皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
名探偵ジャパンさん |
|
---|---|
平均点: 6.21点 | 書評数: 370件 |
No.10 | 7点 | 人間じゃない- 綾辻行人 | 2017/11/03 17:54 |
---|---|---|---|
今までに綾辻が書いてきた中の、単行本収録されていなかった短編を集めた本です。
本格ミステリあり、ホラーあり、幻想小説(?)ありと、これまで放置されてきた作品を寄せ集めただけにも関わらず、計算したかのように、まさに「これぞ綾辻行人」と言うに相応しいバランスに整ったと思います。 逆に言えば、本来であれば各ジャンルの作品を一冊にまとめられるくらい書きためてから、各々刊行するのが一番よいのだと思いますが、こういった寄せ集めの作品集を出すということは、もう綾辻には、そこまでするだけの気持ちはなくなったということなのでしょう。作家としての「終活」に入っているのでは? と失礼ながら思ってしまいました。館シリーズの最終作を書いたら、綾辻行人の(少なくともミステリ作家としての)役目は終わるのでしょう。 完全にファン向けの作品集であることは否めません。私は「7点(かなり楽しめた)」付けましたが、(いないとは思いますが)本作で初めて綾辻行人を読む、もしくは綾辻にそれほど思い入れのない人であれば、評価は1から2点程度は下がってしまうのではないでしょうか。 |
No.9 | 7点 | 殺人方程式- 綾辻行人 | 2017/07/28 22:51 |
---|---|---|---|
ド直球な物理トリックを駆使した本格ミステリ。であるところが、逆に作者らしくないという、綾辻の特異性を再認識させられる一作です。
では、この「殺人方程式」誰っぽい作品なのでしょう? もしこれが島荘作であれば、「島荘、こんなものかよ」と言われ、有栖川作であれば、「ちょっと雰囲気違うね」と言われ、法月作であれば、「法月先生、また悩んでるの?」と心配されてしまいそうな気がします。 最近の作家ではどうでしょう。こういった作風を得意とするとなると、例えば小島正樹作だとしたら、「それにしては丁寧すぎる」となってしまうのではないでしょうか。 結局、この「殺人方程式」を書ける作家は綾辻行人以外にはいないのです。 (書評なのか? これ) |
No.8 | 7点 | びっくり館の殺人- 綾辻行人 | 2017/07/27 20:11 |
---|---|---|---|
前作「暗黒館」が、ああだったこともあり、「びっくり」するほどの薄さの本作。もちろん子供向けであることを考えたボリューム構成であることは言うまでもありません。
子供向けということを差し引いても、「館シリーズ」として加えるのはどうなのか? というご意見もあるようですが、私は本作を正統シリーズに加えるのには大賛成です。 もし本作を「シリーズの番外編です」と謳ってリリースしたら、メインの子供たちはどう思うでしょうか。「子供向けだから手を抜いたんだな」的な不信感や、「子供向けだから距離を置いたんだな」的な疎外感を持ってしまうのではないでしょうか。「子供向けでも手を抜かない。むしろ、子供相手だからこそ本気で作る」優れた子供向け作品全てに共通するテーマだと思います。 確かに大人のミステリファンから見れば(そして他の「館シリーズ」と比較したら)、内容もトリックも地味で小粒な印象は拭えないでしょう。 私は「館シリーズ」はひとつのテーマパークのようなものだと思っています。スリル満点な絶叫マシンがあれば、恐ろしいホラーハウスもあり、中には小さい子供も楽しめる「ゆるいアトラクション」があってもいいのではないでしょうか。 本作が正統シリーズに加えられているということは、綾辻の作家としてのスタンスを如実に現した、素晴らしい試みだと思っています。 |
No.7 | 7点 | 暗黒館の殺人- 綾辻行人 | 2017/01/07 19:33 |
---|---|---|---|
ようやく再読しました。
改めて文庫本四冊を机に積み上げてみて、「やっぱりやめようかな」という思いが一瞬頭をよぎりましたが、「ええい、ままよ」と一巻を手にとってページをめくりました。 程よく(?)内容を忘れていたおかげで、流し読みしてもよいところと、「あっ、ここは詳しく読んでおこう」という箇所を敏感に嗅ぎ分け、再読にも関わらず思いのほか楽しんで読めました。 解説でも同じようなことが書かれていましたが、本作は小説という形をとった、「主人公(中也くん)視点のテキストアドベンチャーゲーム」のようなものです。ゲームでも二回目のプレイでは、「テキスト早送り」を駆使しますから。 ミステリとしては、犯人の犯行動機が面白かったです。サイコが入っていて、本格としてはちょっとギリギリな気がしますが、異様な動機をミステリ的材料と考えると、犯人が双子を殺そうとする理由が特に好みです。犯人にとっては、殺害動機が論理的に生まれています。そりゃ、殺したく(殺してあげたく)なるよね。 「館シリーズ」おなじみの「抜け穴問題」もあります。「二つの抜け穴の存在。どちらも知っていたのは誰か?」回答が出かかっていたところに、また問題を混乱させる双子の秘密。彼女たちは文句なく本作のMVPでしょう。 再読を前にしても圧倒される分量でしたが、結局読み続けさせてしまうのは、綾辻の間違いのない筆力あってのものでしょう。改めて偉大さを感じ入りました。 |
No.6 | 7点 | 黒猫館の殺人- 綾辻行人 | 2016/10/18 22:33 |
---|---|---|---|
「館の見取り図」は、綾辻のこのシリーズの名物で、不可欠のものと言えるでしょう。当然本作にも冒頭に見取り図が付いています。これは綾辻は悩んだのではないでしょうか。読者は当然、逐一見取り図を見ながら事件を追っていくので、「館」の構造が大まかにでも必然、頭に入ってくるのです。このため、探偵鹿谷が謎解きをする前段階のある記述で、メタ視点にいる読者は、「あれ? 変だぞ」と思います。そこでそっと本を閉じて、その記述のおかしさから、連鎖的に謎が解けてしまう人が多いはずなのです。
「見取り図さえ、見取り図さえなければー!」綾辻は苦しんだのではないでしょうか。見取り図さえなければ、文章でさらっと書いて流せたはずです。しかし、綾辻は見取り図を入れます。本作だけ見取り図がないと、その段階で変だと思われる危険性も考慮したのでしょうが、綾辻はフェアに横綱相撲を挑んだのでした。 本作の魅力は、この大トリックだけでなく、犯人の殺人の動機。密室トリック。と見所は多くあります。密室トリック自体は使い古された手なのですが、それを行えたのは誰か? がテーマのため、陳腐に写ることはありません。手掛かりもしっかりと出します。 騙す意図のない人物が書いた手記なのに、明らかに読む人を騙す記述がある点に疵を見いだす方も多いですが、この手記は、作中冒頭に記されているように、「記述者が探偵小説としても読めるように書いたもの」なのです。意図してそういう記述を省いたと考えることも出来ます。 さて、「館シリーズ」もここまで来て、次はいよいよ「暗黒館」です。恐らく書評を書くのは当分先になるでしょう…… |
No.5 | 10点 | 時計館の殺人- 綾辻行人 | 2016/10/10 21:26 |
---|---|---|---|
レジェンドシリーズ書評として「十角館」から再読してきた「館シリーズ」も時計館に到達しました。
初読のときは、ダイナミックなメイントリックに「本格ミステリ、ここまで来たか」と、本を閉じてしばらく部屋の天井を仰いだものでした。 再読において、「こんなに厚かったっけ?」と(文庫改訂板にて約600ページ)思い、「数日に分けて読むか」と考えていたのですが、いざ、ページを捲り始めると、ほぼ一日で読んでしまいました。やはり優れたミステリには中断を許さない引力があります。 本作の凄さは、メインである前代未聞の超アリバイトリックにあることは言うまでもありませんが、そのトリックを補完する枝葉の設定の練り込みも見逃せません。 綾辻以降、多くの作家が様々な「館」と、それにまつわるトリックをこしらえてきましたが、綾辻の成功におんぶにだっこして、「館ものだから、ちょっとくらいのご都合主義は許されるだろう」という甘えを意識したような作品が少なくないと思うのは、私だけでしょうか。 綾辻は徹頭徹尾、設定にこだわります。「そこは『お約束』でいいでしょ」と流してもよいところにまで手を抜きません。かくも細かに手を入れられた末、「時計館の殺人」は完成したのです。まるで実際に「時計館」という建物を設計する建築士のようです。 本家綾辻がここまでやっているのですから、フォロワー作品を書く作家には、「そこには触れないのがお約束でしょ」などと逃げずに、真剣に、実際に「○○館」を建築する心づもりで作品作りに当たってほしいと願います。 このメイントリックは、本作以外では決して使われようがないオンリーワントリックのため、綾辻はこれでもかと、このトリックに対して考え得る設定、ヒントを盛り込みました。カップ麺、レコード、カメラ、時計塔の針。読後、これらが意味していたことについて、「そういうことだったのか」と分かったときの納得感といったら、数あるミステリの中でも群を抜いているのではないでしょうか。 本作で数少ない不満点を上げるとするなら、犯人に対する、探偵島田の態度でしょうか。大いに同情すべき点はあるとはいえ、この犯人は、本来の復讐対象ではない人物も、トリックの露見を阻止するためという理由で殺しています。この手の殺人を犯した時点で犯人はただの殺人鬼に墜ち果ててしまうのですから、島田にはもっと厳しく犯人を糾弾してほしかったのです。 ただ、この「トリックが露見してしまう状況」というのが、このトリックをさらに際立たせるワイダニットのため(あの人物が秘密の通路を抜けて見た景色。どんなにか驚いたことでしょう)、綾辻はどうしても犯人にこの殺人を犯させたかったのでしょう。 数ある「館もの」(綾辻の「館シリーズ」だけでなく、フォロワー作品も含めて)の中で、私が知る限りの最高傑作と自信を持ってお勧めできます。 |
No.4 | 7点 | 人形館の殺人- 綾辻行人 | 2016/10/04 17:03 |
---|---|---|---|
「館シリーズ」の異色作として有名な本作。異色作というか、最後まで読むと「外伝」といってもいいような内容で、大きく評価が分れてしまうのは致し方ないでしょう。内容も、「ミステリ」というよりは「サスペンス」に近く、最後に明かされる主人公の秘密もそれに拍車を掛けています。
問題の主人公の秘密については、「それがありなら、何でもありだろ」と言いたくもなってしまいますが、綾辻もそこは当然気にしていたでしょう。必要な場面以外は、基本、主人公の一人称視点で描くことで、読み手と主人公を同一化させ、驚きの効果を最大限引き出しています。 特に、クライマックスの「島田潔」が登場する場面と、その顛末は、頭をぐらり、と揺さぶられるような感覚を憶えるでしょう。「一人称」で書き続けてきた効果が、ここで爆発します。加えてここで、「中村青司の館、イコール、秘密の抜け穴」という「館シリーズ」だけに許されたトリックが、読者(と作中の人物)を翻弄します。このトリックを検証する場面の真相のやるせなさったらありません。綾辻はこの「禁断のトリック」の使い方を完全に熟知しています。さすがです。 私は「館シリーズ」は、どれから読んでも大丈夫な、それぞれが独立した作品だと(作品としては実際そうなのですが)思っていました。(テレビゲームの「ロックマンシリーズ」のように、どのステージから攻略するかはプレーヤーの自由。みたいな)そのため、第一作「十角館」の次に、何を血迷ったか、この「人形館」に手を出してしまい、「出て来ない画家の名前とか、いやに強調してくるなぁ」と妙に感じながらも同時に、「何だこれは。ミステリかこれ? 思ってたのと違うぞ」と非常に困惑した記憶があり、個人的に大変思い入れ深い作品です。 |
No.3 | 8点 | 迷路館の殺人- 綾辻行人 | 2016/10/03 15:54 |
---|---|---|---|
本作「館シリーズ」第三弾は、一作目「十角館」の驚きと、二作目「水車館」の本格風味を混ぜ合わせたようなハイブリッド作品に仕上がっています。
始まりからおしまいまで、様々な形のトリックがふんだんに使用され、「作中作の解決」「作中作の外の解決」「作中作の作者の謎」と、多段階的に謎が解明されていき、最後の最後まで気を抜けません。 中でも、先中作に仕掛けられた例のトリックは、読者を驚かせるため、というメタ目的だけではなく、作中にそうした記述をする理由がきちんと説明されていることに好感が持てます。 そして本作で、作者綾辻は、「館シリーズ」だけに使用が許された掟破りの手段の確立に成功します。その手段とは、ずばり、「中村青司が建てた建築物だから、隠し通路があってもおかしくない」という、本格ミステリとしては前代未聞の、「隠し通路容認トリックの使用」という大偉業です。 だからといって、綾辻が「実は隠し通路でした」などという安易な使い方をしないことは言うまでもありません。「隠し通路」があるからこそのトリック。それを見破る論理というものを出してきます。「転んでもただでは起きない」というのとはちょっとニュアンスが違いますが、「隠し通路が使えてもただでは使わない」ミステリ作家綾辻行人の矜持がここにあります。 他のレビュワーの方々が言われる通り、「首切りの論理」における「血の扱い」のくだりで、真相のディスカッションが一切行われないというのは、読み返すと違和感を憶えます。(我々読者と違い、作中の人物は、「あの人物」が「実はああいう属性である」という事実を認識しているわけですから、特に) ですが、それを差し引いても本作が抜群に面白く、驚きに満ちた本格ミステリであることに疑いはないと信じます。 |
No.2 | 10点 | 水車館の殺人- 綾辻行人 | 2016/08/16 15:43 |
---|---|---|---|
新本格の騎手(当時の)綾辻が問題作「十角館の殺人」に次いで放った本作は、恐らく当時としてもいたく懐古的な超本格ミステリでした。
当時のリアルタイムの評判がどうだったかは分かりませんが、「こういうのを待っていた」という歓迎派と、「十角館の次がこれかよ」という失望派に真っ二つに分かれたのではないでしょうか。 「十角館」でアクロバティックな騙しで読者を欺いた綾辻ですが、そこで名を得たからこそ、本作のような「超本格」で勝負したい。と思ったのではないでしょうか。 久しぶりに再読したのですが、本作は薄気味悪いくらいに(?)見事に「本格」しています。 仮面に車椅子の男と、彼が住まう奇館「水車館」は、集められた数名の客人とともに、嵐により外界と分断される。いかにもな人物舞台設定はもとより、謎を解くための手掛かりも大胆に余すところなく、これでもかと読者に開示します。とんでもないフェアプレイ精神です。ペナルティエリア内で攻撃側の選手が倒れ、審判から相手選手にイエローカードが提示されPKをゲットというチャンスに、その倒れた選手が「いえ、今のは私が勝手に滑って倒れたので反則ではありません」と審判に申告するくらいのフェアプレイ精神です。 同じ「水車館」を舞台に、過去編と現在編が一章ごと交互に構成されているのですが、「過去編」は神視点による三人称。「現在編」はある人物による一人称で語られます。もうこの時点で、「分かるだろ。察してくれ」という作者の笑顔が浮かんできます。それは当然作品全体に渡る、あるトリックを覆い隠すためのものなのですが、過去編のクライマックスで綾辻は冒険をしてきます。過去編が三人称で語られている以上、どうしてもある記述が出来なくなってしまう場面が出てくるのですが、綾辻は見事にこれをクリアします。「ここまでやったらさすがにバレるかな? やめようかな? えーい、やっちゃえ!」と、これはもう、作者楽しんで書いているな、というのが伝わってきます。 先に私は「現在編が一人称なのはトリックのため」と書きましたが、綾辻はその枷さえも逆手に取り、語り手の人物ならではの心理描写を盛り込んでいます。 「足音が聞こえる? まさか、そんなはずは(足音が聞こえるはずは)ない!」といった意味の一人称の語りがあるのですが、これなど、全ての謎を解明したあとで読み返すと(もしくはその時点で謎を解いていれば)何とも絶妙で、語り手の感じる恐怖が一層強く伝わってくるファインプレイでしょう。神視点の三人称でも同様の記述は可能でしょうが、当事者の生の声である一人称での迫力を超えることは不可能でしょう。 「水車館の殺人」は、トリッキーな空中殺法が売りの「みちのくプロレス」所属のレスラーが、ガチガチのストロングスタイルの「新日本プロレス」のリングに上がっても、空中殺法だけでなくオーソドックスな関節技や投げ技にも対応して新日のレスラーを唸らせ、見事観客も沸かせた。そんな爽快感のある傑作なのではないでしょうか。(変な例えばっかりですみません) |
No.1 | 10点 | 十角館の殺人- 綾辻行人 | 2016/07/29 20:52 |
---|---|---|---|
まずはメルカトルさん、レビューで触れていただき恐縮です。
他のレビュアーの皆様も、今後ともよろしくお願いいたします。 誰が言ったか、「東の島荘、西の綾辻」(誰も言ってない?) というわけで、レジェンドシリーズ第2弾は、これだ。 まず、久方ぶりに読み返してみたのですが、驚いたのはその読みやすさ。私が読んだものは講談社文庫の「新装改訂版」なので、デビュー当初のものとは違っているのでしょうが、それでもこの読みやすさったらありません。 「占星術」は、一章終わる度にコーヒータイム、と洒落込んでいたのですが、「十角館」はほぼ一気読みでした。 当時散々こき下ろされたという有名な、「人間が描けていない」という批判も、今となっては何と的外れなことでしょうか。 こちとら、凄いトリックを味わいに来ているのです。作者との知恵比べという戦い、もしくは、真相が明かされた瞬間の知的興奮を求めているのです。 高度な戦術の応酬の対戦格闘ゲームをやっている横で、「この、手からビームを出す空手家や手足が伸びるインド人は何だ。全然人間が描けていない」と言われても返答に窮するのです。 本作は「ミステリマニアの、ミステリマニアによる小説」ですが、「ミステリマニアのための」ものでは決してありません。実際、本作が本格ミステリ初体験、もしくは、本作によって「ファン」から「マニア」に昇華(?)した。という方も決して少なくないでしょう。ミステリに無縁の人たちにも本作の魅力が届いたからこそ、この衝撃を皮切りに「新本格ムーブメント」は立ち上がったのですから。 作者が本作に仕掛けた拘りは半端ではありません。例の「世界が反転する一行」が偶数ページの一行目、つまり、ページを開いて初めて目に触れる位置、に書かれていることなどその典型です。(先述の通り私が読んだのは改訂版ですが、改訂以前もそうなっていたのでしょうか?) 本作ほど、読んでいて作者の「情熱」を感じる作品というのをちょっと私は知りません。(「占星術」も、島田荘司の「大人の余裕」を感じ、ここまでガツガツ迫ってはきません)文章のあちこちから「若さのエネルギー」が迸(ほとばし)ってくるのです。 本作は綾辻二十六歳のときの作だそうです。発行年の1987年としても、二十六歳というのは(文壇においては特に)「若造」とレッテルを貼られてしかるべき年齢でしょう。 「二十代半ばの若造が、見たこともない尖った武器を持って躍り込んできた」 もしかしたら、自分たちの理解の範疇を超える作品に対し正当に批評する術を持たなかった当時の文壇の重鎮(と、一部のミステリファン)は、「十角館」を批判することで自己防衛を計ったのかもしれません。 講談社文庫の「新装改訂版」には、旧版の鮎川哲也による解説も収録されています。 ここで鮎川は、「十角館」と作者綾辻行人に対する謂われなきバッシングに苦言を呈しています。さすが、ミステリ界のレジェンドは、本作の持つ力と可能性を見抜いていたのです。果たして、「占星術」を皮切りに「十角館」をもって「本格ミステリ」は完全復活を遂げました。 歴史的マイルストーンとなるべき傑作。全ミステリファン、いえ、未来のミステリファンも含め必読の書といえます。 余談ですが、鮎川は解説にて、「評論は七割けなして三割褒めろ」と書いています。私も復活するに当たり自分の過去の書評を読み返してみたのですが……鮎川氏の言葉が胸に染みました。 |