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ミステリの祭典

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鏡の国の戦争
ジョージ・スマイリーシリーズ

作家 ジョン・ル・カレ
出版日1965年12月
平均点6.33点
書評数3人

No.3 6点 Tetchy
(2024/11/22 00:44登録)
前作『寒い国から帰ってきたスパイ』は世界的ベストセラーとなり、それがきっかけでル・カレは専業作家となった。その第1作が本書である。

潜入工作員をスカウトし、そして育てる一部始終が色濃く綴られる。但し、前作と異なるのが諜報部(サーカス)と呼ばれる英国情報部ではなく、ルクラーク・カンパニーというルクラークという人物が率いる陸軍部内の諜報機関である。このルクラークはちなみにジョージ・スマイリーとは知己の間柄である。

さて本書ではウィルフ・テイラー、ジョン・エイヴリー、ライザー3人の潜行員の様子が語られるが、面白いのはこの三人の任務での待遇が異なることだ。

例えばテイラーは古参の部員であり、今回初めて潜行員に選ばれた男だが、彼にとって海外での任務とはそれまではマドリッドでどんちゃん騒ぎをし、トルコにも再三行った、いわば“美味しい出張”を体験してきた身だ。
エイヴリーは部のボスであるルクラークを信奉し、彼の地位を押し上げるのに貢献したい、そのためには初の潜行任務を成功させなければならないと決意する、極めて真面目な部員である。
そして最後のライザーは退役した後、修理工場で働いていたが、かつての上司であったホールデンの訪問を受け、潜行員の任務を受けることにする。しかし元々兵士だった彼は今回要求される基地の情報を送るモールス信号に不慣れで、無線技術の専門家ジャック・ジョンソンの指導を受けながら訓練するが、何度も根を上げ、悪態をつく。

この3人を通じて諜報活動が私生活に及ぼす影響、スパイの心得や取るべき行動なども微に入り細を穿ってル・カレは記述する。
例えば初めて潜入任務を行うエイヴリーに対し、スマイリーはフィルムのサイズから質問し、泊まるホテルについて自分の一押しを勧め、ホテル内のレイアウトや贈る花束の花の本数や花の値段、時計をホテルの時刻に合わせること、タクシー代は渋らず、正規料金を払うこと、フィルムを受け取ったらポケットに入れて、カバンに入れてはならないこと、特にスーツケースは周囲の目を引くので危険云々。
このように細かい指令も含めてまさに一挙手一投足、指示通りに行うことを強いられるが、その3人の潜行員の任務を通じて知らされるのはどれほど綿密に計画を立てても、全くそのようにはスパイ活動は進行しないということだ。常に変化し、また想定外の事態が起きる。それは事前の調査不足であったり、万に一つの最悪の事態に遭遇したり、もしくは協力者の感情の揺れによって余計な言動がなされ、そこから周囲の注目を浴びたりもする。
しかし何よりも潜行員自身が被る多大なプレッシャーによる焦りと緊張が生むミスによるところが大きい。
特に本書の計画が崩壊する原因を作ったライザーの緊張感は並々ならぬものがあり、彼は致命的なミスを犯す。

そして本書でもジョージ・スマイリーが登場する。物語の通奏低音のように彼は腕利きの諜報員としてその名を轟かせる。
彼は諜報部の立場でルクラークたちの許を訪れ、ライザーの失敗により、潜行員の存在が東ドイツ側に漏れたことを告げ、彼を切り捨てて任務を終了するよう云い渡す。そう、彼こそは諜報に不慣れなルクラークたちに本当の諜報活動というものを教えるために来た、英国諜報部の原理原則そのものなのだ。

しかしよくよく考えると物語の発端は東ドイツにソヴィエトのミサイル基地が建設されているという情報を得て、それを探るためのスパイを潜入させよという内容。
つまり本書ではアメリカが体験したキューバ危機をイギリスに準えたもので、本来ならばその事実が判明し、そこから国防のためにミサイル基地の殲滅を計画し、遂行するという流れになるのだが、本書はそこまで物語は続かない。あくまで基調としては前作の流れを汲む、一介のスパイの悲劇を描いた物語なのだ。
つまり本当の諜報活動を熟知しているル・カレにとって基地の殲滅という行為は国際問題に発展する、いわば戦争であり、そんな戯画的なアクションは現実的ではないとして描かないのだろう。描くとすればあくまで国際間の政治家たちの駆け引きを描いて道筋をつける方向に進むことになるだろう。

しかし物語がシンプルなのに対して、細部に力を入れ過ぎたためにバランスの悪い作品になったことは否めない。
特にメインの潜行員フレッド・ライザーの章は約250ページと420ページ強の本書でも大半を費やされているが、彼が実際に東ドイツに潜行するのは160ページ以上費やしてからだ。つまりそれまではほとんど訓練シーンにページが割かれているのだ。
それはひょんなことから潜行員に選ばれた男の訓練の苦しみと任務の想像を絶する緊張感と国益優先のためにはリスクを排除するために命を切り捨てることさえ厭わない諜報の世界の非情さを対比させるには充分であったが、動きが少なく、地味すぎた。

しかし『寒い国から帰ってきたスパイ』と本書に共通するのは孤独なスパイの心の拠り所は女性ということか。
スパイがスーパーヒーローでもなく我々と同じ普通の人間、誰かの愛を欲する人間と変わらぬことを本書は前作でのメッセージを更に推し進めたように感じた。

No.2 7点 クリスティ再読
(2022/03/02 09:22登録)
その昔「国家は幻想だ」といういい方が流行ったことがあるわけだけども、国家のために命を懸けて非合法活動をするスパイに向けて「国家は幻想だ!」と言い切った場合に、いったい何が起こるんだろうか?

本作で一番興味深い部分は、最終的に東ドイツに潜入する工作員ライザーの訓練プロセスそのものだ。バディに当たる立場でともに訓練を受ける若手のスパイ官僚エイヴリーを中心にこの作品が描かれるわけだけども、この訓練を通じて、ライザーの心理を巧妙に操作して「仲間意識」やら「一体感」やら「使命感」を醸成するのが、事実上エイヴリーの役割だったりする。このプロセスが丁寧に描けているのが、本作の一番の手柄のように感じる。
スパイ活動そのものは、実のところ検証可能なものですらない。「それが役に立つか?」という具体的な戦術的有効性以上に、当事者の「幻想」に支えられている、というのが、根本に横たわるどうしようもない事実なのだ。

しかし、そういう「幻想」に囚われた工作員を使って営まれる本作の「作戦」がとんでもなく愚かしい。作者の分身でもあるスマイリーは、その愚かしさを指摘して幕引きをするのだが、ではスマイリーに戦時体制そのままの古臭い作戦を批判する資格があるか?といえば、たとえば「寒い国から帰ってきたスパイ」での役回りを考えたら、単純にそうもいかない。本作でスマイリーを「いい子」にするのは、評者はためらわれるなぁ。
そこらを踏まえての評価になる。

No.1 6点
(2020/10/10 12:41登録)
『寒い国から帰ってきたスパイ』の次に書かれたル・カレの4作目には、引き続きスマイリーが脇役として登場します。ただし、前作ではスマイリーは事件の黒幕だったのに対し、本作ではほとんど傍観者的な立場です。それが最後には、主役たちが集まっているところに首を突っ込んできて、彼等に容赦のない現実をつきつける役割。この人、本作で「職を辞しては、また復帰するといった行動をくりかえしておる」と言われています。なるほど、デビュー作『使者にかかってきた』の後、彼はやはり一度辞任していたのですね。
で、その本筋に関わるのは、スマイリーの所属する外務省諜報部とは、いわばライバル関係にある陸軍情報局の連中です。最初の方に彼等の建物について「甘美な時代錯誤」という言葉が出てきますが、そのような感情を引きずっているがための悲惨な結末のブラック・コメディとも呼べそうな作品になっています。

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