皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.34点 | 書評数: 2199件 |
No.219 | 7点 | パーフェクト殺人- H・R・F・キーティング | 2017/10/03 17:27 |
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(ネタバレなし)
有名な出落ちタイトルのミステリ(理由はminiさんのレビュー参照)、この趣向を知っただけでケッサクと思えて、読みもしないうちに半ばお腹いっぱい。古書で購入後、そのまましばらくツンドクにしてあった。それでこのたびそろそろ読んでみようと手に取る。ちなみにゴーテ警部もキーティングも長編はこれが初めて(例によってキーティングも、本そのものはそれなりに買ってはあるのだが~汗~)。 結論から言うと期待以上に面白かった。大筋の骨格はパズラーティストの警察捜査小説という感じ。特に、警官として家庭人として権力者に睨まれて辞職に追い込まれるような暴走めいた行為はできないが、その一方で世の中の正義に対してはできるかぎり誠実であろうとするゴーテ警部のキャラクターには、デティルが書き込まれた小説ならではのリアリティとそれゆえの魅力がある。 さらにそれと対照される形で描かれる、事件関係者で建築業界の大物ヴァルデーや、また上にはへつらい下には厳しいゴーテの上司サマント警視補などの主要&サブキャラクターたちも味わい深い。 なかでは、ユネスコから派遣された犯罪学者でインド警察の見学にきたスウェーデン人スヴェンソンが出色。当初はゴーテ警部のお荷物的な人物の役割かと思いきや、意外に直情的な正義漢で、青臭いながらもなかなか男気のあるところを見せるのもいい。物語の後半、このスヴェンソンが本筋から離れたところで窮地に陥る際、本気で肩入れて心配してしまった。 (一方で家庭を顧みない夫として妻子から警部が批難されるのは、捜査官ものの王道のお約束を守った感じだが。) なお肝心の犯人捜しのミステリとしては変化球の小技を重ねて奇妙な新鮮味を出している手応えだが(××××と思いきや…とか)、ギリギリまで真犯人の正体を引っ張るサスペンスは悪くない。その犯人特定の伏線は短編ネタ…にさえなっていない感じもするが、一応張られており、見ようによってはかなり大胆な手掛かりかもしれない。尻切れトンボのように見えなくもないラストも、個人的には余韻を感じて気に入っている。 ちなみにゴールデンダガー受賞(さらにエドガー賞の候補)に関しては、インドを舞台にしたエキゾチシズムで大幅に評価の底上げしたことは間違いないが、それでもたしかに、貧富の差が大きく、司法体制が盤石ではない(当時の)同国のお国柄と臨場感はよく描けている。 先に書いたスウェーデン人スヴェンソンが勝手な思い込みでインドの文化に古来からの神秘性を見出そうとし、その一方でインドの貧民に対して中途半端に小市民的なヒューマニストになるところも心に残る。 彼は眼前の物乞いの子供にお金をあげたいと思うが、そんなことをすれば数十人・数百人の子供に同じことをしなければならない、とゴーテに止められる(『タイガーマスク』の「全アジアプロレス王座決定戦編」の一場面を思い出す描写だ)。だがそういった、幼い善意と切ない世知をぶつけあう叙述の積み重ねが、スヴェンソンとゴーテの間にある種の友情と信頼感を育んでいくあたりもとても良い。 たぶん本作は、発表当時の60年代には、大昔の『四つの書名』『月長石』からなんとなく受け継がれていた<英国ミステリ界のインド文化に対する伝奇的なイメージ>を切り崩して新鮮に見えたんだろうね。 WEBを通じて21世紀のインドの文化レベルが世界中に広範に知られるようになった現代では、また違う読み方をされるんだろうけれど。 |
No.218 | 6点 | 引き潮 - ロバート・ルイス・スティーヴンソン&ロイド・オズボーン | 2017/10/02 18:30 |
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(ネタバレなし)
19世紀の南太平洋タヒチ。その一角では、かつてオクスフォードに在学しながらも社会に出てからは性格的に仕事に身が入らず、愛妻とも別れた青年ロバート・へリックが、流浪の末のその日暮らしを続けていた。そんなヘリックと、貧しい白人同士の連帯感から共同生活を送るのは、深酒が原因で自分の管理する船を失った壮年の元船長「ブラウン」ことジョン・ディビィス、そしてロンドンの下町出身の元店員で小悪党のヒュイッシュだった。やがてある日、近隣の海運会社が管理する商船に天然痘が発生。乗員がいなくなった会社は急遽ディビスを雇用し、さらにその仲間2人をも雇い入れた。不遇な人生を逆転するチャンス到来と見たディビスは、この機を利用した洋上でのシージャックを構想。ヘリックたちを引き込み、積み荷もろとも船を手に入れて金持ちになる算段を始めるが…。 スティーブンソン(本作の邦訳書ではスティーブンスン標記)が継子のロイド・オズボーンとともに1894年に著した長編海洋冒険小説。解説によると実際の執筆はロイドがほとんど行ったようである。 設定だけ見るとよくもわるくも古色の漂う王道海洋ロマン(&ピカレスク)という印象もあるのだが、これでもかの『月長石』よりおよそ四半世紀のちの刊行で、比較的近代に近い作品である。 主人公トリオは大雑把に言って、ヘリック=(まあ)善人、ディビィス=悪人でも善人でもない、ヒュイッシュ=人間臭い面もあるが、基本的に悪人、というキャラクターシフトで配置されている。 (具体的にはビンボーだからといって悪い事していいのか、と葛藤するヘリックに対し、ビンボーだから多少のダーティ行為は仕方がない、と考えるディビィス、さらにビンボー人が悪い事して金を稼いで何が悪い、とうそぶくヒュイッシュだ。) だがやがて、そんな彼らの関係性が、洋上のクライシスの連続のなかで、逐次、微妙にバランスを変えていくところが本作の読み所でもある。 作品の狙いとしては、おもてむき読み手に向けて人間として曲げてはならない道徳意識をつねに啓蒙しながらも、実はところどころで<ちょっとくらい生きるためには道を踏み外してもしかたないよね>と甘く囁く背徳的な部分も感じられ、ああ、これは当時の読者にひそかにウケたであろう、という趣がある。そういった辺りに21世紀の現代にも通じる普遍的な感覚を見出せて、その辺はなかなか楽しい。 物語的にはラストがややあっけなく(ただしクライマックスの奇妙な緊迫感はなかなか)、全体的にはもっともっと長くても良かった気もするが、その辺の楽しさは、ほかのスティーブンソン(&ロイド)作品で満喫すればいいのであろう。 ちなみにドイルもチェスタートンもボルヘスも本書を愛読(または評価)してたそうだ。 |
No.217 | 5点 | 木足の猿- 戸南浩平 | 2017/10/01 23:42 |
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(ネタバレなし)
大政奉還の余熱がまだ冷めやらぬ明治九年の九月。東京の一角で英国人が殺害され、その首を斬られる事件が生じた。やがて事態は同様の手口で連続する英国人の殺人事件へと発展していく。同じ頃、左足が義足の居合の達人・奥井隆之は、刎頸の友・水口修二郎の仇を追っていた。仇は元・同じ藩の藩士・矢島鉄之進で、すでに奥井の追跡行は17年目の長きに及んでいた。そんななかで奥井はなりゆきから、巷を騒がす英国人連続殺人事件の謎を追うことになるが。 光文社主催の<日本ミステリー文学大賞新人賞>その第二十回受賞作。 webで評判がいいので一読してみた。 うん、文明開化の新しい時代を迎えながら、いまだ士農工商の身分制度や武士の矜持、さらには元・間者(忍者)としての出生から逃れられない不器用な人間たちの姿が、主人公の奥井をふくめて丁寧に描かれている。特に奥井が出会う、名も知れぬ(あるいはそれに近い)サブキャラクターの叙述など、それぞれがなかなか印象に残る。ふだんは時代小説をあまり読まない自分だが、たぶんそっちの分野のなかでも、これは現在形の新作として、それなり以上に読み応えのある内容だろう? ただしミステリとしては仕掛けが当初から見え見えで、正直、底が浅い。英国人連続殺人の実態も21世紀の作品としてはお寒い真相で、現在形のミステリとしてはかなりキツイ。 とりわけ個人的に不満なのは、どうも作者の心構えに勘違いがあるようなこと。 せっかく<日本ミステリー文学大賞新人賞>に応募しながらミステリとしてはあまり手の込んだものを作る裁量がなかったためか、<昔からある様式>の<ある種のスタイルの作品>をまとめましたという感じのところだ。なんつーか「こういうお話はこういう結末になるのはお約束だから、ミステリ読者全般の方々もこれで納得してください」と言いたげな作劇とクロージングで、それってズバリ試合放棄でしょう、という実感である。 切なくセンチメンタルな時代小説としてはそれなり以上に楽しめたんだけどね。ミステリとしては、いろんな意味であまり良い点はあげられません。 |
No.216 | 6点 | ソニア・ウェイワードの帰還- マイケル・イネス | 2017/09/30 15:44 |
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(ネタバレなし)
ロマンス小説の分野で大人気を誇る女流作家、ソニア・ウェイワード(本名ソニア・ペティケード)。そのソニアが、夫で元軍医のフォリオット・ペティケードとヨットでふたりだけでの遊興中、急死してしまう。贅沢な生活を支える収入の全てをソニアに頼っていたペティケードはとっさの判断で、妻の死亡事実を隠蔽しようと決断。妻の死体を海に捨てた。自宅に帰ったペティケードは、妻は海外旅行中と周囲に称し、途中まで執筆中の原稿は自らの手で書き継ぐが…。 イネスが1960年に執筆したノンシリーズもの。軽妙なクライム? ストーリーで、主人公は、人気作家の妻が死んだという事実を秘匿するため、実にケチな隠蔽工作を続けていくだけ(後半、少し暴走するが)。 しかし彼のそんな作戦の流れが、思わぬクライシスに妨げられることの連続という趣向で綴られていき、ちっとも退屈しない。全編を彩るイギリス流のドライユーモアも、どっか小林信彦を思わせる面白さで、読み易い邦訳を心掛けた翻訳者の苦労もうかがえる。 ラストに至る大筋の流れは予想もつかないでもないが(これに関しては、原題の方がある意味ネタバレっぽい)、その手前の人を喰ったドンデン返しも悪くない。筆者がイネスの長編をまともに読むのは実はこれが初めてだが、楽しい一冊であった。 |
No.215 | 5点 | T島事件 絶海の孤島でなぜ六人は死亡したのか- 詠坂雄二 | 2017/09/29 13:01 |
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(ネタバレなし)
まだ詠坂作品はそんなに読んでないため、読後にwebでファンの研究サイトを見て、諸作の世界観が自由自在にリンクしている現実を思い知らされた。まあ本文中でもそれらしい叙述はあちこちにあったが、ここまでとは…という軽い驚き。 したがって自分は本作のキーパーソン? といえる名探偵・月島凪のこの作品内での立ち位置も、おそらくまったく十全に満喫してないであろう。(ほぼ)一見さんには敷居の高い作品だね、これは。 事件の方も、新本格ミステリのクローズド・サークルもの、さらには「そして誰もいなくなった」の定型性を揶揄したような趣向は良いとして、<編集もされていない単なる記録録画テープの退屈さ>をまんま置換して読者を退屈させるような、たぶん意図的に起伏を欠いた文章も疲れた。いや狙いはわかるつもりですが。 最後の章ひとつまえの意外性、さらには最終章の解決(とここで明かされる本作の存在意味)も、それぞれのネタを素直に出さない&盛り上げない作者の屈折ぶりには好感を抱くが、一方でそのひねくれ具合が面白さに繋がっているかというと、う~ん。まあ、おまえの気づいていないこういうギミックもまだあるんだよ、と言われそうな一冊でもあるんだけれど。 |
No.214 | 6点 | 都筑道夫の小説指南―エンタテインメントを書く- 評論・エッセイ | 2017/09/29 12:45 |
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1970年代末頃から数年(以上)にわたり、都筑道夫が西武デパート池袋店のコミュニティ・カレッジで設けた定期的な講演「エンタテインメント作法入門」の内容を活字にしたもの。本文は録音の記録から起こされ、文章化は講談社ゼミナール選書(本書を収録した叢書)の編集者・藤田克彦が都筑の監修のもとに行っている。
本書の一応の体裁としては、これから小説家を志す人向けのもの。 そのうえで都筑の講演は基本的な執筆作法や売文上の決まり事(ワープロやPC以前の、原稿用紙が主流の時代のものだが)、また自分はこうしてきた、などの知識や技術を伝えているが、肝心な創作上のポイントのなかには言葉にしにくいものもあり、それは当人も自覚している。 そんな枠組みのなかで主体に語られるのはショートショートそしてホラー執筆の都筑なりのノウハウで、先に本サイトで当方がレビューしたばかりの都筑のショートショート集『夢幻地獄四十八景』の一編「夜の声」とそれをリメイクした奇妙な味の短編『風見鶏』を比較対照するための実作として掲載している。このあたりは基本的には同じプロットでありながら、物語の興味の比重を変えていく送り手の意向が窺えて興味深かった。 同時にショートショートやホラーの本質についても言及され、特に後者の場合、「怖さ」の幅を説明するために実例として語られる、現実のなかで出会った不条理な逸話なども面白い(夏場、一見まともそうな年輩の運転手のタクシーに乗った際のエピソードなど、実際の車中でその当人と二人きりになっていた都筑自身の語り口のうまさもあって、本当に肝が冷える)。 しかし本書を通読して思ったのは、ほんものの趣味人作家としての都筑の知識量の凄さと、その素養に基づく言葉へのこだわり。 その辺は言外に、昨今の<なんちゃって作家>や<スーダラ読者>を(都筑流のユーモアをところどころまぶした皮肉で)批判しているようにも読め、思わず襟を正すこともしきり。 たとえば『九マイルは遠すぎる』へのリスペクトで書いた短編を若い読者に「ケメルマンの真似だ」と言われて驚くエピソードは読んでるこっちもいっしょになって呆れて笑えるが、『捕物帳もどき』のメイキングとして開陳される、諸編へのネタの仕込み具合の豊富さなど、もうついていけない。もちろんそれは受け手の自分にそういう素養が薄いからだが、都筑にとっての「有名な作品」が読者(自分)にとってそうでない場合の隔差というのがここまであるのだと改めて思い知らされた。 ここまで引きだしの多い作家は、狙った意図が読者にいまひとつ伝わらず、送り手としてさぞ歯がゆい思いをすることも往々にあったんだろうなあ、とも思う。 まとめとしては、作家志望というより、都筑作品の読者にこそ読んでもらいたい一冊。創作の経緯を窺いたい受け手の興味に応え、その意味では都筑ファンの末席として非常に楽しかった。 |
No.213 | 6点 | 吸血鬼の島 (江戸川乱歩からの挑戦状―SF・ホラー編)- 江戸川乱歩 | 2017/09/29 11:08 |
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(ネタバレなし)
乱歩による戦後の「少年探偵団」シリーズにおいて、最初のそして最大のフランチャイズだった光文社の月刊誌「少年」。その「少年」誌にシリーズ本編と並行して昭和29年~38年に掲載された、乱歩名義による「少年探偵団」もの、またそれ以外の<クイズ読み物>形式の作品群17編を集成したもの。 この乱歩のクイズ読み物の集成は、数巻の刊行が予定されており、その初弾にあたる本書は<SF・ホラー編>として、スーパーナチュラル要素や怪奇趣味の強い作品を主軸に、変わったものでは西部劇風、捕り物帳風の連作ものまで収録してある。 なお本書編纂のベースになった古書は、大型古書店「まんだらけ」の膨大な蔵書(売り物として整理中のもの)によるようで、当時の雑誌版の挿し絵まで復刻という実に嬉しい作り。 ちなみにこのクイズ形式の作品群の実際の執筆は乱歩本人ではないらしく、名義を貸与された複数作家のようだが、現状ではその正体はしれない。 収録作品にも長短の差があり、長めの作品はほんとんど普通の短編ジュブナイルとして読める。その辺りの長めの諸作は巻頭に集められているが、そのなかでは標題作のケレン味が最高。 孤島に財宝を捜しにいった二十面相がその島の伝説の吸血鬼の女王を目覚めさせてしまい、賊の部下が全員、血を吸われて彼女の眷属にされてしまう。二十面相はかつてない危機を迎え、やむなくふだんは宿敵の明智と小林少年に打倒吸血鬼のための応援を願うというもの。 まさに正編「少年探偵団」シリーズでも、こういうものを読みたかった! という感涙のシチュエーションだが、一方でこの状況を成立させるには、二十面相以上の強敵を出す流れとなり、それではシリーズの約束事を損壊してしまう。また最後まで度外れたスーパーナチュラル要素が導入されなかった正編シリーズならまともな吸血鬼が出現するのはどうかとも思えるのだが、こういう外伝作品(乱歩公認~たぶん~による、他作家の二次創作)なら、そういうものもぎりぎりアリだろうと納得できる。少なくとも筆者的には大歓迎。 標題作と同様の紙幅の短編作品(ジュブナイル基準なら中編といえるかも)がいくつか巻頭から収録されたのち、本書の後半は短めの探偵クイズ読み物になり、なかにはドイルの某作品のまんまイタダキもあるが、まあ当時としてはこれも許されたのだろうと微笑ましい。 なお各編には編纂に当たった森・野村両氏の子細な解説も付加され、これもまた楽しいが、唯一、気になるのは後半収録の短編「悪魔の命令」のなかで明智夫人の名が「君代」と記述されてることに、なんの説明や考察もないこと。まさかこの異同に気づかなかった訳ではあるまい。 新刊で買うとやや高価だが、貴重なものが読めるという意味では大歓迎のこの新シリーズ。巻末のリストを見ると、まだまだ未収録作品はたっぷりあるようなので、早めの続刊をお願いしたい。 できれば武田武彦とかによる乱歩&少年探偵団ものの長編作品の代作・リライトなどもいっしょに復刊してくれると嬉しいんだけれど。 |
No.212 | 6点 | サムスン島の謎- アンドリュウ・ガーヴ | 2017/09/26 18:12 |
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(ネタバレなし)
「わたし」こと歴史学の大学講師で、アマチュア考古学者でもあるジョン・レイヴァリイ(29歳)。彼は発掘調査に向かった英国南西部のシシリー諸島、その一角のサムスン島で、同年代の美貌の人妻オリヴィア・ケンドリックと出会う。なりゆきから偶然、閉ざされた地所にふたりだけ取り残されたジョンとオリヴィアは、清廉な関係のまま、そこでともに一晩を過ごした。だがオリヴィアの夫で父親ほども年の違う古参の新聞記者ロニイ(ロナルド)が二人の仲を一方的に疑い、ジョンに手を上げた末に崖下の海へ落ちてしまう。助けようと海に跳びこむジョンだが、ロニイは見つからず、死体も上がらない。やがてジョンの脳裏には、ある疑念が生じてくる…。 カギカッコの台詞によるダイアローグの比重が多く、ガーヴの諸作のなかでもこれはその意味で上位に来る印象。当然ながらただでさえスピーディな展開のガーヴ作品のなかでもかなりリーダビリティは高く、あっという間に読み終えてしまう。 死体が見つからないロニイの謎、その裏に潜むかもしれない何者かの意志、そもそもジョンとオリヴィアの出会いは…などなど物語の興味を牽引するフック要素は非常に豊富で、後半にはいかにもイギリスの正統派冒険小説らしい自然のなかでのクライシス描写も登場し、物語に厚みを与えている。 なお本書(ポケミス版)の訳者の福島正実はもちろん日本SF分野での偉人だが、ミステリには全般的に興味が薄く、でもその(ミステリジャンルの)なかでは例外的にガーヴが好きだったと語っており(どこで読んだか忘れたが)、実際に翻訳を担当したガーヴ作品も少なくない。 それで本書はその福島が(この時点までの)ガーヴのベスト5に入る一本というだけあって、ページ数的にはそこそこ(本文200ページちょっと)ながら、密度感は高い。最後のミステリとして「え、そっち!?」という意外性も印象的で、まあ福島のように、褒める人が褒めるのは理解できる本書の出来である。 とはいえ一方で、これだけの内容(物語要素)を語るのなら、昨今の作品ならポケミス換算で最低でも300ページは使うんじゃないかなあ…という感慨も正直、あったりした。その意味では贅沢ながら、もっともっと長めに読みたかった気もする。 それゆえに良く出来た作品だとは思うものの、評点はちょっと辛めでこの点数。 まあガーヴの作品に重厚感を期待するのはお門違い…という気もしないでもないが、いやいや『カックー線事件』なんか紙幅的にも質的にも相応のボリューム感はあったし、できない訳ではないんだよね。実際、器用な職人作家という印象が強い一方、けっこうバラエティ感も豊富な書き手だしさ。 ちなみに訳者あとがきでは、本書刊行当時の未訳作品「The Narrow Search」もポケミス近刊予定とあったが結局それは叶わず、近年の2014年になって論創から『運河の追跡』の邦題でようやく発刊された。本書とそちらの間、変わらずリアルタイムのミステリファンだった年輩の方のなかには、感無量の人もいるのかもしれない。 |
No.211 | 7点 | 曇りガラスの街- ジョナサン・ヴェイリン | 2017/09/24 20:43 |
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(ネタバレなし)
恋人と別離し、傷心の私立探偵ハリイ・ストウナー。そんな彼に、高名な物理学者ダリル・ラヴィングウェル教授から依頼がある。教授は国家機密の原子力プロジェクトに携わっていたが、重要な書類を娘のサラに持ちだされた可能性があるので調べてほしいと訴えてきた。24歳の娘サラはマルクス主義の環境保護論者で、原子力政策に関わる父とは、なさぬ仲だった。事態を公にしたくない教授の意向を受け、ストウナーはまず自分で現場の検証に当たるが、事件は複雑かつ意外な方向へと発展していく。 未読の80年代私立探偵小説をたまには読もうと思って、手にした一冊。 ヴェイリンのストウナーものは初期の4作目までが順々に翻訳され、筆者は第1作『シンシナティ・ブルース』をかなり楽しんだ記憶のみがある(内容の方は事件の概要以外、ほとんど忘れているが)。第2作『獲物は狩人を追う』は読んだかどうかの記憶すら曖昧で、もしかしたらまだ手付かずかもしれない。ちなみに本作はシリーズ第3弾にあたる。 なお作者ヴェイリンは当然のごとく、R・チャンドラーへのトリビュートアンソロジー『フィリップ・マーロウの事件簿(フィリップ・マーロウの事件)』にも参加した真っ当なチャンドリアンで、主人公ストウナーも地方検事局勤務の経歴がある三十代? のハンサム、さらに作中でもマーロウに倣ってチェスを手慰みに楽しむなど、本家を明確に意識している。 80年代のいわゆるネオ・ハードボイルド期には、多様なキャラクター属性の私立探偵たちが、あたかも黄金時代のホームズのライバルたちのごとく賑わったが、このストウナーはそんななかで、その性格も行動もわかりやすいスタイルもふくめて、最もマーロウの遺伝子を色濃く受け継いだ私立探偵ヒーローの一人のようだった。 とはいえ正統派ハードボイルドの精神は随所に匂わせつつも、同時に(80年代当時の)現代ミステリとしての魅力も充満。ストウナーが捜査を進めるにつれて意外な顔を見せていく事件の真実、さらにはストウナーや関係者たちの生命にも関わる派手なクライシスも十全に盛り込まれている(もちろんここで詳しくは言えないが、物語後半はそういう方向にストーリーが広がるのか! と驚きつつも、謎解きミステリとしてのツボを外さない絶妙なバランス感を強く認めた)。 登場人物では、特にキーパーソンとなるラヴィングウェル父娘はもちろん、事件の深化のなかでFBIから応援に参じ、ストウナーの相棒格となる青年捜査官ラーマンなども実にいい味を出している。 迂路を経た事件の真相やそこに至る伏線は端正に綴られ、その意味ではこなれた20世紀終盤の(当時の)現代ミステリらしいが、それでも最後の最後の小説的スピリットは、やはりああ、いかにもチャンドラーへの、正統派私立探偵小説へのオマージュいっぱい…といった感覚に帰結する。最後の二行は、まちがいなくあの名作長編へのリスペクトだろう。 なお先述の通り、シリーズは第四作までで邦訳が途絶えてしまったが、Twitterなどで原書を読んだ人の感想を拝見すると、そのあとの作品がさらに傑作らしい。多くの作家・作品にいえることだが、中身のあるシリーズが途中で翻訳紹介が中絶するのって、本当に惜しいねえ。 |
No.210 | 5点 | 夢幻地獄四十八景- 都筑道夫 | 2017/09/24 11:28 |
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(ネタバレなし)
作者のお得意芸? のひとつであるショートショート短編集。 元版は1970年代の頭に講談社から単行本で出ているようだが、今回は80年の同社の文庫版で読了。書誌データは旧版を優先すべきだが、Amazonに該当のものが見つからないので文庫版のものを記入。 内容は「い=意味深長」から始まって、「京=京人形」に終わる、いろは48文字の順列になぞらえた題名の掌編(基本的に文庫版で4ページずつ。鮮やかな真鍋博のイラストが各編についている)が四十八作並んでいる。 作品の傾向はミステリ、オカルトホラー、幻想ファンタジー、SF、時代もの、落語的な掌編……までなんでもアリで、こうなってくると真鍋イラストもあって、星新一の諸作とあまり区別がつかない。 都筑ものちの『悪魔はあくまで悪魔である』のあたりの頃になると意識的にショートショートの<サゲ>を回避した作風が板についてくる感じなのだが、ここらでは独自の作風をなんとか狙いつつも、結局は星新一風になっている手応え。 まあ、ショートショートの定型としてはそれなりに面白い話もいくつもあるのだが。 なお本書(文庫版)には表題作のほかに、第二部として同趣向のいろは順の連作ショートショート『狂訓かるた』というものを収録。これが単行本の際からあったものか文庫版で追加されたものかは不明で、そういう書誌情報はきちんと記載してほしい(「別冊新評・都筑道夫の世界」あたりを引っ張り出せば、判明するかもしれないが。) ただしこの『狂訓』の方は最後まで行かずに「を」で終焉。おそらく掲載誌の休刊か何かの事情があって、連作がストップしたものと思われる。 最後に本書の標題タイトルはあまりに物々しくて大仰だが(元版刊行当時のミステリマガジンのレビューでもそう突っ込まれていた覚えがある)、作者の意図か担当編集者の狙いか、その辺はちょっと気になる。 |
No.209 | 6点 | アシモフのミステリ世界- アイザック・アシモフ | 2017/09/23 21:35 |
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(ネタバレなし)
1973年4月刊行のハヤカワ・ポケットSF版で読了。全13編のうち、作者が試みに創造したという感じのウェンデル・アース博士ものは全4作。ただし同じ世界観の番外編的な短編(博士のもとに事件の相談に来る警察官ダヴェンポート警視が別の科学者に協力を願う)がもうひとつあり、アース博士の事件簿の総数があまりに少ない食い足りなさを、いくらかなりとも癒してくれる。 アース博士ものの内容は、いかにもアシモフらしい科学分野を主軸とする広範な知識に支えられたパズラー路線。月での殺人から、宇宙に遺された暗合の解読まで、限られた作品数ながらバラエティに富むシリーズだ。いくつかの作品では天文学のビギナーならわかるのかな……という程度の敷居の低い科学的素養が解決に使われ、事件の解明まで読み進むとなんとなくその分野の教養を啓蒙された気分になる(とはいっても天文科学も日進月歩らしく、なかには執筆当時の常識が覆された例もあることを、作者自身が告白している)。 まあ一方で、一般読者が絶対にそんなこと知ってるわけないだろう…とブツブツ言いたくなるような、晩期エラリー・クイーンの短編みたいなものもないではないのだが(笑)。 ノンシリーズ編はミステリ味のある作品(非SFも含む)が主体だが、なかには純粋な宇宙サバイバルもの『真空漂流』などもある。このアシモフの初めて活字になった作品『真空漂流』の続編『記念日』の方がSFミステリ仕立てということで、姉妹編ともども本書に収録された。両編はそれぞれ違った味わいで楽しめるが『真空漂流』の方は、奇策を用いてクライシスを打破する経緯が良い意味でジュブナイルっぽくて、とても快い。藤子・F・不二雄の某宇宙サバイバルもののアイデアソースになったのでは? とも思わせる。 全体的に作品を紡ぐことを楽しみ、自作を語ることを喜びとしたアシモフらしい一冊で、まずは満足。 ちなみにキャラクターとしてのアース博士はよくも悪くも黄金時代パズラーの名探偵の類型内に留まったという感じだが、のちに彼を一種の原型に、あのヘンリーや黒後家蜘蛛の会(ブラックウィドワーズ・クラブ)の面々が誕生したのだろうと推察すると、それもまたゆかしい気分である。 そういえば『黒後家蜘蛛の会』って、まだ日本語版をもう一冊分、作れるみたいですな。創元がこれまでの分の復刊と同時に、新刊で出してくれないものか。 |
No.208 | 6点 | 眠れるスフィンクス- ジョン・ディクスン・カー | 2017/09/22 15:55 |
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(ネタバレなし)
名探偵(フェル博士)自身の手で封印した地下の墓所内で、人間の力ではおよそ持てない重さの棺桶が動かされた…という本作一番のケレン味&謎は、なかなか魅力的なような地味なような…。 いずれにしろその謎そのものは筋立てのメインにはならず、半年前の変死事件をめぐる二者の主張の拮抗が主人公を悩ませる。恋人シーリアを信じたいが、疑念が拭えない主人公の青年ホールデンの葛藤がいかにもカーらしい恋愛模様で語られ、最後まで退屈しない。カーのミステリメロドラマとしては上位に来る出来ではないだろうか。 肝心の真犯人はカーの作劇の手癖でおおむね見当がつくが、素直に読めばかなり意外な正体だろう。伏線というか手掛かりも随所に設けてあり、その辺の抜かりなさにも感嘆(残りページが少なくなるなか、犯人の名前を明らかにしないところもサスペンスフルで好感が持てる)。殺人トリックも、ありがちなものに細かい創意を加えて新鮮さを感じさせる。 なお真犯人の意図以外に事件がややこしくなった経緯もいかにもカーらしいが、本作の場合はその流れが明瞭で、作劇のこなれ具合が好ましい。 ちなみに最後に明かされる棺の移動の真相については、妙なリアリティがあってなかなか楽しいです。その現場のビジュアルイメージを想像するとちょっと微笑んでしまう。 あと<恋愛は複雑なものだ>を実感させるラストは、カー名義の別の長編の印象的なクロージングと対になる感じで鮮烈ですな。 |
No.207 | 6点 | ギデオンの一日- J・J・マリック | 2017/09/20 14:52 |
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(ネタバレなし)
邦訳された作品はそれなりに集めておきながら、本編そのものはこれまで殆ど~全く読んでいなかった作家やシリーズ探偵は少なくない(汗)が、マリックのジョージ・ギデオン警視ものもその一つだった。 そこで本書(1955年のイギリス作品)は、今回たまたま本棚からHM文庫版が出てきたので読み出したが、うん、これはけっこう楽しめた。 冒頭、何事か激昂しているギデオン警視の前に、見栄えのよい美青年の部長刑事が登場。ああ、これはモース(コリン・デクスターの)にとってのルイス的なポジションの部下だろうなと思っていると、いきなりこちらの予見は裏切られる。読者への掴みとしてはなかなかよろしい。 モジュラー式警察小説の先駆として有名な作品(シリーズ)だが、内容はその世評に違わない。本書の場合は題名の通り、ギデオンがある年のある月に迎えたその一日のなかで大小の事件が語られ、これが総計7~8件(絡み合うものもある)。 さらに作中の現実ではもっともっと多くの犯罪がギデオンの周辺や視野の向こうで起きていることも描かれ(まあロンドン規模で考えればそうだろうけど)、スコットランドヤードも所轄の警察も楽じゃないという、せわしないまでの群像劇が語られる。続出する事件に振り回されながら、以前から目をつけていた麻薬犯罪のボスのところに、ついに尻尾を出した連続強盗犯の逃走現場に、自ら乗り込んでいくギデオンの活躍も主人公然としてよい。 なお物語のメインとなる二つの事件は早めにそれらしい筆致で語られ出すので、ああ、クライマックスはその二件の決着を迎えて終わるなということは大方予想がつくものの、一方でそれとは別個に起きる大小の事件の頻発(それぞれどこまで発展するか、短期間で解決されるのか、当初はわからない)が、ストーリーの流れにいい感じでメリハリを与えている。 また職務を離れた家庭人としての警官像(悪妻ではないのもの、どことなくしっくりこない妻ケイトとギデオンの関係など)も多少の類型感はあるものの、きちんと押さえられており、クロージングの余韻も小説として好ましい。 土屋隆夫作品が国産本格の教科書と言われたことがあったが、こちらは(モジュラー型)警察小説の先駆的な教科書という印象。ギデオンの相棒格のルメートル主任警部以外に、今後のシリーズキャラクターになりそうな警官がいないのがちょっと気になったけど、シリーズ続編では部下の刑事たちも増えていくのだろうか。 |
No.206 | 6点 | 魔性の眼- ボアロー&ナルスジャック | 2017/09/18 15:59 |
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(ネタバレなし)
『魔性の眼』 柑橘類の輸入業を営む富豪エチエンヌ・ヴォブレ。その息子のレミは12年もの間、麻痺した体を自宅で療養させていた。だが、辛く長いリハビリを終えて18歳の時にようやく自由に動けるようになる。かたやエチエンヌの仕事は、彼の弟でレミの叔父にあたるロベールが支えていたが、その叔父はレミに、実は父の会社はいまや倒産寸前なのだと語る。外出が可能になったレミは、亡き母「マミ」ことジュヌビエーブの墓参に向かうが、そこで彼が見たのは意外な情景だった…。 『眠れる森にて』 1818年の欧州。少年時代にフランス革命で父を処刑され、母親とともにイギリスに亡命したフランスの貴族、ピエール・オーレリアン・ドウ・ミュジャック・デュ・キイ伯爵。成人した彼は苦渋の人生を送った母の遺言を受け、現在は別人の手に渡っている実家の古城を買い戻すため、故郷の山村に舞い戻る。土地の優秀な公証人メニャンの助力もあり、城の現在の持ち主ルイ・エルボー男爵から物件を譲ってもらう話はスムーズに進んだ。そんななか、伯爵は男爵家の妙齢の美少女クレールに恋をしてしまう。だが夜半に城を訪れた伯爵が目撃したのは、一晩のうちに死と復活をくり返すエルボー男爵家の面々の怪異な姿だった! まったく毛色の違う二本の中編が収録された一冊。原書は1956年に同じ収録内容で刊行され、日本では昭和32年にポケミスの初版が刊行。 『魔性の眼』は、長年にわたる病床の場というある種の非日常から現実に復帰した少年の視点で綴られる心理サスペンス風の作品。アルレーあたりの作風に通じる感触もあり、その意味でいかにも文学派フランスミステリっぽい一篇。ちなみにキイワードの「魔性の眼」についてはたぶん大方の読者を裏切る形で作中で語られて、最後は、まあ、そういうことなんだろうね、という読後感に落ち着く。水準作~佳作。 もう一篇の『眠れる森にて』の方は、本作がまだ未訳のころ、かつて都筑道夫が日本語版EQMM誌上で絶賛した、J・D・カー風の怪奇趣味とそれと裏表の不可能犯罪? 性に満ちた作品。実はこっちが今回の興味の本命であり、それゆえツンドクの一冊を手に取った。 19世紀の伯爵が遺した手記をもとにその不思議な謎を解くのは、現在の伯爵の子孫である青年アランの婚約者エリアーヌで、世の中の怪異など信じない明るい現代っ娘が過去の不思議な事件に論理的・現実的な推理を行う。 解明は、後年にやはり都筑が好きだったE・D・ホックのよくできた短編をなんとなく思わせるような手際で決着。ゾクゾクする御伽話・民話的な怪異がズバズバと明快に真相を暴かれていく感覚は快い。ちょっと強引な部分も無いではないが、こちらは中編パスラーとしての秀作。 |
No.205 | 7点 | リスとアメリカ人- 有馬頼義 | 2017/09/17 20:04 |
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(ネタバレなし)
循環器系医療の権威で、現職総理大臣や警視総監などの主治医でもある著名な開業医・深草太郎。その深草はある夜、秘書の丘左記子を先に帰宅させて診療所に残っていたところ、複数の人物に誘拐される。連れ込まれた場所で命令のままに数名の男性を診察した深草は、患者たちが近年の日本では信じられない伝染病=ペストに罹患している恐るべき現実を認める。医師の謎の失踪事件は小さな新聞記事にもなり、深草と縁があった高山検事はなじみの老刑事・笛木時三郎とともに捜査に及んだ。そしてそんな彼らが間もなく直面したのは、十万単位の人々を襲う可能性のあるペストの脅威と、その災厄の陰に潜む謎の犯罪であった。 『四万人の目撃者』に続く、高山検事&笛木刑事シリーズ第二弾(作中でも繰り返し、前作『四万人』事件の話題が語られる)。元版は昭和34年に講談社から箱入りの単行本で刊行された。 当時の日本ではおそらく珍しかったはずの、今で言うパンデミックテーマの長編ミステリ。 東京都を主体にいきなり生じたペスト蔓延の危機。この脅威に晒される市民を守ろうとする関係者たち(感染経緯を探ろうと務め、同時に被害の拡大を防ごうとする厚生省や保健所の医療技師連、ペスト菌を研究してきた老科学者など)の奮闘や活動を視野に入れながら、冒頭の誘拐事件から発展するホワイダニット、ホワットダニットの謎(そもそも誘拐犯人たちはなんで秘密裡に深草に治療を強いたのか? そしてこの事態の陰にはどういう事件性が潜むのか?)が物語のキモになる。 災厄パニックものの興味を抑えながら、わずかな手掛かりである夜間の二発の銃声から、事件の捜査対象を絞り込んでいくストーリーの流れは淀みなく、全編のリーダビリティは頗る高い。 日本を含む東西の歴史上、ペストがいかに人類にとって危険な感染病だったかの検証も相応のデータを披露しながら丁寧に説明され、この辺りは80年代以降に隆盛した情報小説もしくはネオ・エンターテインメントの先駆け的な趣もある。 さらに事件の周辺で展開される登場人物たちのさまざまな素描も味わいがあり、恋人との関係に夢と不安を覚える左記子の内面や、太平洋戦争から現在まで警察官としての複雑な記憶を改めて噛みしめる笛木刑事、充分な予算や設備も与えられないままペスト菌の研究を80歳まで続けてきた老科学者・名取ほか多くのキャラクターが鮮烈。(また、ほとんどモブキャラながら、当初は警察への協力に消極的だったものの、笛木が味噌作りの仕事ぶりに関心を示すうちに口が軽くなっていく老舗味噌蔵の主人なども妙にいい味を出している)。キャラクタードラマとしても随所で手応えがある一冊だった。 なお国外からの病原菌の感染経緯を語るなかで、自国以外は結局はおざなりに扱う20世紀の先進大国アメリカへの批判が要所で盛り込まれており、そういうところには作者のある種のメッセージ性を感じさせる。 肝心のミステリとしては先述の「ペスト騒ぎの裏にある事件の実態は?」の興味を求めて終盤の展開まで加速感は芳醇。ちょっと細部で気になる点はないでもないが、ドラマチックに終焉する秀作といえる。個人的には『四万人』よりも面白かった。 高山&笛木シリーズは、あと長編が一本しかないらしいのがとても残念である。 |
No.204 | 7点 | 下宿人- ベロック・ローンズ | 2017/09/16 01:42 |
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(ネタバレなし)
ビクトリア朝末期の英国。かつて上流階級の家庭に奉公していた男やもめのロバート・バンティングは、同じ職場の若いメイド、エレン・グリーンを後妻に迎えた。その後、地方で下宿屋を開業した夫婦。しかし好調だった下宿屋は流行病の影響で不振となり、彼らはロンドンの一角の古い住宅に転居。そこでまた下宿屋を営むことになる。だが現在、間借り人は誰もおらず、生活費に翳りが見えたとき、ある日、背が高く痩身の紳士・スルウス氏が現れた。人付き合いを避けて寡黙な言動ながら、部屋をまとめて借り受けて支払いを渋らないスルウス氏をバンティング夫妻は歓待する。しかしその頃、ロンドンでは謎の通り魔「復讐者」が、飽きることなく凄惨な殺人を重ねていた…。 今さら語るまでもない現実上の近代史の謎<ジャック・ザ・リパー>事件(1888年に発生)をもとに、英国の女流作家ベロック・ローンズが著した長編サスペンススリラー。ヒッチコック監督の映画化作品でも有名で(筆者はまだ映画は未見)、ポケミスの解説によると原作は当初、原型の短編小説として著されたのち、1913年に長編(本作)にリライトされて刊行されたという。 当初ははやらない下宿屋の福の神として迎えられた間借り人=スルウス氏に「まさか…」とバンディング夫妻の疑惑の目が向けられていく物語の流れは、読者の誰の眼にも自明の設定ではある。 しかし主要登場人物はこの3人に加えて、ふだんは別居して親類の家で暮らす夫妻の19歳の娘(ロバートの先妻の娘で、エレンの継娘)デイジイ、その彼女に恋する若者で、ロバートの旧友の息子、さらに警官でもあるジョー・チャンドラーというわずか5人のみ。 その場面のみのほとんど無名のサブキャラはほかにも数名登場するが、これだけのキャラクターで約250ページの内容を一気に読ませるのだから、一世紀以上前の作品ながら物語の求心力はかなり強い。 特に、クラシック作品ながら小説技法的に「うまい」と感じたのは、最初に下宿人に疑惑を抱くエレンの内面をほとんど直接は描写せず(心の声で「まさかあの人が殺人鬼!?」とかわかりやすい叙述はしない)、当初は猟奇的な連続殺人をおぞましがっていた彼女が事件の情報の載っている朝刊を積極的に手にするようになったり、病院に行くと夫に嘘をついて、やはり事件の情報を求めて裁判所に出かけるなどの客観的描写を積み重ね、読者にも物語上ベクトルの変化を実感させていく手法。 なるほど、これはヒッチコックが映像化に臨んだわけである。 夫妻の家に出入りしながら下宿人に紙一重のところで接近するかそうでないかの緊張を続ける娘デイジイや警官チャンドラー青年の使い方も鮮やかで、その意味でもサスペンス感は十分。 なおラストは刊行当時にして未解決の四半世紀前の事件をもとに、小説上の勝手な結末を許さなかった感じだが、詳細はネタバレになるので控えよう。最後の最後まで十分に面白いし、読後の余韻もある。 ちなみに半世紀以上前の翻訳はやや硬く古めかしいが、読み進むうちにそんなに気にならなくなる(翻訳家の加藤衛は、ほかにペリー・メイスンものなどもわずかながら訳出)。 ただし新訳でさらに読み易く再刊してくれれば、確実にもっと評価や知名度は上がる一冊だろうね。 |
No.203 | 7点 | シャワールームの女- 荒木一郎 | 2017/09/13 16:18 |
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(ネタバレなし)
一年前に刑事を辞め、私立探偵となった四十男の一条精四郎。しかしあまりにも依頼客が来なくてこの稼業も先がないと考えた彼は、最後の贅沢として、いかにも私立探偵らしい女性秘書の雇用を考える。人材募集の広告を見てやって来たのは三十代前半の冴えない容姿の砂護妙子だった。そんな妙子には、近々に大財閥の玉の輿に乗る予定の妹・恵子がいた。妙子は、恵子の元の彼氏・鈴木茂の捜索を精四郎に依頼する。だが調査を始めた精四郎が遭遇したのは、密室状況のシャワールームの中での変死だった。 82年に大和書房の<大和ミステリシリーズ>の一冊として刊行された長編。同叢書は「幻影城」から刊行できなかった天藤真の『遠きに目ありて』や、日本推理作家協会賞を受賞した辻真先の『アリスの国の殺人』、さらには著名な劇作家・別役実の連作集『探偵物語』など、なかなかマニアの注目度も高い作品群を網羅していた。 そんななかで発売された本書は日本歌謡界の巨匠として知られ、文筆活動も精力的な作者が書いた唯一のミステリであった。 体裁は三人称一視点の国産ハードボイルドで、しょぼくれた(でも人間として探偵として芯の強さを感じさせる魅力のある)主人公・一条精四郎の造形もふくめてなかなか良い仕上がりになっている。 文体も生硬な感じはたまにあるが総じて様(さま)になっており、例えば多数の人を集める葬儀の描写 「花輪の数だけでも、金銭に換算すれば死人の命が買えるほどの額になりそうだ。黒い服を着た人々が獲物にたかる蟻のようにどこからか詰めかけて来ては、寺のあちらこちらへ各グループごとに分けられて行く。」 など、うん、これは悪くない。 さらに加えて、本作は誰も中に入り込めないはずのシャワールームという密室を舞台にした正統派の謎解きミステリであり(ちゃんと殺害現場の精密な俯瞰図入り)、シンプルながらもなかなか創意を感じさせる大技のトリックが最後の最後に明かされる。その犯行を支える小さなトリックも巧妙な伏線が随所に貼られ、そういう意味でも出来が良い。 登場人物も少なく文字数もそんなに多くないので三~四時間あれば一読できるが、国産ハードボイルド私立探偵小説と謎解きパズラーが良いバランスで融合した秀作といえる。(ちなみに本書の徳間文庫版のあらすじは絶対に読まないこと。あまりにも大きなネタバレをしている。) 惜しむらくは「一条精四郎シリーズ」という肩書や帯の「一条精四郎登場」などの惹句を見ると、本来はシリーズ化を想定していた気配もあるものの、刊行後30年以上、続編はいまも書かれていないこと。作者も高齢で一条精四郎の復活はもうないと思うが、叶うことなら、ラストシーンで歩み去っていったこの主人公との再会を今からでも強く願っている。 |
No.202 | 7点 | 月長石- ウィルキー・コリンズ | 2017/09/12 16:13 |
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(ネタバレなし)
ああ、読んだ。読んだ。ミステリ史における本作の重要度をはじめて意識してからウン十年目についに読んだ(笑)。創元文庫版で本文およそ760ページ(しかも同じ創元文庫のほかのいくつかの作品に比して活字の級数は小さめで、そのぶん一ページの字組はぎっしり)。思い立って手に取ってから、読了までにほぼ一週間かかった。 感想としては、古式で冗長な小説作法と、時代を超えた古典ロマンミステリの面白さが拮抗。21世紀のいま読んでも十分に楽しめるけれど、あまりに丁寧な叙述は人を選ぶかもしれないな、という感じである。 とまれ物語の中身はキーアイテムであるタイトルロールの月長石の盗難事件と同時に、主要登場人物の群像劇(その主体は錯綜するラブロマンス)にも重点が置かれている。さらに物語の語り手が交代する趣向が(登場人物によって担当パートの長短の差はある)ストーリーの起伏感をうまく加速させている。 最初の記述を担当するのは、好人物ながら『ロビンソン・クルーソー』への偏愛ぶりがちょっと奇人っぽい老執事ベタレッジ。このキャラクターも良いが、一番笑ったのは二番目の語り手となる貧乏なオールドミスで、キリスト教の狂信者でもあるクラック嬢。誰もがいらないという入信のパンフレットを十数冊持ち込み、屋敷の部屋部屋のなかに、念のため念のためと一冊ずつ置いていくくだりは、ほとんど高橋留美子のギャグコメディキャラである(中島河太郎の解説によると、語り手のなかではこのクラック嬢がいちばん当時の人気があったそうで、さもありなん)。 逆にいちばん胸打たれたのは、後半で事件の深層に迫っていく医学者のエズラ・ジェニングス(劇中、五人目の語り手を担当する)。容姿の悪さと不遇な半生ゆえに世間からつまはじきにされた彼が、ある人物へのほとんど片思いの友情のため、自分が培ってきた医療技術を全力で傾けるあたりは、その後の去就ともあいまって、夜中に読んでいて大泣きさせられた。 たぶん作者コリンズが一番感情移入していたのはこのジェニングスか、あるいは前半の重要なサブヒロインのロザンナだろうな。まあいかにもディッケンズの薫陶を受けた著者らしい、古典ロマン的な叙述であった(どちらも外見こそ醜いが、その分、とても人間らしいという共通項がある)。 んでもって肝心のミステリとしては、なんか時代があまりにも早すぎるアンチ・ミステリを書いちゃったという感じ。しかしその一方で最後の<意外な犯人>(第5~6話)にも余念がなく、作者は当時にあっても、とてもお行儀のいい推理小説の作法も忘れなかった。そんなソツのない作り。 少なくともこういう作品が150年前にすでに書かれていた興味もふくめて、海外ミステリファンなら一度は読んでおいた方がいいです。俺はウン十年かかったが。 先のジェニングスのくだりなど、もっと若いうちに読んでいたら、彼のことは、さらにさらに思い入れできるミステリ分野でのマイ・フェイバリット・キャラになったかと思う。 |
No.201 | 7点 | スターヴェルの悲劇- F・W・クロフツ | 2017/09/12 15:31 |
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りゅうぐうのつかいさんのレビューがとても的確で、あまり付け加えることはないのだが、私的にとりわけ印象的だったのは、事件の関係者たちが情報を語り、そのなかである者(たち)は事情から真実を隠そうとする、そのパーツを埋めていくフレンチの手際。これが丁寧な筆致で語られていて、まったく退屈しなかったこと。 後半のある場面での(フレンチが痛手を受ける意味での)逆転劇も地味にショッキングで、これは捜査陣(名探偵)の介入まで予期した犯人側の見事な工作だよね。この辺も面白い。たしかに手掛かりの少なさや真相発覚前の情報の撒き方などを考えると、パズラーというより、フレンチと彼を支える上司・仲間たちの警察小説であるのだが。 あと本書前半での不遇なゴシックロマンのヒロイン風のルースが後半ほとんど物語の表に登場しなくなり、フレンチの捜査主体になるのに若干の違和感も覚えたが、これは自分がクロフツの作品をバラバラな順番で読んでるからだろうな。 たとえば後年の『船から消えた男』あたりとかは、クロフツ自身も違ったこと(フレンチとは別に、その作品オンリーのメインキャラクターをちゃんと最後まで動かす)をやってみたくなったのかと思う。 ちなみに本作はポケミス版(井上良夫のたぶん抄訳版)も番町書房のイフノベルズ版(たぶん本邦初の完訳)も持ってるのだが、例によってブックオフで(税込み105円当時に)買った創元文庫版でついこないだ初めて読んだ(苦笑)。 そしてその創元文庫版の巻末の座談会は圧巻の読み応えだけど、瀬戸川猛資さんが言っていたという「クロフツは好きなので老後の楽しみにとっておく」というお言葉に感無量。少しでも多く生前に楽しんでくださったことを心から願う。 |
No.200 | 6点 | 追尾の連繫- 山村直樹 | 2017/09/12 14:57 |
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(ネタバレなし)
<チャンネル1> 国文学者・書道家・写真家など多才な顔を持ち「日本のダ・ヴィンチ」と呼ばれる大学教授・妹尾耕作(63歳)。その妹尾が行方を断った。妹尾は、旧知の友であるアマチュア書道家・浅岡(61歳)と対面した直後だったが、その後、彼は川の側で変死体で見つかる。妹尾の担当編集者だった青年・田方直哉は、故人の足取りを追うが。 <チャンネル2> F電機の社員・井沢守を夫に持ち、出産を控えた若妻・抄子(27歳)。だが彼女が留守の間に自宅は全焼。自宅にいた守は死体となって見つかった。だがその死には不審な点があり、さらに彼の遺体の下にはダイイングメッセージと思われる見た目で囲碁の碁石が並べられていた。抄子は身重の体で夫の関係者を訪ねて回り、事件の真実に迫ろうとするが……。 1972年11月(奥付より)に<双葉社推理小説シリーズ>の一冊として刊行された長編パズラー。帯に鮎川哲也が本作の推薦と作者への今後の期待を寄せている。 鮎川の著した帯のコメントと、作者のあとがきや著者紹介などの情報をまとめると、作者・山村直樹は1959年に「宝石」新人賞を受賞したのち、その10年後に自作『破門の記』で「オール読物新人賞」を受賞(鮎川はこの時点から話題にしている)。 さらに本作の部分的な原型にあたる作品『死者の経路』ほかの短編(中編?)作品を発表したのち、この長編を上梓。そのまま文壇から去ってしまった。 (webでの情報を拝見するに、本書刊行以降~2017年現在は、書道家として活動されているようである。) 鮎川が推挙した幻の作家の幻の作品ということで、後年も一部のマニアの注目を受けた本書。たしかどこかの<国産ミステリ幻の名作>的なリストにも加えられたような記憶がある。 さらに刊行当時、1972~73年のミステリマガジンでは「かつてB・S・バリンジャーという(2つの物語を並行させる)作家がいたが、本作はそれを思わせる」という主旨の書評(国産ミステリの月評)も掲載されており、これもまた当時にしては異彩を放った趣向の、本書の印象を深めた。 とまれ今では二つの物語を並行させるスタイルの作品など氾濫しているし、72年当時に過去の作家扱いされたバリンジャー(ヴァリンジャー)の方が、比較された山村直紀などよりはるかにミステリファン全般にもメジャーであろう。まさに歴史は巡る風車(かざぐるま)なのだが。 はたして内容に関しては上記(バリンジャー風)のとおり、一見なんの接点もない二つの物語が、テレビの<チャンネル>の切り替えになぞらえた形で並行して語られ、やがてある経緯で関わり合っていく。その上でそれぞれの物語の流れにフーダニットやアリバイ崩し、ダイイングメッセージの謎解きなどの興味が用意されている。こんな構成のなかで一方の物語が、もう一方のストーリーに斬り込んで事件の大きな謎を崩していく作劇がなかなかで、この辺は作者の狙いがうまくいった感じだ。 (まあ両方の物語を連結する重要人物が作品の中盤で判明してしまうのはちょっと早い印象があり、近年の技巧派ミステリならもう少し上手な隠しようがあった気もするが。) 一方で一番のメイントリックは印象的なものが設けられ、終盤のドラマのまとめ方も好感がもてる。複数の趣向を鑑みて、全体としては佳作~秀作の一冊。 もし作者がもう少し創作を続けていれば、さらに面白いものが書けたかもしれない。そんな無いものねだりの可能性を感じさせる部分もあった。 |