皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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公アキさん |
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平均点: 6.67点 | 書評数: 18件 |
No.3 | 6点 | 深泥丘奇談・続- 綾辻行人 | 2015/01/10 03:08 |
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いくつかの作品について、コメントします。
(以下、ネタばらし有り) 「鈴」 小さな廃神社の鈴が、誰もいないはずの状況で鳴るのを聴いた「私」。誰かが鳴らしてすぐに隠れたのか、動物の仕業か、風の仕業か、トリックかーーこうした推理小説ライクな仮説が検証されますが、ラストは怪奇幻想的な決着を見せます。(作者があとがきで「ラストのひとくさりは含蓄があるなあ、とわれながら思ったりも」と書いていますが、私がホラー小説に明るくない読者だからか(?)、オチの含む「意味」はよくわかりませんでした。) 「狂い桜」 誰かが席を立つなり、その間だけ、居なくなったその人の「死を悼む」異様な旧友達の様子に戸惑う「私」。しかしそれは邪悪な儀式ではなく、”閏年の狂い桜は良くない”という言い伝えからはじまったらしい、厄除けのおまじないだった。そして、停電の間に誰にも気付かれずに離席し「おまじない」をされる”前”に戻ってきてしまった朱雀氏は、その一週間後に落石事故で命を落としてしまうーーという、どなたかがレヴューに書かれていたように『世にも奇妙なものがたり』にありそうな話でした。 「ホはホラー映画のホ」 エッセイ集『ナゴム、ホラーライフ 怖い映画のススメ』(綾辻行人・牧野修、幽ブックス)のおまけとして書き下ろされた、文庫本で十七ページほどの小品です。”そのための作品”ということもあって、五つの有名なホラー映画(『オーメン』『サスペリア』『エルム街の悪夢』『サンゲリア』『13日の金曜日』)のそれぞれの凄惨なワンシーンがネタにされています。 夢の中で、警察官の「私」と警察医である石倉医師が、ホラー映画の見立てとしか思えない連続殺人事件を追う。それぞれの殺人現場には、映画内の「殺人者」の頭文字が残されるのだが、偶然二人が発見した「第五の殺人現場」とおぼしきところにはイニシャルはない。そう、実はーーというオチの効かせ方が実に本格推理作家の作品らしい小品です。 「綾辻作品だから……」と、地の文の表現には気をつけてみて、「実にさまざまな偶然や巡り合わせが積み重なった結果」という表現の中身がトリックの鍵か?と疑ってみましたが、特にそういった含みがあるわけではなかったようです(笑)。 「深泥丘三地蔵」 ある涼しい夏の日に散歩に出かけた「私」は、深泥丘病院の斜向いの公園内で、全身「赤」にまみれた異様な地蔵を発見する。どうやらこの地には「深泥丘三地蔵」というのがあるらしく、さらにその内の「一つめ」は行方不明になっていてーーという、これも文庫本で三〇ページ少々の小品です(この作品集の中ではボリュームはまあまあ、ある方か)。この作品の中で扱われるささやかな叙述トリックは、本作を作品集中で最も綾辻作品らしい一作たらしめていると、私は思います。しかしそんなプチ・叙述トリックがありながらも、物語としての収束は、幻想的な方向へと向かってなされます。私は前作『深泥丘奇談』を読んでいないからか、いくつかの作品で時折登場する「巨鳥」のくだりがどんな意味を持つのかはわかりませんでした。しかし読後は、不思議な味わいが広がっていきました。 「ソウ」 「ホはホラー映画のホ」と同じく、警察官の「私」と警察医の石倉医師のコンビが、今度は別の奇怪な連続殺人事件にあたります。飛び降り自殺に失敗した女の内蔵を破裂させたり、家ごと破壊して中にいた男を壁に叩きつけて殺害する等、残忍かつ特別な装置や重機を用いなければ人間には実現不可能に思える犯行手口。一つ目の現場には「ソウ」という血文字が、二つ目の現場では男がジグソウパズルの一ピースを握りしめていてーーと、映画『ソウ』を想起させるような連続殺人事件が起こります。がーー。 これ正解は、ゾウ、ですよね?(笑) てっきり私は最初、恐竜(ダイナソー)かと思ったんですけど、それだと「欠け落ちた濁点」(角川文庫p179)の一文が合いませんもんね……。ゾウって、「重々しくも異様な足音を響かせて、それは猛然と坂道を駆け降りてくる。」(角川文庫p180)という描写が自分の中で上手くイメージできませんでした……”怖いゾウ”について、画像的、できれば映像的な知識がほしいところです(本作にそれを求めているわけではありませんが)。 「切断」 深泥森神社の境内で、バラバラ殺害事件が発生、犯人は当該神社の神主・堂場正十。彼は手頃な石ころで相手の頭を滅多打ちにして殺害した後、”声”に従って五十回の切断を行い、五十個のパーツに分けた。その後、それらをゴミ捨て場で焼こうとしていたところを逮捕。しかし、「それら」のDNA鑑定次第では、堂場氏は釈放されると言うーー。 本書のあとがきによると、「切断」は光文社カッパ・ノベルス創刊五十周年を記念して刊行された『Anniversary50』という競作集のための書き下ろし作品で、五十周年にちなんで「五十」をテーマにした作品を、というリクエストのもと、練り作られた作品らしいです。五十回の切断と五十個のパーツという状況に矛盾を生じさせない理屈として、頭と片足が繋がった******という存在をネタとする、というのは、なるほど(こういうものを書く時の)綾辻作品にふさわしい構想かもしれません(中編集『フリークス』にも異形のものたちが推理小説の登場人(?)物になる話がありました)。しかし紙面の枚数制限や詳細なリクエストなど諸般の事情があったのかはわかりませんが、せっかくの構想が、伏線未回収の不完全燃焼感で曇ってしまっているように、私には思えました。作品中では堂場氏の殺害理由には触れていても、五十回に切断した理由が予想よりずっと浅いもので(”電波系”という……)、しかも「それら」を焼いた理由が語られておらず、「DNA鑑定が出るまでは「私」が「それ」を死んだ人間だと誤認できる猶予を作り出す小説的都合」が露になっているのではないか、と思いました。それに、神屋刑事がわざわざ絵を描いて切断箇所の説明をした時に(「「ここを切って、ここをこう切って……」というふうに「切断図」を図中に描き込みながら解説してくれたのだった」(角川文庫p208))、頭と片足の切断について神屋刑事が可能性として触れないのは不自然ではないのか、と思いました。 「ラジオ塔」 「夕焼け」のイメージが強い、幻想的な作品。くだんの「巨鳥」が登場し、それがついには象形文字に……前作を読めば意味がわかるのか、もしそうならどんな意味合いが込められているのか……。文や文章から喚起されるイメージは美しく、恐ろしく、幻想的なものでしたが、それ以上のことを「読む」ことは、私にはできませんでした。 |
No.2 | 8点 | 奇面館の殺人- 綾辻行人 | 2015/01/09 16:06 |
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『奇面館の殺人』は複雑かつ豪華な作品です。著者・綾辻行人氏が「ゴシック趣味・怪奇幻想趣味はなるべく抑えめにして」「”遊び”に徹したパズラーを」と「あとがき」で公言しているように、王道ミステリの設定(”吹雪の山荘”、首なし死体、睡眠薬の混入etc.)を妖しくおどろおどろしい雰囲気で着飾らせることなく、むしろ独特で奇怪な設定を上乗せすることで、どこまでも精緻な、そして豪華なパズル作品としての高い価値を実現しているように思います。
というのも、館、事件現場としての舞台設定、そして人物設定のそれぞれに無駄がなく、それらの要素が原稿用紙八〇〇枚超というボリュームの中にふんだんに詰め込まれているのです。探偵役・鹿谷門実の推理の場面では、読者ですらも全てに気がつくことは至難の業であるような細かな各疑問点について、容疑者一人一人に質問していくという程で、その論理の潔癖さには脱帽でした。 (以下、他作品のものを含むネタばらし有り) 今回の犯人は、元々<未来の仮面>を人知れず盗むだけの犯罪計画を立てていたようですが、「予定外の事態」によって、殺人事件にーーしかも、さらに「予定外な事態」が重なって、凄惨な殺人事件に(笑)ーーなってしまった、という顛末は、なるほど怪奇幻想というよりは喜劇的ですらあるような滑稽さを感じさせます。鹿谷も「”気配”の質が違う」(講談社ノベルスp125下段)という風に、今までのおどろおどろしい館(水車館、迷路館etc.)の数々に居合わせて感じた「殺人の気配」とは違ったものを感じとっていたということが、読者へのヒントと言えばヒントだったのかもしれません。 そして。犯人当ての段となり、作者・綾辻行人がまたしても読者に仕掛けてきた「大罠」が、「客人全員が”影山逸史”という同姓同名者」という事実を伏せていたことでした。これは、「奇面館の主はこれまでに三人いる」という事実が巧妙に隠されていることと連動して、読者が犯人を当てることを非常に難しくする装置として機能しています。 ただし、最終的に犯人を当てる決定的な要素たり得たのは、雑誌『ミネルヴァ』のロゴマークについて「”犯人の条件”である館の二代目当主たり得る人物しか発言し得ないこと」を口走っていた人間が犯人、というただ一つの要素でした。この真犯人に辿り着くまでの、ミステリとしては単純な道のりを、上に挙げた二つの要素が非常に複雑なものに変化させており、作品のそこかしこに「その痕跡」が見られます。真相がわかってから本書を読みなおすと、「なるほど、ここの表現にもこんな気の遣い方が……」と綾辻氏のトリッキィかつ丁寧でフェアな筆致に感嘆せずにはいられず、そういった意味で本書は非常に「複雑かつ豪華」な作品だと、私は思いました。 また、犯人の幼い頃の記憶ーー<未来の仮面>に見せられた「未来」ーーが犯人の思惑すらを外れて「殺人事件」を成立させてしまった幻惑的な重要要素である、というのは、とても綾辻作品らしい構造だなと思いました。彼の作品の多くには、少年や、登場人物の幼い頃の記憶なんかが(本格ミステリ的にではなく、物語的に)物語のキィとして機能する形で登場する、と何かの綾辻作品の解説で読んだ事があります。常識的に(?)考えて、<奇面の間>への侵入が主にバレた時点で、平謝りに謝るとか、事情を説明するとか、逆に<未来の仮面>の所有権は自分にあると開き直るとか、色々できそうなものですけれど、ここで「犯人の所属する”現実”」が「あの恐ろしい夢の輪郭と溶け合い、現実としての輪郭を崩してしま」うことで(講談社ノベルズp362下段)、<未来の仮面>に見せられた通りの「未来」を、犯人は実現してしまった。そんなところに辻褄合わせの要素がないではないかもしれないけれど、むしろ魔力に操られてしまった男、という怪奇幻想的な要素を事件の核に潜ませることとなり、作品の魅力の一つとなっていると私は思います。 ちなみに、幻想的で論理超越的な小道具が実はずっと事件を予言していたというのは、シリーズ2作目『水車館の殺人』のオチに通じるものがあります。「なるべく抑えめに」した怪奇幻想趣味も、結局ここ一番の大事なポイントに埋め込まれていた、というところも、綾辻氏の「指紋」なのか、と考えると、複雑精緻なパズラーであり、かつ綾辻行人としての芯も通った良大作なのではないか、と思いました。 (ちなみに、新月瞳子の「いかにも自分は犯人じゃないというような◯◯だけれど、これが実は”演技”ではない保証はないーーと、瞳子は心中ひそかに首を振る」の五連続は、和みました(笑)。) |
No.1 | 9点 | びっくり館の殺人- 綾辻行人 | 2014/12/26 14:26 |
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美しい作品でした。私は、何年も前に著者・綾辻行人が展開していた「ミステリ=雰囲気論」のようなものを読んだことがあったからこそ、著者のミステリが起きる「場」への愛を強く感じることができました(ただ、その後彼の中では価値観の変化があったようですが、私はそのことについてはあまり明るくありません)。
私にとって、スタンダードな推理小説、ミステリ小説というのは、作品の前半で事件が起こって、明らかに提示された/されつつある謎に探偵役が立ち向かい、紆余曲折の末に謎が解明され、解決へ向かう、という物語です。それに比べて、本書は読んでも読んでも、中々「事件当日」まで話が進まない。最初に、人形や館で飾り付けられた密室殺人という魅力的なミステリの現場を見せられるが、1994年12月25日のその事件の日には、同年の5月頃から遡って、少しずつ事件当日に向かっていく。なので、本を読んでいる私としては、事件当日に到達することが一つのカタルシスでもあり、事件の解決ではなく、謎めいた事件の発生こそに異常な快感を感じることとなったのです(実際、小説はここまでのボリュームの割合が全体の中では大きく、事件発生現場の前に辿り着いたところで第2章の区切りとしています)。そうして、怪しげでミステリでホラーな幻惑的事件現場への価値を高めているところに、著者の「場」への愛を感じたのであり、こうした作品構造に、「美しい作品」と感じる所以の一つがありました。 しかしそうすると、「残りのこのページ数で、どうやって伏線を回収し、謎の解明に向かうのだろう」という不安が私を襲いました。電子書籍ではなく実際に手に本を持って読んでいると、どうしても「残りページ数の視覚的な予想」から逃れられません(笑)。私はこの作品の結末を想像しながら読んでいましたが、冗長でなくすぱっとエッヂの効いた「メイントリック」にまんまと騙され、驚異的な伏線回収の大波に、唸ってしまいました。 (以下、ネタばらし有り) 「メイントリック」とは即ちカギカッコで括られた「リリカ」とは俊生の変装であったこと、そして事件の第一発見者である三知也・あおい・新名が事件の隠蔽工作を行っていたこと(事件の当事者と読者で、そもそもの事件や「腹話術劇」の見え方が違っていたこと)です。リリカ/「リリカ」は作品の中で一貫した表記になっており、ミステリとしてはフェアなのではないか、と思います。だからこそ素直に驚き悔しがることができました(笑)。そしてさらに驚くべきは、この変装が事件のためだけのものではなく、古屋敷龍平氏の腹話術劇の相手として、「日常」の中で行われていたことです。そして最も驚くべきは三人による隠蔽工作です。確かに現場は密室だったが、それは不可能殺人でもなんでもなかったのです。そして、この作品が綾辻行人の作品であるブランドとして、中村青司の造ったからくり仕掛けがこの「読者に隠された隠蔽工作」のミソとなっているのも、ニヤリとしてまうところです。冒頭の文章の微妙な違和感、腹話術劇後の「虐待」という認識等、メイントリックを知ってから読み直すと、全く違った見え方がします。 既読の方には知っていることばかり話してしまいましたが、私がこの『びっくり館の殺人』を「美しい作品」だと考えるあと2つの要素だけ、簡潔にまとめます。 一つは、ミスリードも含めて、殆ど作品の要素に無駄がなく、『暗黒館の殺人』の8分の1のサイズとも言われる小品である本作の濃度が高く作り込まれていること。「虐待」への理解や隠蔽工作は新名無しには成し遂げられませんでしたし、俊生を庇うという発想やそのことへの説得力を持たせるためには、三知也の家族の話は欠かせませんでした。 そして、最後にこの作品のホラーテイストな終わり方。論理的な謎解きの後だからこそ、論理の追いつかない「悪魔の仮定」や「梨里香26歳の誕生日会場」等は、通常のホラー一色の作品の何倍もの怪しさや恐怖を生み出します。 未読の方に作品を薦められる文章ではなくなってしまったので、既読の方でこの書評を読んで楽しんでいただける方がいれば幸いと思います。 |