マリー・ロジェの謎 |
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作家 | エドガー・アラン・ポー |
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出版日 | 2010年07月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 5点 | 弾十六 | |
(2020/01/24 03:41登録) 初出Ladies’ Companion 1842-11, 12, 1843-2(三回分載)。創元文庫の『ポオ小説全集3』(丸谷 才一 訳)と青空文庫(佐々木直次郎訳)で読了。丸谷訳は相変わらずデュパンのセリフが急に丁寧になったりして変テコ。文章もこなれてない感じで流れが悪く読みにくい。直次郎訳の方が『モルグ街』同様、安定していて読みやすいです。 金欠のポオが当時話題のMary Cecilia Rogers殺人事件(Wiki「メアリー・ロジャース」参照)をネタにして稼ごう、という趣旨で『ポオ書簡集』を読むと雑誌発表前1842-6-4の手紙で、編集者たちに売り込んでいます。(100ドルの価値があるけど…と吹っかけておいて、グレアムズ誌に50ドル=17万円、ボルチモアの編集者に40ドル=14万円を提示。米国消費者物価指数基準1842/2020で31.34倍により換算) その手紙の中では「デュパンが謎を解く」unravelled the mysteryとあります。原型ではちゃんと解決までいってた? 作品の発表時と単行本版には作者の原注にあるように異同があり、私の興味は、①この作品と実在の事件の違いはどの程度?と②ポオはどのくらい書き直したのか?というものでした。ネットに雑誌発表版と単行本版(Tales 1845)を収めた便利なサイトThe Edgar Allan Poe Society of Baltimore(www.eapoe.org/works/info/pt040.htm)があったので、斜め読みしたところ、注釈以外は大きな変動はない様子。どうやら現実の事件で1842年11月ごろ重大告白(Mrs. Loss)の発表があり、連載中に原稿をいじったらしく、そのため連載三回目が一か月延期になったようです。(オリジナル原稿は残っていないらしい。) 多分連載三回目の分に多くの修正が入っているはず。2回目の始まりは(以下、創元文庫のページ数)p170「そこで、すぐ判るだろうけれど…」(YOU will see at once that...)、3回目の始まりはp193「話をさきに進める前に…」(BEFORE proceeding farther...)です。 小説では、途中までデュパンがある人物に疑いを振っているのですが、最後は腰砕け。ラストは、パリの事件とニューヨークの事件との類似はあくまで超偶然なので、デュパンの方法を現実に当てはめちゃダメよ、という情けない終わり方。(これは訴訟対策なのか?) ジャーナリズムと探偵小説の深い関係が印象に残りますが、デュパンの推理が驚きに満ちたものでもないので、特別面白いとは言えません。 以下、トリビア。翻訳及びページ数は創元文庫。原文は上記サイトの単行本版テキスト。 作中時間は『モルグ街』の「約二年後」(p149)、「18**年6月22日、日曜日」(p153)が手がかり。日付と曜日が一致するのは、作品発表時1842年の直近は1834年。閏年の飛びを無視して曜日が1年に1日ずつずれるとして遡及計算すれば『マリー・ロジェ』1839年、『モルグ街』1837年となり『モルグ街』の設定にも一致して良い感じ。(ポオは閏年の曜日の飛びを充分理解してなかったのでしょう。) 現在価値は、手持ちのが仏消費者物価指数は1902以降有効だったので、金基準1839/1902(0.98倍)&仏消費者物価指数基準1902/2019(2630倍)で合計2577倍、1フラン=3.93ユーロ=475円で換算。 p146 注釈: バツの悪い感じの書き方。ポオは「失敗」を自覚しています。 p147 二人の人物の告白(confessions of two persons): 一人はFrederica Lossだが、二人目は誰のこと?Andersonの秘密は1891年まで公になっていなかったはずだが… p150 五か月(about five months): 最初の失踪から次の失踪までの期間。現実の事件では1838-10と1841-7で約2年9月。 p151 一千フラン: 47万5000円。当初の懸賞金。確かに安い。 p151 二万フラン: 950万円。 p152 二人の全精神を集中せねばならぬほどの、ある研究に従事(Engaged in researches which had absorbed our whole attention): 『モルグ街』と同様、二人は謎の研究にかかりきり。 p153 率直でかつ気前のよいある申し出(a direct, and certainly a liberal proposition): この表現だと大金を積んだ、ということか。 p153 緑色のレンズの底(beneath their green glasses): サングラスか。 p156 女結び(レデイズ・ノット)ではなく、引き結び(スリップ)すなわち水夫結び(セイラーズ・ノット)(a lady’s, but a slip or sailor’s knot): 『モルグ街』と似たような手がかり。slip knotは見つかったが、lady’s knotがWeb検索や辞書で見当たらない。イメージとしては蝶結びだが… (ここではボンネットの紐の結び目) p158 死体に向けて大砲を射った(a cannon is fired over a corpse): ここは丸谷訳の明白な誤り。直次郎訳では「死骸の上で大砲を発射」川の付近で大砲を撃つと、衝撃で引っかかりが外れ、底に沈んでいた死体が浮き上がることがある、という意味だと思います。 p166 センセイショナリズム: いまも変わらぬマスコミの本質ですね。 p167 文学の場合でも推理の場合でも、最も直接に、そして最も広く理解されるのは警句(エピグラム)(In ratiocination, not less than in literature, it is the epigram which is the most immediately and the most universally appreciated): ratiocinationは1843年John Stuart Millの用例あり。当時の流行語だったのか。 p174 足跡(trace): 丸谷訳は限定し過ぎでは? 直次郎訳では「形跡」 p176 発見されたガーターの止め金は小さくするために逆に動かしてあった(the clasp on the garter found, had been set back to take it in): どうして知人(男)がガーターの設定を知ってたのか?ガーターって見せびらかすものなのか。実際の事件では母親がそのことに気づいたようだ。(詳しく確認してません。) 直次郎訳では「靴下留めを縮めるためにその釦金(とめがね)がずらしてあった」 p183 最近ハンカチは、悪党にとって必要不可欠なもの(absolutely indispensable, of late years, to the thorough blackguard, has become the pocket-handkerchief): そーゆーものですか。 p188『ディリジャンス』6月26日(原注ニューヨーク・スタンダード): この記事(第六の切り抜き)だけ実在せず、ポオの創作か?と疑われたが、注釈の書き間違いでNew York Times and Evening Star紙に該当記事があった。 p190 他人には知らせない或る目的(for certain other purposes known only to myself): ここは単行本での追加。ここら辺、雑誌発表時には「駆落」限定のように書かれており、他にもニュアンスを変える追加があります。(p191「少なくとも数週間は--あるいは隠れ家がみつかるまでは帰らないつもりなのだから」) p212 オール六(sixes): 欧米ではクラップスのような二つのサイコロを使うゲームが一般的なような気がする。オール六だとチンチロリンみたいな感じ。直次郎訳では「六の目」、試訳「六が揃う」 ついでにマリア・モンテス主演の映画(MYSTERY OF MARIE ROGET 1942)[英語版、字幕なし]を見ました。作中年代は1889年でモンテスはミュージカルスター。デュパンは警察の研究所に勤める医師?という設定。モルグ街に死体安置所があったりします。原作とはほとんど関係ない筋。大砲を撃って死体を浮かばせようとするシーンが面白かった。まーお気楽・安易な探偵ものなので評価4点程度です。 |
No.2 | 7点 | 斎藤警部 | |
(2016/11/02 00:27登録) わたしのロジック偏軽(偏重の逆)はミステリの原初にまで遡るのだな。。としみじみ思います。「モルグ」に較べて遥かに興味は落ちます。それでも美しく格調ある文章には惹かれる。いや文章の事しか記憶に残っておらぬ。 |
No.1 | 6点 | HORNET | |
(2011/02/13 14:35登録) 「モルグ街の殺人」の続編として,探偵オーギュスト・デュパンが登場し,マリー・ロジェという女性の殺害事件解明に挑むのですが,これはニューヨークで実際に起こった,メアリー・セシリア・ロジャーズという二十歳の女性の暴行殺害事件をモデルとした話となっています。 実際の事件も未解決で,この創作はポーの事件への推理でもあるようです。作品発表後に分かった事実もあるようで,そう思うとこの推理がどこまで的を射ているのかは分かりませんが,各新聞の論調・推理について一つ一つ検討していく過程は非常に論理的で,読ませるものがあります。 何よりも,真相は今も闇の中,ということが何か背筋をぞくっとさせます。 |