国語教師 |
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作家 | ユーディト・W・タシュラー |
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出版日 | 2019年05月 |
平均点 | 5.67点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 6点 | ことは | |
(2023/03/09 00:37登録) 確かにある犯罪事件が中心にあるので、ミステリではあるが、かなり普通小説よりの作品。魅力的なのは、「語り」の形式でよませるところでしょう。メール、作中作、調書 etc。 過去の事件の真相は、それほど意外ではないが、終盤のある展開は意外だった。ラストは登場人物の心理が胸に迫る。ミステリのカタルシスはないが、小説としていい作品です。 |
No.2 | 6点 | HORNET | |
(2020/01/04 17:14登録) 教育委員会の企画で「作家と生徒の出会い」が企画され、54歳の国語教師・マティルダの学校に、十数年前、突然自分を捨てて行方を消した元恋人である作家・クサヴァーが来ることになる。久しぶりの再会を喜ぶクサヴァーと対照的に、「なぜ私を捨てたのか?」と冷たい態度のマティルダ。しかしメールのやりとりをかわすうちに、マティルダのもとを去ってからのクサヴァーの日々が明らかにされていき… クサヴァーがマティルダと別れてから結婚した妻との間に出来た子は、誘拐されたまま行方が分からず未解決のまま。その真相が解き明かされていく点は一応ミステリの体にはなっているものの、大した真相ではない。過去・現在、または物語・現実とくるくる場面が変わる展開も、取り立ててそれが仕掛けになっているわけでもなく、ミステリという側面ではそれほど秀でているとは感じない。 しかしページを繰る手が止まらず、どんどん読み進めてしまう魅力は確かにある。それは年を経て若く情熱的な頃を回顧するノスタルジーからか、決して良い終わり方はしなかったのに笑って話せるようになった男女への共感からか。いずれにせよ、「ミステリ」としての評価であることを踏まえて何とか抑えめに採点したが、総合的にはとても楽しめた。 |
No.1 | 5点 | 人並由真 | |
(2019/12/01 13:00登録) (ネタバレなし) 2011年暮れのドイツ。54歳の作家クサヴァー・ザントは、ティロル州の教育文化サーヴィス局を通じて、同地区の学生相手のワークショップ(創作講座)の短期講師となってほしいとの依頼を受ける。受講生の学校側の代表は「M・K」のイニシャルの国語教師で、先方とメールで連絡を取ったクサヴァーはその相手が16年前に別れた元恋人で同じ年齢のマティルダ・カミンスキだと気付いた。メールを介しての再会を野放図に喜ぶクサヴァーに対し、言葉を選びながら対話を始めるマティルダ。やがて二人の話題は、過去のあの事件へと及び……。 2013年のドイツ作品。ドイツ推理作家協会賞受賞作だそうである。 web上の某・ミステリ書評サイトで評価がいいので読んでみたが、設定はまんま数年前の国産作品『ルビンの壺が割れた』の海外バージョンである(基本設定だけの話題だから、双方のネタバレにはなっていません)。 本書の場合は、本文の大半がやはりメールの文面で構成されるが、部分的に別の書式・叙述も導入される。 それで先に本書の表紙折り返しのあらすじを読むと、作家クサヴァー、そしてやはり創作の心得があったらしいマティルダの双方の書く小説が、劇中作として組み込まれるとある。 が、現物を読むと、そういう劇中小説というパーツは確かに構成の一部を為すものの、思ったよりは強く前面には出てこない印象もある。二重構造の小説を読んで時々感じる煩わしさは、本書の場合そんなに強くなかった。 そして本作の男性主人公クサヴァーは、しょーもない成人としてひたすら叙述。汗水垂らして働きたくもない、女とは遊びたいが責任は負いたくない、内縁の妻となったマティルダがいかに愛の結晶を望もうが、三界の首枷になる子供なんかもちろん欲しくない、と徹底的に自己中心的な言動を貫徹する。フィクション上の他人事と思って読むにはそれなりに面白いキャラだが、一方で小説を読むこちらはヒロインのマティルダにおのずと同情(彼女自身もまったく清廉潔白なキャラではないのだが)。 これは、彼女から元カレに対し、秘められた旧悪を暴くなどの報復があるな、とフツーに予見すると、後半の物語は前述の<劇中作>の要素を利用しながら微妙に力点をずらし始める。これ以上は書かない方がいいだろう。 それで物語のまとめ方は確かにドラマチックで、読了後に改めてwebでの各氏の感想などを探ると<(中略)の物語>として、ほとんど絶賛の嵐。今年の海外ミステリの上位作とも声も少なくない? ただまあ、個人的な感想としては、グラディーション的に物語の様相が変わっていく小説的なうまさは認めるものの、いまひとつそこまで褒める気にもならなかった。理由は、どうもこのクロージングに、作者が自分の筋立ての舵取りの鮮やかさに酔ったような一種のあざとさを見やるため。こんなに真っ正面から(中略)。 なんとなく出会い、誰も先に褒めていなかったら、もうちょっと評価は上がり、印象も良くなっていたかもしれない一冊。割とよくあるパターンですが。 |