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ミステリの祭典

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アイ・コレクター

作家 セバスチャン・フィツェック
出版日2012年04月
平均点6.00点
書評数2人

No.2 5点 おっさん
(2012/05/27 12:50登録)
たまには新刊も読んでみようシリーズ――っていうか、別にまったく読んでないわけじゃないんですよ、新作ミステリ(取りあげないだけでw)。
それはさておき、この投稿直前に、kanamori さんの本書評があがっていて、いやもうビックリです。

母親を殺して子供を誘拐・監禁し、制限時間内に父親や警察が子供を発見できなければ、その子を殺して目を抉る――元警官の事件記者ツォルバッハは、そんな連続殺人犯「目の収集人」を追ううちに、奇妙な罠にからめとられ、彼自身が犯人と見なされ警察から追われる羽目になる。
彼は、「犯人を見た」という、盲目の女性物理療法師(その“特殊能力”の真偽は?)の協力を得て、無事に新たな被害者を救いだし、みずからの無実を証明することができるのか?

フィツェックは初見の作家ですが、章立てとページ数が、エピローグから序章へカウントダウンしていく(しかし作中時間は通常に進行。このギャップが意味するものは?)という、ケレン味ある趣向に惹かれて手に取りました。
現代ドイツ・ミステリとは如何なるものか? という興味もあったのですが・・・作風自体は、アメリカが舞台でも、フランスで書かれても、日本の新作であってもおかしくないような、良く言えばミステリのグローバル化を印象づけるものでした。
でも、そのグローバル化の要因を考えてみると、結局ハリウッド映画の影響じゃん(ドイツ作品の訳題が、英語のカタカナ表記“アイ・コレクター”ってのも、いかにもです)というあたりが、ちょっとねえ。
“ケレン味ある趣向”の意味するところは、最後の逆転劇をへて、いちおう了解できますし、偶然に頼り過ぎたプロットは相当に苦しいものの、仕掛け好きのミステリ・ファンなら話のタネに一読して損は無い、“2012年の翻訳ミステリの話題作”ではあります。

ただ。
ひとつ、小説技法上の、大きな疑問が残ります。
本作は、作の大半を占める、ツォルバッハの一人称記述と、監禁された子供や警察関係者等、他の登場人物の三人称(に近い神――作者――の)視点、そして犯人の作成したメールの文章、が混在したテクストで構成されています。
問題は、一人称パート。
「わたしは今ただちに忠告したい。このあとを読んではいけない」(エピローグ)とあるからには、これは彼の“意識”の流れでも、聞き手を前にした“語り”でもなく、“回想手記”としか考えられません。
いつ、何のために書いたのですか、ツォルバッハさん?(そしてもし、「あとになって(ずっとあとになって)」(p.27)事件を自分のためにまとめ直したのであれば、“あのあと”どうなったかまで、きちんと書くべきでしょう)
また、それがこうしてフィツェック氏の手によって(?)、本になった経緯は?

う~ん、この、なんとも釈然としない、消化不良的読後感は、続編(シリーズにするんかい、これ!?)を読むことで解消されるのでしょうか?

No.1 7点 kanamori
(2012/05/27 11:33登録)
ドイツ・ミステリ界の鬼才と言われるだけあって、たしかに型破りのアイデアが施された異形のサイコサスペンスでした。

エピローグに始まりプロローグに終わる構成、ノンブル(ページ番号)も405ページから順に減っていくという構成は、単にタイムリミットもののサスペンスを高める効果のためだけではない、というところが巧妙です。
犯行を幻視する特殊能力をもつ盲目の女性の登場や、主人公である新聞記者の曖昧な心情描写がリーダビリティを損ねているように思いましたが、最後まで読むと納得させられる。
読者を選ぶタイプのミステリだと思いますが、最近の英米ミステリにない自由な発想を評価したい。

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