皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
レイ・ブラッドベリへさん |
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平均点: 7.30点 | 書評数: 33件 |
No.5 | 8点 | 湖底のまつり- 泡坂妻夫 | 2009/05/06 01:32 |
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皆さんの辛口批評のなか
「僕はとても感動した」と書くのは、いささか気が引けます。 でも臆面もなく言うならば…切ない恋愛小説を読んだような気がします。 心に受けた大きな傷に追い立てられるように旅に出て 苦しみを癒してくれる人と巡りあい、突然訪れた別れ。 この地で起きたすべての出来事の儚さと頼りなさ。 異郷の里の祭りの中に一人で残された心細さ…。 そしてこともあろうに泡坂氏は この舞台となる山奥の村とそこに伝わる奇祭を まるごとダムの水底深く沈めてしまいます。 …それから作者は、最終章で奇跡を行います。 ダムの奥深く沈んだ村を再びこの地に引き上げて、あの祭を復活させます。 鳴り続く笛や鉦の音と共に。 微かな期待と共に、この地を再訪した人の胸に宿る再会への予感… そしてこの奇跡に出会った彼女が叫ぶ一言に それまで抱えていた喪失感の深さと あきらめていたものへ再会できた喜びの大きさを見てしまいます。 これは泡坂氏の新たな一面を窺い知ることができる 僕のとても好きな一編です。 |
No.4 | 7点 | 花嫁のさけび- 泡坂妻夫 | 2009/03/21 02:02 |
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テレビ・ドラマとして放映されることを知り、当日は早めに夕食を済ませて、テレビの前に座りました。本の方はもう何年も前に読みましたが、その後処分しており、内容もすっかり忘れていたので、新鮮な気持ちで観ることができました(笑)。
犯人の独白を聞いて「ああ、そうだったのか!これはぜひ、もう一度読まなくては…」とばかり書店に走りましたが、既に絶版のためか、店頭には全く見当たりませんでした。その後も気にはかけていたのですが、先日、たまたま駅前のブック〇フで見つけたので早速購入し、読み直す機会を得ることが出来ました。 初読の時からずうっと「『レベッカ』の設定を借りているのか」と思っていましたが、再読してみると、なんと、それすらもミス・ディレクションだったことに気づいてビックリ。 それからこの作品を一編の本格推理小説としてみた場合、(あの古典的作品を語るように)確かに「フェア/アンフェア」の議論は成立すると思います。 でも、それらも含めて、とにかく小説としての構成が素晴らしいと思いました。 この物語をどの視点で描くのか。どのように書き出してどう展開するのか。読者に何を語り何を隠すのか…。 これらについて本当にすみずみまで計算し尽した、技巧を凝らした作品だと改めて感心したのです。 |
No.3 | 10点 | 亜愛一郎の転倒- 泡坂妻夫 | 2008/02/04 00:25 |
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〔掘出された童話〕
暗号をテーマとした「掘出された童話」は、前作「亜愛一郎の狼狽」所載の短編。 僕は暗号モノが特別好きなわけではないのだが、大層面白く思ったので、ここで感想を。 まず例によって構成がすごい。 物語の冒頭に、暗号の全文4ページが、「さあ解いて見ろ」といわんばかりにドーンと掲げられる。(「もりのさる おまつり の」)。 そして「一荷聡司(いちに さとし)は、面白い玩具に出会った」と、物語が開始する。 一荷は事あるごとに、この「消えるドクロ」の玩具を見せびらかすのだが、雑誌社の編集部でこれを見た探偵が、突然、目を白くして倒れかかる。 彼はこのとき、玩具の仕掛けを見破ると同時に、冒頭の暗号解読の手掛かりを得たのだ。 それから物語の進行と共に、(作者一流の手段による伏線として)次々に解読の手掛りが示されていく。 暗号文の綴りミス。暗号作者の経歴(!)。ひいては彼の吝嗇(りんしょく)という性格までもが、解読の手がかりとなる。(でもさすがにこの部分は、いささか強引という気もするのだが…)。 とにかく「読者への挑戦状」こそ無いが、まさしくこの物語は堂々たる「本格もの」として構成された一編であることがわかる。 〔本作の暗号について〕 これまでミステリで創案された暗号は、例えばポーのものは数字や記号を組合せたものであり、ドイルのものは、様々なポーズをとった「人形の絵」であった。だから暗号文自体に意味はなく、それを読んでも「ん? 何だ、これ?」としか思えないものが多かった。 ところが本作のものは「かな文字」で書かれた、きちんと意味の通る「童話」の体をなしている。それゆえ読者は、書かれている内容から意味を読み解こうとして、まんまと作者の仕掛けたワナに陥ることになる(のだと思う)。 次に、この暗号文が二重の構造となっていること。 「もりのさる」の暗号の構成に気づくと、そこにもうひとつの言語体系が浮かび上がる。 そしてこれは、「コードブック」を参照しないと解けないものなのだ。 このため解読の手がかりをつかんだ探偵は、しっかり図書館へ行って、このコードブックを調べている。 それから解決編で、この二重に構成された暗号文を読者に説明するため、作者は「もりのさる」にルビをふる。 なんという驚異! 泡坂氏は、ひらがなで書かれた「もりのさる」にカタカナの「読み仮名」(!)をふるのだ。 〔亜愛一郎の転倒〕 全8作中、亜愛一郎は、すべての物語で「ちゃんと」転んでいます。(笑)。 それから「砂我家の消失」では、旅先の宿で目を覚ますと、隣にあった家屋が消えているという謎を扱っています。 E・クイーンの作品と比べると(マジシャンでもある泡坂さんとは思えないような)「ちからワザ」の印象を受けましたが、これもまた一興なのでしょう。 |
No.2 | 10点 | 亜愛一郎の狼狽- 泡坂妻夫 | 2008/01/21 02:44 |
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本格ミステリの分野では、これまでにいくつもの重要な法則(?)が発見されている。
中でも有名なのは「賢人は木の葉を森に隠す」というチェスタートンの法則であろう。 しかもチェスタートンが優れているのは、「では森が無ければ、どうすればよいか」と自問してこの論理を推し進め、ついには最上のミステリにまで発展させたことだ。 しかし、この種の奇抜な「法則」の発見にかけては、泡坂さんも負けてはいない。 「DL2号機事件」では「偶然に起ることを予測するとき、人間はだいたい三通りの思考方法をとるようです。」というスルどい洞察をもとに、登場人物のちょっとした不自然な動作から、彼がオノを振り回す殺人鬼に変貌する有様を予測する。 「G線上の鼬」もスゴい。 探偵は「ところが、人間というものは、面白いことに、全くでたらめに・・・できにくい性格を持っているものです」という信念のもと、たまたま遭遇した奇妙な殺人事件を解明してみせるのだが、この「人間というものは…」という論理は、いわゆる「逆説」と呼ばれるものなので、いきなりそんな事を言われても、大抵の人は「ん?本当にそうかな?」と納得しないに違いない。 そこで作者は、物語の冒頭から、この逆説を証明する例証を「これでもか」といわんばかりに挙げていく。登場人物にてんぷら定食を食べさせ、地図上のドライブでオペラ座の前を左折させ、最後には「命知らずの恋」なる歌謡曲まで作りあげて歌手に歌わせている。 この物語を読み返してみると、何と、殺人事件が起きるまでのエピソードの全てが、この「法則」を証明する事例となっているのだ。 ミステリを読む楽しみのひとつに「常識の盲点をついた視点の奇抜さ」とか「不可思議な謎への解明の鮮やかさ」との邂逅がある。そういう意味で、この亜愛一郎が活躍する連作短編集は、優れたミステリとして正統的な、(また良い意味での)昔ながらの面白さを伝えてくれる。 |
No.1 | 10点 | 乱れからくり- 泡坂妻夫 | 2007/11/17 00:04 |
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僕がこの作品を読んだのは、もうずいぶん前のことです。しかもその後、持っていた本を処分したため、細部はスッカリ忘れてしまっているのですが、それでも「今までに読んだことのなかった新しい犯人パターン」に、ビックリした記憶があります。(探偵小説を読んでいて、最後の解決編で探偵役から「こいつが犯人だ」と指摘されると、「えーッ、だって、そいつは〇〇じゃないか!」と叫ぶことがあります。まさに、この作品もそうなのです。「エッ! だってそいつは…」)
これは全くの想像なのですが、作者はあるとき天啓として、この「新しい犯人パターン」を得たのだと思います。(良かれ悪しかれ、とにかくこの途方もないアイディアを、まず思いついてしまったのです。)そしてその次に、着想したアイディアを、ミステリとして成立せしめるプロットを考えだし、さらにそのプロットに最もふさわしい「からくり」という意匠を与えたのではないのでしょうか。 こうして完成した、すみずみまで計算し尽した物語に対し、作者は皮肉にも、隕石事故という現実には絶対に生じない、ありえない事件を設定して、からくり始動のスイッチを押すのです。そして、このような偶発的な事件が引き起こした結果について思いやると…。 僕はそこに、作者がこの物語に込めた「確固たる神意」を思ってしまうのです。 |