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ミステリの祭典

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ドロシーとアガサ

作家 ゲイロード・ラーセン
出版日2003年12月
平均点6.00点
書評数2人

No.2 5点 nukkam
(2020/02/17 21:25登録)
(ネタバレなしです) アメリカのゲイロード・ラーセン(1932年生まれ)については私は勉強不足でよく知らないのですが、彼のミステリー代表作と評価されているのが1990年発表の本格派推理小説である本書です。イギリスの本格派黄金時代を牽引したドロシー・L・セイヤーズとアガサ・クリスティーを主人公にしたという設定が興味を引きます。他にも同時代のミステリー作家たちが多数登場していますがこちらは完全に脇役、もっと活躍させたらと思わないでもありませんが。意外だったのが前半の展開で、事件に巻き込まれたドロシーが助けになろうとするアガサ達を拒絶して雰囲気がやや険悪になりかけます。しかし後半になると関係は修復され、2人がタッグを組んで謎解きに挑戦するという期待通りの展開になります。巻末解説で若竹七海が指摘しているように当時のミステリーに関する記述ミスが散見され、それを突っ込むのも読者のお楽しみかもしれませんがおっさんさんのご講評でも触れられているように、謎解きに絡んでいる知識に誤りがあるのはいただけません。

No.1 7点 おっさん
(2011/02/15 13:25登録)
ミステリ作家ドロシー・L・セイヤーズが帰宅すると、留守のあいだに訪ねてきた客が、不可解な彼女宛ての遺書を残して拳銃自殺をとげていた。
警察の捜査がはじまるが、死者の身元はなかなか判明しない。
E・C・ベントリー、A・A・ミルンら、セイヤーズの同僚たるディテクション・クラブのメンバーが探偵ごっこに乗り出すが、大事な宗教劇(「汝の家を思うあまり」)の上演をひかえナーバスになっている、セイヤーズの逆鱗に触れる。
しかし、なにやら彼女の言動にはおかしなものが。
引っかかりを覚えたアガサ・クリスティーが、ひとり独自の調査を続けていくうちに、事件は殺人、それも連続殺人の様相を呈していき・・・

実在した人物と伝記的事実を背景にして紡ぎあげられた、ゲーム的フィクション。宮脇裕子訳で「EQ」1993年1月号と3月号に分載されたのち、光文社文庫に入りました。
アメリカ人作家ラーセンによる、1990年作の本編は、典型的なバディ(相棒)ものです。
性格の異なる二人が、一つの事件に巻き込まれ、反発しあいながら協力するうち、次第に理解し合うようになっていく――黄金パターンですね。
二人のヒロインは、いかにもセイヤーズらしく、またクリスティーらしくキャラが立っていますし、セイヤーズの私生児問題やクリスティーの失踪事件を効果的にストーリーに織り込んでいく腕は、凡手ではありません。
ミステリ的なプロットは、――まあまあかなw 適度に意外で適度に伏線も張ってあるものの、前段、セイヤーズの夫の拳銃の行方に思わせぶりなスポットを当てながら、途中からそれがウヤムヤになるあたりが象徴するように、大味です。
考証面のミスは、突っ込みどころとして、むしろミステリ・ファンのお楽しみかもしれませんが(たとえばチェスタトンのあとをうけた二代目ディテクション・クラブの会長は、アントニイ・バークリーではなく、E・C・ベントリーだろ、とかね)、ひとつどうしても看過できない点が。
背景となる年代は、明記こそされていませんが、「一年前に、チェスタトンは神に召され」という記述と、セイヤーズの宗教劇の執筆年ということで、1937年に特定されます。
ところが、謎解きのための手掛りとして作者が用意した、ある有名な小説は――この年にはまだ発表されていないのですよ。
これはマズイ。使いたい気持ちはわかるのですが、修正しないと、この小説のプロットは成立しなくなります。

といった野暮はさておき。
「EQ」のバックナンバーを整理しがてら、ひさしぶりに読み返してみて、セイヤーズへの興味が再燃してきました。
そちらも再読してみようかしらん。

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