100%アリバイ ルドウィック・トラヴァースシリーズ |
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作家 | クリストファー・ブッシュ |
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出版日 | 1956年02月 |
平均点 | 5.00点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 6点 | 弾十六 | |
(2023/06/22 18:33登録) 1934年出版。トラヴァースもの第11作。 みなさん評価が低いなあ。翻訳も古くて読みづらい、という評判。でも私は気に入りました。翻訳文体の古風なところが私の好みで、誤訳もあんまりない(下で数々のイチャモンをつけているが、特に目についた意味不明物件を挙げただけ)。全体的に翻訳水準は高く、私には読みやすかった。 作品自体も結構面白い。私はブッシュ作品=長篇化した迷宮科事件簿、だと感じていて、本作は展開がなかなか起伏に富んでいる。全部小ネタなんですけどね。本作や『完全殺人事件』は凄い大ネタを期待してしまうタイトルなので、がっかりしちゃう人も多いだろうことは十分に想像がつく。 まあでも堅実で皮肉っぽい英国人ブッシュさんの地味な作風を理解していれば、よく工夫された作品だと思う。今回参照した原文(Dean Street Press 2018)にはブッシュさんの私事がまとめられていたので、簡単に書くと、父は貧農、生まれた日はクリスマス、幼い頃ロンドンの裕福な叔母世帯に引き取られたが経済状態悪化で7歳のとき実家に帰された。貧しいながらも教育熱心な母のおかげで立派な教育を受けたが、ケンブリッジ大学には進めなかった。学生時代、クリケットの優秀プレイヤーだったようだ。WWIでは従軍四年(一年間エジブト)、結婚は3回(いずれも女教師)、二度目の結婚時に息子(著名な作曲家Geoffrey Bush)をもうけたが、ブッシュは息子を認めず、その息子が長じて父に手紙を出したときには、読まずに返送したという(英Wiki“Geoffrey Bush”のページには父の名前は明記されているものの、探偵小説作家という言及なし。Christopher Bushのページもない。日本語Wikiにもなかった)。三度目が『完全殺人事件』の献呈相手Marjorie、二人の間には子はなかった。 さてトリビア。 作中現在はp11、p27、p127、p145から1931年3月初旬の水曜日(4日か11日)が冒頭の事件発生日。なお私が参照した原文の作品解題では根拠がわからないが事件発生日をMarch 13と書いている。(1929年説か?) 価値換算は英国消費者物価指数基準1931/2023(87.15倍)で£1=15774円。 p9 シイバロ(Seaborough)◆架空地名かと思ったら、ドーセットに同名の村がある。 p9 ロンドン警視庁(Scotland Yard) p10 北の遠国(the North) p10 デイリー・レコード紙◆『完全殺人事件』でもおなじみの架空新聞。 p10 英国飛行家に向って、往復百時間、大西洋横断飛行(the first English aviator who should fly the Atlantic, solo, both ways inside a hundred hours)◆Daily Mail紙は1906-1930に様々な懸賞金付き飛行賞を企画している。 p11 三月初旬のあの水曜日(Wednesday evening of early March) p11 土地の夕刊ビーコンの六時版(the six o’clock edition of the Seaborough Evening Beacon)◆欧米の新聞は朝刊か夕刊のどちらかに特化している。夕刊の方が格が低いイメージ。そして一日に数回発行されていたらしい。この新聞の詳しい話はp192に書かれている。当時ラジオ・ニュースは夜6時が最後だったようだ。 p12 カクテル酒場(the cocktail bar) p13 警戒燈の赤い灯が列って(a warning line of red) p13 火鉢(a brazier fire)◆バケツに燃料を入れ火を起こして暖をとっている p13 ビックルシャム(Bicklesham)◆調べつかず。架空地名だろう p17 不宿屋のウェーター(lodging-house waiter)◆「下宿屋」の誤植か p20 ラジオへ出るプッツ(that chap Putts on the wireless)◆調べつかず。 p22 ろくでもない版画(mediocre prints) p23 時計か鍵束(either a watch on it or a bunch of keys) p24 本職の軍人ではなかった(he wasn’t —— officially) p24 ほんとの夫婦中ですか?(what they call a ‘married couple’?)◆このセリフで思ったのだが、召使の男女ペアは事実婚が多かったのだろうか? p26 鍵の必要はないわけか(didn’t bother to take the keys)◆ これをどうやって開けたか、翻訳を読んだ時にはわからなかった。扉を鍵だけで開けるタイプで、p23の鍵を奪って、扉を探して開けたのち鍵はささったまま残っていた、という状況なのだろう。作者は説明を省略しがち。試訳「もう鍵を持ってゆく必要はなかったんだな」 p27 もう十二年からになります(Over twelve years now) p28 カルタ(cribbage)◆このゲームは『完全殺人事件』にも出てきた。 p29 木球戯(ボウル) bowls◆ ボウリングではなく別名lawn bowlsという屋外スポーツ。wiki「ローンボウルズ」参照 p29 カルタの独り遊び(patience) p29 電話帳(on the phone)◆多分、交換手に尋ねて調べたような感じ。電話が嫌いな英国紳士は多かった。 p30 型の古い眼鏡(antiquated glasses) p38 余りどっとしない◆「ぞっと」の誤植だろう p41 銀貨(a Half-Crown)◆情報提供への謝礼。ちょっと多め。当時はジョージ五世の肖像、1920-1936鋳造、.500 Silver, 14.1g, 直径32mm、1972円 p42 戦争記念塔(the war memorial)◆シーバラのが実在かどうか調べつかず。他の土地の戦争記念時計塔の写真がググると見つかる。 p43 小型の自動車(a saloon car) p45 高級車(a fine car) p47 開ける(rifle)◆ここは「カラにする」という意味だろう p48 どの部屋にも水と電話はあるからね(Running water and telephone in every room)◆ワートン警視はここではホテル住まい。なので、ホテルの宣伝文句を引用したのだろう。試訳「(ホテルの)どの部屋も給水設備と電話完備」 p51 競争用らしい小型の自動車(A little, squat racing sort of car) p53 海軍の水兵が(navvies)◆「作業員たち」 p57 いつも夕食は七時(always has dinner at seven) p58 ウェスタリ書店(Westerley’s) p64 年額百ポンド(A hundred a year)◆使用人夫婦の給与。翻訳では「契約」と補われているが、後段との辻褄合わせの余計な付加。 p64 実際は九十ポンド(They used to get ninety)◆ここは誤訳。「かつては九十ポンドだった(が昇給した)」こうでないとp117の記述と合わない。 p64 定額より十ポンドもへずられてる(That’s ten pounds below the usual figure)◆相場は百ポンドらしい。 p72 持ってはいなかった(didn’t take it)◆試訳「持ち去らなかった」 p77 水兵達の間を(among the navvies)◆「作業員たち」 p85 告訴の請求なんかすることは、なにもない(there’s been nothing in about the requests we made for information)◆コニントン『キャッスルフォード』(1932)を読むと、検死官が警察側の捜査を邪魔しないように一定の配慮をしていることがうかがわれる。なのでここは、この情報は伏せて欲しいなどの警察サイドが行った要請に対して検屍官側から異論はない、という意味だろうか。インクエストのこの段階で警察側が告訴することはありえない。試訳「情報に関して我々が行った要請に文句はない」 p86 古い諺(old saying)… 犯人はいつも犯罪の現場へ還る(The murderer always returns to the scene of his crime) p86 派手な色刷の包装…「生者、死者」(a book in a gaily coloured jacket—“Live Man, Dead Man”)◆架空の探偵小説本 p88 電話帳はどこにもある(telephone directories such common property) p91 「二弾不発」(“Two Shots Missed?”)◆ 架空の探偵小説本 p94 いかにも!(Good for you, Jane!)◆ワートン夫人は「ジェーン」という名前。この後、原書ではJane Whartonと表記されているが、翻訳は「ワートン夫人」で統一 p96 地方の電話帳(the local directories) p98 ベントリ商会へ持ちこんで(an offer for his Bentley)◆これは自動車のベントレーのことだろう。ベントレーを売って、上手いことロールスを手に入れた。 p98 新型のすばらしいロールス(a fine new Rolls)◆ Phantom II Continental Saloonだろうか? 「新型」というより、中古車の代わりに「新車」を得た、というニュアンスだろう。 p98 てんで素人(I’m a public menace)◆ “A company director, in other words,”と続く。試訳「社会の厄介者ですよ、世間では「会社役員」とも言いますが」 p99 大根だ(a damn fine actor)◆全く逆の意味だろう。テンペストの芸術感受性を揶揄っている。 p99 一発でいえたら五十クラウン、当たらなければ半クラウンか(Give you fifty goes and bet you half a crown you don’t get it)◆試訳「50回答えても、当たらない方に半クラウン賭けるよ」 p102 昨年のミカエル祭のころ(About last Michaelmus time)◆ 一年を四つに分けるthe quarter daysの一つ。9月29日 p103 緑色(Cambridge-blue in colour)◆ケンブリッジ・ブルーは薄めの灰緑っぽい色。 p111 聖金曜日 p114 速記者 p120 親展(Personnal) p120 宛名はきれいな筆蹟で(the address was neatly hand-printed) p127 一九一七年◆上述の12年(p27)を考慮すると作中現在は最短で1929年。感じとしては1930年か1931年。 p128 法廷(a coroner’s court)◆この翻訳の別のところではinquestを「検屍審問」「審問」「審問廷」としている。インクエストは裁判じゃないので「法廷」だと誤解を招きそう。「審問廷」に一票。 p137 チャーリー・ピース(Charlie Peace)◆英国の有名犯罪者(1832-1879) p141 検屍審問は町の会館の古ぼけた会議室で開かれた(scene of the inquest was the old board room at the Town Hall)… 六百の傍聴者 p143 或る特定の人間、もしくは未知の人間に対し、殺人犯人の宣告をなし得るとだけ答申(only possible verdict of murder against some person or persons unknown)◆インクエストの定型文。試訳「未知の単独犯または複数犯による殺人、という唯一可能な評決」 p143 すべてはこの審問の結果にまつほかなかった(all that remained was to await results)◆試訳「あとは収穫を待つだけだlった」 p144 市営のバス(corporation buses)◆地方自治体が運営するバスのようだ。ロンドンでは1933年まで民間企業がバスを運営していた。 p145 紙の上のタイプの文字(with the printing on the paper)◆p120では手書きだったはず… と思って原文を見た。「タイプ」とは書いてないね。届いた手紙の方の文字はcruder printing (粗野な書き方) p145 四月になった。復活祭はもう目の前に迫って(April came in. Easter would soon be coming)◆イースターは1929年3月31日、1930年4月20日、1931年4月5日、1932年3月27日。なので作中現在は1931年で確定。 p145 焼き立ての十字架甘パン(hot-cross buns)◆Wiki「ホットクロスバン」参照 p149 ストランド… 市役所(Somerset House)◆ 1836年から1970年までGeneral Register Office for England and Walesがあり、イングランド&ウェールズの出生・婚姻・死亡に関する書類を管理していた。当時はおおらかな管理だったんだね。 p150 アリバイを打ち破れ(Bust the alibi) p159 『カイランの鞄』(The Wallet of Kai-Lung)◆アーネスト・ブラマの人気作。この高評価はブッシュさんのものなのだろう。 p160 匿名で探偵文壇に打って出たある知名作家(one notorious thruster)◆thrusterは辞書に<英俗>出しゃばり屋、とあった。誰のこと? p162 あのサイレント時代の映画に出て来た男… チェスター・コンクリン(a character who used to appear a lot on the films in the old silent days…Chester Conklin)◆Wiki参照。ブッシュさんは映画好き。 p163 ラジオ(the wireless) p163 税のことで電話には反対(done without the phone because he objected to certain charges)◆「税」ではなく「料金」だろう。英国の電話普及率が他の国より低かったのは課金が高かったという理由もあるのかも。具体的な料金体系の各国比較は調べつかず。(1930年のUK議会資料で業務用年£7、住宅用年£5 10s.というのがあったがどういう設置条件なのか、いまいち分からず) p192 クリケットの最終得点記録(the close-of-play cricket scores) p197 銀貨(a shilling)◆情報提供への謝礼。当時はジョージ五世の肖像、1920-1936鋳造、 .500 Silver, 5.65g, 直径23mm、789円 p205 税をのがれるのに、冬の間は使わないでおいた(stood it by for the winter to save tax)◆どういう課税方法なのだろう。1月1日の所有者が払うのかな? |
No.2 | 5点 | 人並由真 | |
(2019/02/13 13:21登録) (ネタバレなし) その年の三月初旬のある水曜日の午後7時過ぎ。英国のシイパロ地方で、独身の金持ちであるフレデリック・リュートン老人が自宅で刺殺される。地元の警察はリュートンの使用人ロバート・トレンチと名乗る人物から事件発生の電話を受けて現場に向かい、死体を確認した。だがその直後、トレンチ本人が帰宅。自分は事件発生と思われる時間に離れた駅にいて、電話した覚えもないという。やがて被害者の意外な素性が浮かび上がり、一方でロンドン警視庁のジョージ・ワートン警視は「100%のアリバイを持つ者こそ逆説的に怪しい」との信念から周辺の容疑者を洗うが、捜査は難航した。ここでワートンの友人で、アマチュア名探偵でもある著述家ルドヴィク・トラヴァース(本書での和名表記)が事件に介入するが。 評者にとってブッシュ作品は、21世紀の新訳2冊を経て3冊目。20世紀の旧刊(翻訳)では初めて長編を読んだ。少し前に読んだジョン・ロード作品の長編二冊みたいに、捜査陣の登場人物それぞれがひたすら事件解決に向けて動く作劇は、骨っぽいミステリという感じでなかなか気持ちよい。ポケミスの90ページでワートン警視が容疑者の嫌疑の度合いをいくつもの要素から整理し、クロスレビュー風の表組みを作る辺りにもニヤリとする。 大時代ながらハッタリが効いたなかなか魅力的な作品タイトルだが、肝心のアリバイトリックは、これが本当に1934年の作品? <ホームズのライバル>時代の凡作ネタという感じで、30年遅いんでないの? という印象だった。まあその辺の弱さは作者自身も心得ていたらしく、終盤で作中人物に「そんな陳腐な手で」といった主旨の感想を言わせている。刊行当時にしてレトロなクラシック調のミステリだったと思いましょう。 一方で、本作の大きな賞味ポイントは最後のある小説的な創意なのだが、これって当該人物にとって、偶々うまくいっただけだよね。まあ妙なリアリティは感じないでもないけれど、21世紀の現代なら絶対に追求の手段がいくらでもあるだろう。 あとケレン味いっぱいのプロローグが、最終的にあまり演出効果として活きなかったのは残念。もちろん謎解きミステリ的にどういう配置で用意されたものだったかは分かるけれど。 くわえて、終盤で真犯人に的を絞ったトラヴァースのある作戦はお芝居的には面白いけれど、これもリアルなら、向こうはまず間違いなくその狙いに気づくだろうな。都合良すぎる展開と笑うか、まあクラシックの微笑ましさでいいじゃないかと受け入れるか、ちょっと微妙なところ。 それと重要なこととして、検死医があくまで医学的な検分で、被害者の死亡時間を分単位で推定するけれど、そこまでの厳密さはいくらなんでもありえないでしょう。検死技術が確立されてきた黎明期で、当時の作者ブッシュ的にはそういったレベルまでに絶対的な、司法科学への強い信頼があったのだろうかね。 なお森下雨村の翻訳は恐る恐る読んだが、警戒の念をあらかじめ強めていたこともあって、思ったほどは読みにくくはなかった。登場人物のカタカナ表記が始終、ページによって異同が生じていたりする(チャアリーだったり、チヤァリーだったり)のは苦笑ものだったけれど。 |
No.1 | 4点 | nukkam | |
(2014/09/02 14:29登録) (ネタバレなしです) 1934年発表のルドウィック・トラヴァースシリーズ第11作の本書は「完全殺人事件」(1929年)に匹敵するほど強気のタイトルが印象的な本格派推理小説です(笑)。アリバイトリックはそれほど記憶に残るものではありませんが(「のどを切られた死体」(1932年)や「チューダー女王の事件」(1938年)のトリックの方が印象的でした)、本書の最大の特色は当時としては珍しいもやもや感の残る結末のつけ方でしょう。一般受けするかというと多分受けないような気がしますが...。ハヤカワポケットブック版は半世紀以上前の古い翻訳なので読みにくさは相当のものです。 |