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ミステリの祭典

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瀬戸内殺人海流

作家 西村寿行
出版日1975年09月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 人並由真
(2023/08/19 16:54登録)
(ネタバレなし)
 1973年頃の東京。「山陸新聞」東京支社の営業課長で35歳の狩野草介は、愛妻・千弘の突然の失踪を認めた。妻の妹で、実家で花嫁修業中の沙絵からも手掛かりを得られない狩野は、独自に調査を続ける。一方、新宿の連れ込みホテルでは、一人の身元不明の男が死亡。当初は事故死に思えた事案だが、本庁捜査一課の定年間際のベテラン刑事・遠野英二はいくつかの不審な点を指摘。他殺の可能性を視野に、事件を追った。そしてやがて二つの事象は、思いも寄らぬ形で結びついてゆく。

 元版は、1973年2月にサンケイ・ノベルズの書き下ろしの一冊として刊行された長編(現状で当該の書誌データは、Amazonには登録なし)。

 これ以前にもすでに、動物ものなどを題材にした短編小説を雑誌に発表していた作者の処女長編であり、大作家・西村寿行のそのあとに続く長大な軌跡は、ここから本格的にスタートすることとなった。

 妻の行方を追う狩野(のちに義妹の沙絵も合流)、変死事件を捜査する遠野の二人の主人公の行動を軸に、さらに建設業界の汚職事件を探る警視庁二課の柳刑事などの視点も交えて物語は進行。
 基盤となるミステリ面での作品の骨格は、清張風の社会派ミステリっぽいが、やがて両主人公の流れが束ねられ、そして少しずつかなり強烈な個性のキーパーソンが物語のなかに浮かび上がってくる。

 実は73年当時のミステリマガジンの新刊月評で、かの瀬戸川猛資が本作に注目かつ激賞(同レビューは2021年に限定刊行された「二人がかりで死体をどうぞ 瀬戸川・松坂ミステリ時評集」に収録。評者は本作『瀬戸内殺人海流』の読了後に、同書籍で当該のレビューを読み返した)。
 瀬戸川はそこで『男の首』や『赤毛のレドメイン家』に匹敵する強烈な犯人像や、さらに主人公たちとその巨敵との対立の構図を暗喩した熊鷹と成犬との戦いなどの主題について語っているが、実際にその辺が作品の個性なのは間違いない。

 評者自身は大昔の少年時代に読んだくだんの瀬戸川レビューを具体的には半ば失念していたため、のちに死ぬほど強烈な諸作を輩出する寿行とはいえ、処女作はまだ作風が固まってないだろうと何となく勝手に予見していたが、とんでもない! 
 社会派ミステリらしい器こそ、のちに忘れ去られる初期寿行の方向性だが、作品の中味(特に中盤以降)は、正に栴檀は双葉より芳し、というか、寿行はこの長編第一弾からすでに150%寿行であった!!
(ちなみに作者らしいヘンタイ趣味も、すでに本作から横溢(汗)。直載な描写はあまりないものの、作中の男女の心を侵食する闇として、かなり濃厚な文芸設定が導入されている。)

 なお瀬戸川はまた、実は本作の真価は、推理小説の皮をかぶったハモンド・イネス流の自然派冒険小説(の国産作品)という指摘もしており、大枠では実に慧眼だと思う。実際、死体の漂着の経緯などを探るなかで語られる海流の壮大な描写など圧巻で、この辺は『屍海峡』『安楽死』などの本作の直後の初期長編でさらに煮詰められていく作者の持ち味である。
(とはいえイネスファンの評者などからすると、ずばりイネス風……と言われると若干の違和感を覚えないでもない。欧州のロケーションを日本の周辺に置換し、アダプトしたから、その分、おのずと味わいが変わってしまった、という意味合いでは、確かに通じる気もするのだが。)
 
 ラストの狩野と沙絵、そして遠野の描写など、寿行のくすぐったい部分が出ていて心地よい。なんというか、やっぱこの人は(中略)だったんだよなあ、と思い知る。

 いま現在、読んでも十分に歯応えのある作品(ミステリ的には、終盤で明らかになる真犯人の設定と、殺しに至る動機の経緯が鮮烈に印象に残る)だが、当時の瀬戸川レビューにつられてこの本書・実作をリアルタイムで読み、なんかすごい作家が同時代に出てきた! とわめいておいても良かったかもしれん。
 まあレンデルのウェクスフォード警部の名文句じゃないが、人生はすべてを手に入れられる訳じゃないってことで(そっと苦笑)。

※余談ながら、角川文庫版の260頁に、ラヴクラフトのダゴンの話題が出て来る。いいなあ、西村寿行とクトゥルフ神話、最高のマッチングだ(笑)。

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