酔いどれ探偵街を行く 酔いどれ探偵カート・キャノン |
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作家 | カート・キャノン |
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出版日 | 1963年01月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 5点 | ことは | |
(2024/09/08 18:59登録) 3、4作目は典型的ハードボイルド展開で、ラストは良い具合に哀愁があって、よかった。 それ以外は、アクションだけのものや、とりとめのないものもあり、全体的にいまひとつ。 あと、発表年が1960年代だが、読んだ印象はもっと古い時代のものに思えた。ハードボイルドは詳しくないので、想像になるだけだが、ネオ・ハードボイルド前夜と捉えるのがよいのかな? 他の書評にもある「マクベインは一人称の方が板についていると感じた」は同感。それはホープ・シリーズでも感じた。 |
No.2 | 7点 | クリスティ再読 | |
(2017/01/29 21:46登録) tider-tiger さんが書いてるのを読んで、ついつい読みたくなって取り上げる。どっちか言えば都会的で小洒落たエンタメって感じで、応用されたハードボイルドって感じなので、一般に「通俗ハードボイルド」なんて言い方をされる作品なんだけど、言ってみりゃこういうの、50年代60年代にワンサとあるわけだよ。 でもその中で、本作とか、あるいはそのうち取り上げるけど「クランシーロス無頼控」とかは、とくに訳者がその世界にほれ込んで、若干ナニワブシまで混ぜ込んで、実に印象的なかたちで日本の読者に紹介した...という言ってみれば「翻訳小説の幸せな時代」の「海外エンタメらしいエンタメ小説」なんだよね。どっちか言うとそういうノスタルジーを評者とか感じてハマるのだ。 本作の仕掛人はいうまでもなく才人都筑道夫。都筑=ハンターのタッグのイイ感じを楽しめばオッケー。The Beatings が「町には拳固の雨がふる」に、I like 'em Tough(俺はタフな奴らが好きだ、くらいか)が「酔いどれ探偵町を行く」に訳される、そういうセピア色の娯楽の至福。 |
No.1 | 6点 | tider-tiger | |
(2017/01/05 13:01登録) この本はずいぶん昔に古本屋でなんとなく手に取った。裏表紙の著者近影を見て笑った。作者名カート・キャノンとあるも澄まし顔の被写体はエド・マクベイン御大だったのだ。ハヤカワが写真を貼り間違えたのだと思った。 本作はエヴァン・ハンター名義でマンハントという雑誌に掲載され、後に名義がカート・キャノンに書き替えられた。すなわち、87分署シリーズを書いたエド・マクベインの別名義の作品。 都筑道夫の訳文がなかなか味わいがあっていい。 ~おれか? おれは、なにもかも、うしなった私立探偵くずれの男だ。うしなうことのできるものは、もう命しか、残っていない。カート・キャノンというのが、名前だ。 以下略~ どこかで聞いたことのあるような序文だった。あるいはこちらがオリジナルなのか。 作者と同じ名前の登場人物が出てくるのはあまり好きではないが、本作はあまりイヤな感じはしなかった。舞台はニューヨークのドヤ街。カート・キャノンの友人はルンペンばかりで依頼人もいわゆる下層の人間ばかり、金持ちの依頼などない。そもそもキャノンは資格を剥奪された探偵なのだ。 プロットは平凡で意外性はさしてなく、殺しを一つ、女を一人と律儀に通俗の道を行く。 個人的にはハードボイルドには探偵役に信念が欲しいところだが、本作のカート・キャノンにそれらしきものはなく、ただただ『いつも酔っ払ってフラフラしている』という原理原則だけがある。それでいて、有能で喧嘩も強く、女になかなかもてる。いささか都合のよいキャラではある。 とにかく雰囲気がいい。本作を読んだとき、マクベインは一人称の方が板についていると感じた。 プロットはどうということはないのだが、どこか心に残るものがある作品集。 マクベインの本性は87分署シリーズではなくて、むしろこちらにあるのではないかという気がしてならない。 |