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ミステリの祭典

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幼年期の終わり
別題『幼年期の終り』『地球幼年期の終わり』

作家 アーサー・C・クラーク
出版日1969年04月
平均点6.33点
書評数3人

No.3 6点 クリスティ再読
(2025/05/31 08:28登録)
本作あたりを読むと「なぜ評者はミステリがSFよりも好きなのか?」という理由に直面することにもなりそうだ。

突然世界の諸都市上空に現われた異星人の宇宙船。隔絶した知性とテクノロジーを見せつけられた人類は、彼らを「オーバーロード」と呼び、オーバーロードが行う賢明な「地球人類の管理」に服することになる。もちろん人類による「秘かな抵抗」は続いているのだが、オーバーロードの真の目的は何なのだろうか?

このオーバーロードが行う善良な「管理」が典型的なグローバリズム政策だったりする。オーバーロードは徹底的な反戦主義だから、そのまま地球連邦国家が「外圧」から実現してしまうのだが、こういう「理想」というものの欧米的な側面というのも、今となっては目に付くことにもなる。
もちろん、国連事務総長誘拐事件、オーバーロードの宇宙船への密航計画、「オーバーロードの支配以来、芸術がまったくダメになった」ことを憂えたアーチストたちが作る「芸術家島」など、こんな「理想」に対する反抗もなされていくことが描かれる。反論の余地もない「理想」には当然のように反動もあるわけだ。欧米的に言えば「トム・ソーヤー主義」とでもいうべきなのだろうか?

しかし、本作の結末で描かれる「最後の世代」と人類の終末の姿が、仏教的な解脱といったものをなぞっているかのようなあたりが、欧米人の東洋観そのままのようで、モヤモヤすることにもなる。いや「悟り」はそのまま日常への回帰なんだけどもね...「東洋の神秘」というのは、欧米人がその覇権主義に抱える罪悪感の反映かもしれないよ。

ならば、SFというジャンル自体が欧米的な価値観そのものだ。SFが掲げる文明史観というものが、実のところその欧米的な価値観から逃れだす発想にはなかなか至らないことを、証明しているのかもしれない。

No.2 5点 レッドキング
(2023/06/28 06:32登録)
現実世界を、見ることなき上位次元への憧憬に置き去りにする超進化論SF。壮大にしてタイトなWhyWhatミステリとして評価。※超越的異星人Overlord達の風貌が、ヤギづら悪魔って設定が良く。

No.1 8点 斎藤警部
(2021/12/13 15:15登録)
第一部が終わって早速、いつまでも深呼吸していたくなったのには参った。
第二部には愉しい冒険要素もあり、これが物語全体のアドヴェンチャー・リリーフになっているという構造の峻烈さは興味深い。
第三部には、三度にわたるエンディング。 うち二度はオーヴァーセンチメンタルにして急襲型。言葉に詰まる。

この物語展開の前半分くらい望んでいる人間さんも結構いらっしゃるんじゃないかと推察。
やさしい/やさしくないの座標軸が全く意味を失う臨界へと、雪崩れ込むのを見守るしかない物語。
作者による第一部改訂への強烈な使命感には感じ入った。
何より、テーマがシンプルなようで重層的、複雑な位相群をワイドヴューに投射しているのがいい。 ◯◯でさえ物語の主軸じゃないんだから。。

“あの子は玩具を残していったーー”

二度読みが怖い。

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