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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ] 懐かしき友へ―オールド・フレンズ |
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井上淳 | 出版月: 1984年06月 | 平均: 8.00点 | 書評数: 1件 |
文藝春秋 1984年06月 |
新潮社 1988年01月 |
No.1 | 8点 | 人並由真 | 2021/11/16 18:02 |
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(ネタバレなし)
1980年代後半のアメリカ。次期大統領の座を巡って、再選を狙う現職のリチャード・ゴードンと、若手の対立候補キース・ハミルトンが選挙戦で火花を散らしていた。そんななか、ニューヨークでは謎の殺人鬼「金曜日の処刑人」が無差別な凶行を繰り返す。一方で、高名な外科医サイラス・ブラヴォが行方をくらまし、彼は何故かハミルトンに接触を求めた。だがそんなブラヴォに謎の刺客の手が迫る。さらに元大統領で、現在はハミルトンとその妻ルイザを後見する75歳のウィンストン・シンクレアは、旧知の間柄の50歳がらみの男ケン・スパイナーに再会。このスパイナーこそは、かつて「ランナー」と呼ばれた、アメリカ政府御用達のCIAの暗殺者だった。複数の局面がそれぞれの状況と時局の中で動き出し、その多くはやがて密接に関わり合う真の姿を見せていく。 第二回「サントリーミステリー大賞」愛読者賞受賞作。 同時に作者・井上淳の処女長編。 1980年代にデビューし、その後それなりの実績を積みながら、21世紀現在のミステリファン(広義の)の間ではあまり語られなくなってしまった不遇な作家というのは、何人かいる。この井上淳(いのうえきよし)なんか確実にその一人だろう。 評者も読むのは本作でまだ4冊目(それも本当に久々)だが、初期の連作長編である「キース大佐三部作」(『トラブルメイカー』『クレムリンの虎』『シベリア・ゲーム』)は本気で大好きで、今でもオールタイムの国産冒険小説マイ・ベスト10を選べと言ったら、この三部作のどれかあるいは全部が候補になる。それくらいにスキ・スキ・大スキだ。 で、<SRの会>などでも黎明期の井上淳作品はそれなり以上に評価・今後を期待されていたのだが、1985年の『鷹はしなやかに闇を舞う』が当時のSRの会の会誌「SRマンスリー」誌上で大酷評を受けた。その事情は大雑把に言えば、初期作(今回レビューの本作や『トラブルメイカー』)が骨太の傑作・秀作だったのに、この作品でいっきにB級の書き飛ばし作品になった、という主旨の文句を食らったのである。評者は、その怒った古参会員氏の剣幕がいささかコワイほどだったので、くだんの『鷹は~』はいまだ未読(しかし、こう書いていたら、今ではなんとなく読みたくなってきた・笑)だが、なんかそういうものなのかな、という感じで、その後の諸作からも遠ざかってしまったきらいはある。あー、主体性がないね(苦笑)。 (今にして思えば、80年代の冒険小説ジャンルにおける、初期に傑作を書いたあと、いきなりダメダメ作品に転じた高木彬光みたいな感じなのか? とにかく実際のところは『鷹は~』の現物を読まなければわからないが。) で、話を戻して本作だが、これは記憶に間違いがなければ、刊行当時から北上次郎とかが時評で絶賛。船戸や志水、北上などの諸作と並べて、国産ニューウェーブ冒険小説(あるいはその傾向にあるニュー・エンターテインメント←もう死語か?)の一角として激賞していた覚えがある。 というわけで、なんだかんだの井上淳作品だが、いつかコレだけはまず読まなければ、と思っていて昨夜、一晩でいっきに読了(元版のハードカバーの初版)したが、……いや、確かに力作で優秀作。 物語全般の舞台をアメリカとし、日本人はサブ(モブ?)キャラのビジネスマン数人以外、ほとんど登場しない。それ自体は作品の評価を上げ下げする要因ではないが、少なくとも一冊の国産エンターテインメントミステリの個性を際立たせることには、もちろん十分、機能している。 そしてその上で群像劇風に、時局の推移を導入し、カットバック手法を多用して語る翻訳ミステリ風の作劇が高い効果を上げている。こういう作りなので、物語の核が何かはなかなか見えないが、作者もまちがいなくそういう読み手のストレスを勘案した上で、各シーンに印象的・ビジュアル的&観念的な描写を用意し、読者を飽きさせない。その一方で、いくつかの物語の流れが収束していくベクトル感も申し分ない。 現状のAmazonのレビューなどでは主人公がわかりにくい、という意見もあり、それもまあわからなくもないが、メインキャラクターとなるのは4~5人(特に「ランナー」ことスパイバーと、NY市警の警官ノーマン・ユーイングが軸)で、その動向を追っているうちに周辺のキャラクターの関係性も緊張感満点で絡み合ってくる。これはこういう作りの作品として、十分に狙いを射止め、そして効果をあげていると見るべきだろう。 終盤に明かされる真相、そしてそこからの話の広がりは、いささか当時の翻訳ミステリ、それこそ<ニュー・エンターテインメント>を意識してその気風を盛り込み過ぎた感もあるが、最後まで加速感いっぱいに熱く読ませるダイナミズムは申し分ない。 まあそういう盛り上げ方をした分、80年代の時代の中で生まれた一冊という感触も強いのだが、それでも2020年代の現在でも十分に楽しめるエンターテインメントだと思う。 この処女長編が先にあったからこそ、前述のキース大佐三部作も生まれたという現実にも納得。 たぶん、まだまだ未読の井上淳の諸作のなかに相応に面白いものは眠っていると期待する(実際のところ、当たりはずれ? はあるのかもしれないが)。そのうちまた読んでみよう(と、言いつつ、すでに古書でもう次の井上作品を入手していたりするのだが・笑&汗)。 |