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ミステリの祭典

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僕は君を殺せない

作家 長谷川夕
出版日2015年12月
平均点4.67点
書評数3人

No.3 6点 人並由真
(2020/04/16 05:31登録)
(ネタバレなし)
 表題作は、そこにある挿話を、構成上の幻惑で実際以上に印象的に語るという意味で、夢野久作の『瓶詰地獄』を思い出した(もちろんその構成そのものの舵の切り方などは、まるで違うが)。

 ちなみに名探偵ジャパンさんのおっしゃる、作者の恣意的な手法「わざと解像度の低い画像を見せていて、いざというときになってから解像度を上げて」いる、についてはまったくその通りだと思うが、個人的にはこの作品の場合、それもまたひとつの技巧でよいのでは、という観測(あくまで個人の所感ですが)。
 ただし送り手の狙おうとした効果の程には、まだまだ伸びしろがあったろうなという感慨も抱くので、そこらへんはちょっと減点。

 しかし表題作に触れて頭の中に夢野の名前が浮かんできたせいか、後半の『Aさん』も『春の遺書』も、どちらもなんか、戦前の博文館系列の「探偵小説」の発掘作品、その浪漫系の短編を読んでいるような味わいであった。作中の風俗などを昭和初期のものに書き改められて、たとえば渡辺兄弟(啓助&温)あたりが一時期こういうものを著していたんだよ、と、年長のミステリマニアに何食わぬ顔でしれっとからかわれたら、半ば信じてしまいそうな感触もある(笑・汗)。

 そういう意味では、いまの時代で、逆に新鮮な作風でもあった。
 ジャケットカバー裏表紙の大仰な物言いは、確かに過大広告だろうけど、そんなに悪くはないです。
 評点は0.5点くらいオマケして。

No.2 4点 名探偵ジャパン
(2019/06/08 23:05登録)
以下は、私が入手した本の帯に書かれていた惹句です。
「新感覚ミステリー」
「二度読み必至!!」
「三浦しをん絶賛『クライマックスの雪のシーンは、淡々として美しく、凄みすら感じた』」
「|問題|だれが「僕」で、だれが「君」でしょう?」
「誰も想像しない驚愕のラストへ!」

ひいぃ! ハードル上げすぎぃ!!

で、読んでみたわけですが、本作に対して上記したような惹句が妥当なのであれば、折原一の作品群に対しては、飾る言葉を見つけるのに相当の苦労を必要とするでしょう。少なくとも本作が刊行された2015年時点で、これを「新感覚ミステリー」と名付けること自体結構な感覚と言えます。
正直、過剰包装ともいえるこれらの惹句でハードルが上がりすぎさえしなければ、ごく普通のミステリ風サスペンスものとして読めて、5点くらいつけるのにやぶさかではなかったかもしれません。

それで、肝心の内容についてですが、作者の腕なのか、それとも「騙そう」という意識が前面に出すぎなのかは分かりませんが、やけに描写や状況の説明が下手で不足しており、読んでいてなんだかもやもやしました。
この手の「騙し」というのは、ある鮮明な画像を見せられていたのに、見る角度を変えただけで全く違ったものに認識されてしまうという、騙し絵的な爽快感が魅力だと思うのです。対して本作は、わざと解像度の低い画像を見せていて、いざというときになってから解像度を上げて「実はこういう絵でした!」とやられているような、腑に落ちない感じを受けました。

作者は本作がデビュー作ということですから、まだまだこれからでしょう。文体は軽やかで読みやすく、「10~20代から圧倒的支持!」という惹句もあり、「7.5万部突破」しているという実績もあります。変に騙し的なことを意識せず、一度王道のミステリで勝負して欲しいと思います。

No.1 4点 メルカトル
(2016/01/23 23:40登録)
表題作の中編と2短編の作品集。
表題作は帯に新感覚ミステリー、二度読み必死とか謳っているが大袈裟。あえて表現すれば粗削り過ぎる。「ぼく」と「俺」の二つのパートから構成されており、最初は全く別の話が次第に繋がっていくという、既視感アリアリのストーリーとプロット。しかも、描写がいい加減な部分が多く、丁寧さや読者に対する思いやりに欠ける気が大いにする。特にサプライズもなければ新味もない、乱暴さだけが目立つ凡作。
『Aさん』はホラー風味の、やや不気味な小説だが、結局意味不明な終わり方でなんだろう?という読後感しか残らない。
最終話の『春の遺書』は最もよくできた作品。自殺した大叔父の胃の中から発見された紙片はいったい何だったのか、という主題を元に若葉が最後に見たものは?ちょっぴり切なさの残る文芸作品である。

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