最後の審判の巨匠 |
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作家 | レオ・ペルッツ |
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出版日 | 2005年03月 |
平均点 | 6.50点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 5点 | 蟷螂の斧 | |
(2024/05/19 15:33登録) 「重要な先駆」とバウチャーが賞揚とありますが、前例とも言えないレベルですね。まず、ミステリーではないと著者が言っているわけですから、トリック云々の論議の対象となりません(苦笑)。谷崎潤一郎氏の某作も同様でしたが・・・。「僕は巻き込まれた悲惨な事件の一部始終を書き終えた。嘘は一言もない。省略も隠蔽もない。」から始まるのですが、途中、幻想やら、怪物が犯人だと探偵役が言い出したり、わけが分らなくなってきます。ミステリーとして期待したので、評価はこの程度。 |
No.1 | 8点 | おっさん | |
(2010/12/28 14:37登録) 欧米で再評価の機運が高まっている、20世紀オーストリア文学の旗手が、1923年に発表した問題作です。 不可解な「自殺」が頻発する、20世紀初頭のウィーン。 主人公・ヨッシュ男爵は、知人の俳優・ビショーフの邸で、楽器演奏や雑談に興じていた。そのビショーフが、役づくりと称してこもった、密室状況下のあずまやから響く、二発の銃声。邸の主人は、「最後の審判」という謎の言葉を残して息を引きとった。 彼の「自殺」の原因と目され、当惑するヨッシュ男爵だったが、現場を調べた客の一人が、これは殺人だと言いだし・・・ あるミステリ的趣向を用いた作例として、その存在がマニアのあいだで伝説的に語り継がれてきたものの、いざ訳出されてみると、先行するイメージとのギャップ(クリスティと夢野久作くらい違うw)は相当なものでした。 ファンタスティックな謎解き&冒険譚として、一応の終結をみせたお話(訳者の言を借りれば、第一主題)が、末尾の「編者による後記」(同じく第二主題)で引っ繰り返される――のか? ミステリ的には、後者で提示されるホワイダニットに惹かれるものがあります。が、それが真実だという保証はない。 ふたつの主題が並置され、両義的な、ループする幻想に読者を封じ込める試み、と見たほうがいいでしょう。 仕掛けは異なりますが、江戸川乱歩の傑作「陰獣」(が発表されたのは、五年後の1928年)の幕切れと余韻を想起させます。 広く一般にお薦めできる作品ではありませんが、異様な熱気をはらんだ、メタ・ミステリふう実験作(アントン・チェーホフの『狩場の悲劇』とは違った意味で、これもまた、外部からのミステリ・パロディの試みかもしれません。余談ですが、女性キャラの立てかたは、チェーホフのほうが一枚も二枚も上ですw)として、そのユニークネスを買います。 |