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ミステリの祭典

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二輪馬車の秘密

作家 ファーガス・ヒューム
出版日1964年01月
平均点7.00点
書評数3人

No.3 7点 弾十六
(2024/09/01 11:40登録)
1886年メルボルンで自費出版。1887年ロンドンで出版。原題The Mystery of the Hansom Cab。新潮文庫(1964年 江藤 淳・足立 康 共訳、江藤先生の「あとがき」を読むとどうやら足立さんがメインっぽい)で読み、さらに新訳の扶桑社版も手に入れたので、じっくり再読した。扶桑社が「完訳版」と謳ってるので今まで完訳はなかったように受け取ってしまったが、新潮文庫版も立派な完訳である。いずれの翻訳も読みやすい。新潮文庫版はちょっと古めだが端正な日本語。さすが江藤先生である。
新訳(ページ数は電子本なので"pXXX/全体のページ数"で表示)の底本は“The Mystery of a Hansom Cab”(Rand, McNally & Company 1889)のようだ。全文がWikisourceにある。ヒューム自身の改訂版(Jarrold and Sons, London 1896. “377th Thousand“と表紙に記載)があり、こちらがGutenbergの元本なのだろう(底本は明記されていない)。新潮文庫(ページ数は"★pXX"で表示)は著者改訂1896年版に基づくものと思われる。
トリビアをざっとチェックしていて見つけたのだが、1889年版では第17章冒頭の広告のくだりが
in conjunction with Lewis's Egg Powder and someone else's Pale Ale(ルイス社のエッグパウダーやどこかのメーカーのペールエール・ビールと並んで p195/414)
となっているが、1896年版では
in conjunction with "Liquid Sunshine" Rum and "D.W.D." Whisky(リラウッド・サンシャイン・ラムやDWDウィスキーと並んで ★p171)
のように商品名が差し替えられていたのだ。オーストラリアのローカル物品はやめて、英国でも有名なブランドに変更したのかな? Hogarth Press 1985(著者改訂以前の版の英国最初のリプリントだという)の序文でStephen Knightが"For Jarrold's 1896 edition he cleaned up the language, cut some of the seamier and more Australian references"と言っている。
もちろん両方とも「完訳」なんだけど、扶桑社は「初版オリジナル」完訳版(厳密には初版じゃないだろうが)と宣伝した方がよかったのでは?(ここら辺の版の違いは解説等に記載が全く無い)
さてその著者改訂版Jarrold1896年に付された前書きが非常に面白い。Gutenberg版にもついてるので大抵の電子本にも付属しているはずだ。途中でネタバレがあるのでこの前書きは本篇読後に読んだ方が良い。ここではネタバレ部分は極力カットして以下ざっと抄訳。
「この本は英国ではすでに37万5千部が売れ、米国でも数種類の版が出ているが、この改訂版では徹底的に誤りなどを直した… そもそも私は劇作家志望だったがパッとせず… 近頃評判になっていると聞いてガボリオー(11冊を全部)を読み、面白かったので探偵小説を書いて注目を集めようと思った… 当時、二、三の短篇小説を発表していたが長篇を書くのは初めて… 初稿では××をyyにしていたが変更… Guttersnipe婆さんの描写はもっと下品だったが和らげた… Caltonと下宿のおばさんたち二人はよく知ってる人物がモデル… Little Bourke Streetにはかなり通って観察した… 原稿が完成したもののメルボルンのあらゆる出版社は植民地生まれの作品に見向きもしない… なので5000部を自費出版したら評判が良く、増刷してもあっと言う間に売れた… 機を見るに敏な者たちが「二輪馬車出版組合」を結成し、ロンドンで出版したら驚異的な成功をおさめた… 有名評論家Clement Scott氏の温かい評価がきっかけだろう… でも私は出版権を組合に売ってしまっており、利益とは無縁だった… ブームの一年後に私自身が英国に引っ越した… すでに色々な誤った噂が蔓延していた… この作品は事実に基づいたもの、とか(実際は純然たるフィクションである)… さらに英国では偽ファーガス・ヒュームが多数出没していて、ある偽者は名刺を作って続篇を売り込み、他の偽者は私が本物のヒュームだと言い張るなら撃ち殺す、とまで言い切った(幸いにもまだ実行されていないが)… 最後に、私はオーストラリア出身ではなくニュージーランド出身であり、引退した刑事ではなく法廷弁護士(barrister)であり、五十代ではなくまだ三十代であり、ファーガス・ヒュームはペンネームではなく本名であり、この改訂版を発行する前に受け取った利益は50ポンドだけだったことを言明しておく。」

初稿ではyyが違った!というのが実に面白い。(気になる人は本書を読んだ後でGutenbergを参照してくださいね)

さて内容は、前半(1-20章)と後半(そのあと)に大きく分かれていて、前半は実にスリリングに進む。でも後半でちょっとたるむ。なんか納得いかないモヤモヤが残る。そういう話ならそれまでの振る舞いがヘンテコじゃないの?という感じ。
まあでも当時のベストセラーになったのも良くわかる。そしてこれはザングウィル『ビッグ・ボウ』(1891)と比べると警察の評判がちょっと違っている。まあこれは『ビッグ・ボウ』の感想文に詳しく書きますよ…
トリビアはたくさんありすぎて疲れるので、もし暇があったらやるかもです…
たくさんの引用が散りばめられてるけど、当時の英国のメインストリームの小説家ならダサいと感じてここまで詰め込まないのでは?と思った。ローカル作家ならではの、背伸び感が微笑ましい。
メルボルンの通りは詳しくチェックしてないが全部実在っぽい。「郵便局の時計」というのはGeneral Post Office, Melbourneの立派な時計塔のことだろう。ルートが詳細なので聖地巡礼が楽しそう。
作中現在は冒頭の「一八──年七月二十八日、土曜日(p9/414)」から1883年で良いだろう。
価値換算は英国消費者物価指数基準1883/2024(152.38倍)で£1=29249円
当時の人口は1881年の数字でメルボルン268,000人(推計)、ロンドン4,711,456人。(なお東京都は1880年957,000人)
<以下は探偵小説関連のみ抜粋。全然未調査>
p9/414 ガボリオの小説を地で行くかのよう… かの名高い探偵ルコックにしても◆ ★p9「ガボロー」
p14/414 デュ・ボアゴベイの小説に、この奇怪な事件とよく似た殺人事件を描いた『乗合馬車の謎』という作品がある
p65/414 『リーヴェンワース事件』とか、まあ、そんな類の小説を思い出しますね◆ ★p60 レヴンワース事件か何かを思い出してごらん
p66/414 “ラトクリフ街道殺人事件”についてド・クインシーが書いたもの◆ ★p61 ド・クインシイのロンドン・マール殺人事件の解釈
p77/414 ミス・ブラッドンの小説
p87/414 ポー顔負けの遺体安置所の怪談
p111/414 オペラ・ハウスの〝グリア銃撃事件〟
p131/414 ガボリオの小説を読んでいますから
p131/414 ネッド・ケリーのような凶悪な犯罪者
p224/414 二枚目の人間が罪を犯すことはよくあることで、その証拠にイスカリオテのユダも皇帝ネロも美男子だったと力説◆ ★p195 イスカリオテのユダやネロは美男子
p233/414 開廷を告げる銀の鈴の音が法廷に鳴り響いて
p233/414 裁判長は黒い帽子をポケットに
p237/414 ジョン・ウィリアムズ◆ The Ratcliff Highway murders(1811)の犯人(1784-1811)
p279/414 片手間に探偵の仕事をしているイギリスの友人(a friend of mine, who is a bit of an amateur detective)◆ ★p241 「僕の友達で素人探偵みたいな男」これがシャーロックだった、という説は誰かとなえていないのかなあ。
p295/414 ディケンズの『ピクウィック・ペーパーズ』の中の恐ろしい話… 自分が狂っていることに気づいているにもかかわらず、それを長いあいだうまく隠しおおせた男の話
p342/414 ドア釘みたいに(アズ・ア・ドアネイル)◆ 「死」と結びついている?
p347/414 ネメシス◆ 長い解説だが面白い。本当の伝説か?
p363/414 あなたのパンを水の上に投げよ
p376/414 毒物取締法によると、買うときには立会人が必要なはず
p391/414 小切手の支払いはできなくなった
p394/414 古代ローマのコロッセウムで行なわれた… そこでは舞台が終わるとオルフェウスを演じた役者がクマに八つ裂きにされたのだよ

No.2 8点 人並由真
(2020/04/13 02:02登録)
(ネタバレなし)
 19世紀末のオーストラリアのメルボルン。その年の7月28日の夜、辻馬車である二輪馬車の馭者マルコム・ロイストンは、通りすがりの男に介抱された酔漢を乗客とする。だが同乗の男が先に降りたのち、あとには薬物で殺害された身許不明の酔漢の死体が残されていた。野心家の探偵サミュエル・コービイはこの事件に関心を抱き、帰らない下宿人オリヴァ・ホワイトに呼びかける新聞記事を手がかりに、謎の被害者の素性を見事に探知。さらにホワイトの関係者の証言から、牧場主の青年ブライアン・フィッツジェラルドが殺人容疑者だとつきとめる。しかし、逮捕されたブライアンの無実を信じる婚約者の令嬢マーガレット(マッジ)・フレトルビイは、ブライアンの友人でもある弁護士ダンカン・カルトンの協力を得て、恋人の潔白を明かそうとした。だが獄中のブライアンはなぜか、事件当夜のアリバイの開陳を言い淀む。埒があかないカルトンは、探偵コービィの長年のライバルであるメルボルンのもうひとりの名探偵キルシップを雇用。キルシップは、メルボルン中が賞賛する、敵対するコービィの主張<ブライアン真犯人説>を覆そうとするが。

 1886年の英国作品で、当時50万部以上を売った大ベストセラー。
  ターゲ・ラ・クール&ハラルド・モーゲンセンによる世界ミステリ史の研究文献「殺人読本」(1970年代にミステリマガジンに連載。ほんっとうに素晴らしい研究資料読み物だが、惜しくも書籍化されていない)の記述で、大英図書館は基本的に大半の蔵書を初版で収めるが、この作品『二輪馬車の秘密』に限ってはあまりの売れ行きのために初版を確保できず、十数刷めの版で妥協するしかなかったのだ、とかなんとか読んだ記憶がある。おお、聞くからになんか凄そう! まあ、売れればいいというものでもないけれど(笑)。

 それで実際の現物を読んでみて(昨年、新訳も出たのだけど、今回は旧版の新潮文庫版で読了)、うん、これはいい。
 もちろん19世紀のクラシック作品として、賞味するこちらの心持ちで下駄を履かせている部分もないではないが、不可解な事件の発生、独特のロジックで動く探偵の捜査といった前半がまず、すこぶる快調。キーパーソンである青年ブライアンが捕縛されてはおなじみのタイムサスペンスの興味に加え、なぜブライアンは沈黙を続けるかの、ある種のホワイダニットの謎が際立ってくる。さらに熱いプロ意識とプライドからライバル探偵コービィの功績を瓦解させようとする二人目の探偵キルシップが動き出す頃には、物語は白熱化の一途で、いやー、一世紀半もの歳月を経た旧作ながら、メチャクチャに面白いではないの! と血湧き肉躍る思い(笑)。
 もしブライアンが真犯人でないのなら、本当の殺人者は誰かというフーダニット。そんな興味も物語後半まで堅守され、謎解きのプロセスはさすがに近代パズラーのようなロジカルな興趣に迫るものではないにせよ、意外な筋立てでゾクゾクさせる。
 ストーリーの終盤は、物語の山場ギリギリまで大きく広げた風呂敷をたたんでいく収束感というか「ああ、ついに幕引きか……」的なさびしげな感慨もあるんだけど、その辺は読後の余韻にも転換されるので、まあよろしい。

 ヒュームの作品は、この数年間でマトモに翻訳された3冊全部を読了。それぞれがなかなか~実に面白かった。百数十冊も著作があり、なかにはあえて21世紀に発掘する価値もない作品もたぶんあるんだろうけど、一方でまだまだ楽しめる作品が残っているんじゃないかとも思う。できたら数年に一冊ずつくらいは、しばらく発掘紹介してほしい。

No.1 6点 nukkam
(2016/08/06 16:10登録)
(ネタバレなしです) ファーガス・ヒューム(1859-1932)はニュージーランド人の医師の息子として英国に生まれた作家で、一時期オーストラリアで暮らしたこともあります。本書はオーストラリア時代の1886年に発表されたデビュー作で(作品舞台もメルボルンです)、ミステリー史上50万部を突破した最初の作品として知られています(後には劇や映画にもなったほど成功しました)。本書の翌年にあのコナン・ドイルが「緋色の研究」(1887年)を出版していますがそちらがあまり売れなかったのとは対照的です。もっともヒュームもその後はミステリーとノン・ミステリー合わせて実に130冊以上も書いたのですが現在でも名を残しているのは本書ぐらいですが。書かれた時代が時代なのでロマンス小説の香りが強いのは仕方のないところで、ドイルの「緋色の研究」よりむしろウィルキー・コリンズの「月長石」(1868年)との共通点が多いと思います。本格派推理小説としての完成度は高くありませんが巧妙なミスディレクションによるどんでん返しはなかなか印象的ですし、物語としての構成もしっかりしているので今読んでもなかなか面白いです。

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