フリッカー、あるいは映画の魔 |
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作家 | セオドア・ローザック |
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出版日 | 1998年06月 |
平均点 | 7.33点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 10点 | クリスティ再読 | |
(2025/05/27 12:29登録) 困ったな。評者はこの本の想定読者バッチリの立場にあるのだけど、あまりにバッチリすぎて、客観的な評価とかできそうにない。 確かにさ、評者は映画マニアであり、さらにはアングラから実験映画に至るまで個人的にも関わってきている。だからこそ、この本のペダントリが他人事のペダントリにならなくて、自分ごととして跳ね返ってきてしまう。「天井桟敷の人々」からヌーヴェルヴァーグ、ドイツ表現主義からドライヤーに至るまで、さらにはアンガーやらウォーホール、「ピンク・フラミンゴ」に至るまで、評者を形作った「履歴」みたいなものでもある。 ヌーヴェルヴァーグが始まった1950年代末から、MTVが登場する1970年代末までの映画学の大学教授ジョナサンの映画遍歴を評者も我が事のように「体感」しながら読み進めていく。その中で、ジョナサンが研究対象とした、ドイツ表現主義の神童として登場したのちアメリカに渡り、ハリウッドで経歴を築くのに失敗して、ユニヴァーサル怪奇映画などのB級作品の監督として過ごし、大戦が始まるとヨーロッパに渡航を試みるが潜水艦攻撃で死んだマックス・キャッスルという映画監督の作品と経歴が徐々に明らかになっていく。一言でいえば、ムルナウが急死せずにトッド・ブラウニングになったような経歴であるが、実在の監督であるエドガー・ウルマーというモデルがいるようだ。 このキャッスル監督の作品でひそかに取り入れられている特異なサブリミナル映像手法が、とある形而上的な闘争を反映しているという仮説から、ジョナサンはキャッスルの出身である「嵐の孤児」(グリフィスだ..)という宗教的慈善団体にたどりつく。ここでは孤児に映画技術を教育しており、この孤児院で教えられていたのが、キャッスルが得意としたサブリミナル映像手法だった。この孤児院とその宗教団体が、どうやら13世紀にローマと争い敗れた異端宗教であるカタリ派の末裔であるようで、その陰鬱な善悪二元論教義を布教する手段として、映画が使われているのではという疑惑にジョナサンは取り憑かれる.... こんな話である。だから宣伝文句は少し誤りで、「薔薇の名前」より「フーコーの振り子」の方に近い話。ただし、シリアスで辛辣なコメディである「フーコー」より、グロテスクだが上機嫌なコメディという雰囲気である。キャッスル監督の後継者として現れるアルビノの黒人天才少年はさらにパンクな感覚で黙示録的な「終末」ヴィジョンを描こうとするが、この「ポップな終末」というべきものが「悪」を相対化しているようにも感じる。言ってみれば「フランクフルトへの乗客」をずっと上手にやっているような作品かも。深刻な思想小説というものではなく、軽く読めるエンタメからは逸脱していない。 しかし、確かに本作が突いていることは正しいのだ。映画にとって秘められた神学がその本質となっている。これは静止した写真が映写によって「動き出す」、アニメーションの語源となった物活論(アニミズム)が人間の手に置かれることによって、それが「神の創造」を悪しきかたちで模倣するものであるとも言える。だからこそ、映画を語ることはすなわち神学となる。それがあれほどに高踏的映画批評が神学的である理由でもある。 だからこそ、最終的な結論にあたる「旧石器時代プロダクション」は素晴らしい! 映画は物質であり、その物質性の中に「動く」ことの生命を再確認しようとする。フィルムの二重写しなどの膜面の「背後」を探る陰謀論はどうでもいいのだ。まさにこの結末によって、評者はこの本に愛を告げることにしよう。 映画の夢がいったん脳裏を駆けめぐれば、もう完璧にしあがったのもおなじだ。 まさに映画とは夢である。映画ははかないセルロイドの膜面に浮かんだうたかたの夢なのである。 (ちなみに旧石器プロでは蠅の羽根をフィルムに貼って映画にしようとするが、これはブラッケージの「モスライト」だな。あと天才少年が作る映画は寺山修司の「トマトケチャップ皇帝」を連想する。さらにいえば「最後の傑作」は「ゴダールの映画史」かもしれないや....連想を挙げていくときりがない。自分のルーツに向き合うかのような読書体験だった。あとタイトル「フリッカー」はそのものズバリの白黒フリッカーだけでできたトニー・コンラッドの「フリッカー」があるし、同じ技法による、ペーター・クーベルカの「アーヌルフ・ライナー」もある。ここらへん触れてないのは...どうしたのかなあ) |
No.2 | 7点 | YMY | |
(2023/10/06 23:01登録) 「薔薇の名前」ほどのペダントリーはないにせよ、映画という素材を徹底的に煮詰めた、見事な思想史エンターテインメント。 このミステリには「映画についての映画」どころか、「映画を解体する映画」、「見ることの不可解な映画」なんてものまで登場して、記号論好きにはたまらないのではないか。最後の漂うような感覚もいい。 |
No.1 | 5点 | 蟷螂の斧 | |
(2018/03/29 18:32登録) (東西ベスト81位)紹介文より~『大学の映画科教授となったジョナサンは幻の映画監督マックス・キャッスルの謎を追いつづける。どう観てもB級としか評価できない作品の、なにがこんなに彼を惹きつけるのだろうか。その答えはフィルムの中に隠されていた!映画界の「闇」をめぐる虚実のあいだに、壮大な仕掛けをめぐらせた危険なゴシック・ミステリー。 』~ 映画ファンにはたまらない本とありますが、ファンをマニアに変更した方がよいかも?。40~50年代の映画作品への言及が多いためです。全体的に評判は良いようですが、ミステリー的には弱い(殺人は起こりません)。またテンプル騎士団、異教徒カタリ派などの物語が挿入されますが、その関連性がミステリーファンには読めてしまう?と思いますのでこの評価としました。 |