巡礼のキャラバン隊 |
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作家 | アリステア・マクリーン |
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出版日 | 1971年01月 |
平均点 | 7.00点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 7点 | 人並由真 | |
(2020/08/17 03:54登録) (ネタバレなし) 東西の陣営を超えて中央ヨーロッパを横断する、ジプシーのキャラバン隊。その集団の一員である青年アレクサンドルが、隊の指導者チェルダとその息子フェレンクたちによって何らかの理由で殺害され、死体は秘密裏に葬られる。キャラバン隊には数名の民間人が同道。取材のために同行する英国の女流作家で友人同士のセシル・デュボアとリラ・デラフォントは、それぞれ風来坊風の青年ネイル・ボーマンと、大食漢の中年実業家チャールズ・クロワトール公爵を、旅の間のお伴としている。が、くだんの男性二人の折り合いはよくないようだった。やがて、ひそかにキャラバン隊を調査しようとするボーマンは、アレクサンドル殺害の事実を察知。キャラバン隊に潜む秘密に、肉迫していく。 1970年の英国作品。マクリーン第15番目の長編で、すでに幾つも代表作と呼べる作品を上梓している、著者の円熟期(といっていいだろう)の一冊。 読者視点で主人公ボーマンの素性(あるいは立場)が終盤まで不明、キャラバン隊内部で進行している悪事または謀略の子細も未詳なままに物語が進んでいく。それでもストーリーの各局面では、見せ場や中小の山場が綿々と設けられて……というのは、同じマクリーンの優秀作『恐怖の関門』などでもおなじみの(または、そちらでも類似の)作法。 同作などに馴染んでいるファンからすれば「ああ、マクリーン、またおなじみのパターンをやっているな」なのだが、こういう作劇に慣れてない読者にはキツいかもしれない? ある意味、クライマックスで物語の全貌が見えてくるその瞬間のために、長いトンネルをぬけるまでを耐える作品、という一面もある。 (なお恐縮ながら、先行するTetchyさんのレビューは、本作の最後に明らかになる大きなどんでん返しをはっきりと書いてしまっているので、本書を未読の方は、まずその点で、注意。) 物語全体のロードムービー的な面白さに加え、各地のロケーションに沿った危機的状況のシチュエーションなどに工夫があり、英国風冒険小説(スリラー)として、フツーに楽しめる。 中でも圧巻は、第8章における、ボーマンが見舞われる、あるクライシスの状況というか趣向。 (ただし一方で晩年のマクリーンは<こういう方向>でのみの、エンターテイナーになっていったから、全体的に作風が軽くなっていったような印象もある。) 個人的にちょっと感心したのは、中盤~後半で、某・登場人物があまりに不如意に物を言うシーンがあるので軽く呆れたら、最後になってその件には、ちゃんと? イクスキューズが用意されたこと。 もちろんここでは詳しくは書けないけれど、マクリーンは<その辺り>は、自覚的に描写していたのかしらねえ? |
No.1 | 7点 | Tetchy | |
(2015/02/03 00:00登録) 北上次郎氏の『冒険小説論』によればマクリーンは冒険小説に謎解きの要素を加えた作家であるとのこと。確かにそうだが、以前から感想で述べていたようにマクリーンは読者をいきなり物語の渦中に投じ、人物背景や設定などを一切語らずにストーリーを進め、それら自体が謎となっているため、開巻してしばらくは非常にすわりの悪い読書を強いられるが、本書もまたその手法に則って書かれているおり、ジプシーのキャラバン隊の指揮者チェルダが一員のアレクサンドルを追跡の末、殺害する顛末が描かれるプロローグはこのチェルダという男がただの巡礼者でなく、ある秘密の目的を持っていることが分かるものの、いきなり彼らジプシーたちに命を狙われることになるネイル・ボーマンの逃走劇に何の前知識もないまま付き合わされることになる。 その逃走劇自体は非常に映像的でわかりやすく、なおかつスリリングであるのだが、やはり物語の前置きがなく、状況がよく解らないままに進むため、なんとも居心地の悪い思いをしながらの読書となった。 今ではマクリーンは『ナヴァロンの嵐』を最後に、作品の質は下り坂を辿り、後期の作品には読むべき物はないとされている。北上次郎氏は前掲の評論で自身の作風に固執して時代の流れに乗りきれなかった作家として切り捨てている。 特に冷戦の緊張緩和、CIAのスキャンダル発覚でもはやスパイやエージェントがヒーローで無くなった時代になってもなおエージェントを描いて空回りしているのがまさにこの頃のマクリーンで、確かに本書も親の莫大な遺産を引き継いだ有閑人として登場したボーマンとキャラクターの濃いクロワトール公爵が、それまでマクリーン作品を読んできた読者の大方の予想通りにエージェントであったこと、そして歯の浮くようなハッピーエンドで幕を閉じるなど、当時の時代背景を考えると一種お伽噺のような感がしないでもない。 しかしそれでもなお絶壁での逃走劇に荒ぶる巨牛との闘牛シーン、さらにはボートによる海上での戦いなど随所に盛り込まれるアクションシーンの迫真性はやはりこの作家ならではのりアリティに溢れている。 |