のような存在である

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