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ミステリの祭典

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傷痕の街
久須見健三

作家 生島治郎
出版日1964年01月
平均点7.50点
書評数2人

No.2 8点 人並由真
(2020/06/05 03:26登録)
(ネタバレなし)
 元日本海軍・潜水艇の艇長で、戦後は横浜で貨物船相手のシップ・チャンドラー(航海中に必要となる食料や雑貨を船舶に調達する業者)会社を営む「私」こと久須見健三。彼は朝鮮戦争特需で横浜が賑わう中、悪質な同業者の恨みを買い、左足を膝下から失う重傷を負った。それから約10年後の1962年。戦争特需も去った横浜界隈には閑古鳥が鳴き、現在は39歳になった久須見は自分の会社「アッカー・トレイディング・カンパニィ」の金策に追われる。そんな中、戦時中の昵懇の部下で今は会社の専務を務める稲垣が、金融の当てができたと告げた。金融先は、久須見なじみのバー「どりあん」の美人マダム・井関斐那子の父で、高利貸しの井関卓也。井関は久須見が必要とする100万単位の金を用立てるが、期限までに返せなければ「アッカー~」を事実上、自分の傘下に置く約束をさせた。とにもかくにも当面の金策がついた久須見だが、その時、会社に、稲垣の妻・千代を誘拐したと称する者から、久須見が井関から借りたばかりの現金を要求する電話があった。

 言うまでもないが、早川書房の編集者を経て作家生活をスタートさせた生島治郎の処女長編。
 その昔、雑誌「幻影城」で、当時の各大学のミステリサークルが持ち回りで近況を語ったり、各組織ごとの国産ベストミステリを披露したりする連載コーナーがあった。その連載の何回目かで本作を「(当時までの)オールタイム国産ベスト10」のひとつに選んだサークルがあり、そのセレクトに添えられたコメント「生島治郎といえば代表作は一般には『追いつめる』だが、むしろこの作品や『男たちのブルース』の方が彼のセンチメンタル・ハードボイルドとしての持ち味がしっかり出ているのではないか(大意)」がとても印象に残った。
 それで評者は『男たちのブルース』の方は20年くらい前にすでに読んでいる(大好きな一冊になった)が、本書は読むのが惜しいまま、例によってずっと寝かし続けていた。いや、もしかしたら、その「幻影城」の記事に、原体験的に洗脳されたのかもしれんけど(苦笑)。
 それで評者がもともと購入していたのは1974年の講談社の文庫版だが、これが家の中でまたどっかに行ってしまい(汗)、今から数年前、行きつけのブックオフで1990年に新刊行された集英社文庫版を見つけて改めて購入。
 今回ようやく初めて読んだのは、この集英社文庫版である(なお現状で、この集英社版は本サイトに登録されてない)。

 その集英社文庫の巻末には北上次郎によるオマージュたっぷりの解説を掲載。それを読むと、もともと本作は早川書房の編集者時代に生島が担当した叢書「日本ミステリ・シリーズ」(『ゴメスの名はゴメス』『翳ある墓標』『風は故郷に向う』とか)に新世代の作家による国産ハードボイルドをいれたかったのだが、当時は適当な作家が存在しなくてその願いが叶わなかった、そんな無念の思いも踏まえながら、生島自身が2年後に講談社からこの作品を刊行したそうである。地味にドラマチックな話で、正にミステリ編集者の立場から書き手に新生した当時の生島の飛躍の具現ともいえる一作だった。
(……と言いつつ、前述の「日本ミステリ・シリーズ」でも河野典生の『群青』辺りは、和製新世代ハードボイルドといってもいいような気もするが……。北上次郎的には『群青』は「青春ミステリ」または「非行少年もの」カテゴリーになるのか?)

 なお以下のパラグラフは、あくまでハードボイルドミステリ全般についての評者の勝手でおせっかいなお喋りと思って笑覧願いたいが、評者は<正統派ハードボイルドミステリ(特にシリーズ探偵もの)とフーダニットの要素は実にくいあわせが悪い>と思っている。
 というのは、ハードボイルドミステリの定石のひとつは、事件を介して心にダメージを負い、そこからまた克己していつもの日常に戻る、あるいは次の事件に備える主人公探偵の軌跡の物語である。しかしそこで主人公にもっとも強烈な精神ダメージを与えるには、その主人公にとって特に大事な人間<恋人・親友・恩人そのほか>が実は……というパターンこそがなにより効果的だからだ。実際にハードボイルドミステリの名作といわれる<あの作品>も<かの作品>も……(以下略)。これではサプライズ感あるフーダニットなど、やりにくいことこの上ない。
 だからこそ(逆説になるが)、半ばカメラ・アイ的な視座で隣人の家庭の悲劇を覗き込むリュウ・アーチャーや、軽ハードボイルド作品として毎回の事件でメンタル的に傷を負う責任の軽いマイケル・シェーン(愛妻と死別した彼は別の部分で人生に大きな傷を負っているが)などの諸作群が総じてフーダニットの要素も強いミステリとして楽しめるのは、実はこのためである。その辺りの私立探偵たちは人物配置の上で、主人公と犯人とのそういった種類の関係性が必ずしも必要とされないから(?)。これはもう、正統派ハードボイルドミステリの構造的な弱点みたいなものなんだけどね。

 それで本作『傷痕の街』がそういう見地から実際にどうだかは、ここではもちろん書かないし、決して言うつもりもない。が、この処女作に当時、相当の精力をつぎ込んだであろう生島の「正統派ハードボイルドミステリ」へのアプローチは結構~かなり深い。早川書房の翻訳ミステリ編集部という苗床のなかで数年間にわたって感性を磨いてきた創作者だからこそ、当時ここまで高められたとは思う。
(具体的には第六章の前半辺りの叙述。ほとんど、数年後のフランシスの某作品だよね。)
 作中のリアリティとして、21世紀の今では絶対に通用しないミステリ的な部分もあるが、それはここで文句を言っても仕方ない。
(そういう意味では、旧作は得だな。)

『追いつめる』のあまりにフォーミュラー的な端正さがいまだもって馴染めない評者(まあ再読したらまた見方は変わるかもしれないが。実際にのちの連作短編シリーズを読んでいて今ではかなり志田司郎が好きになってるし)にとっても、確かにこっちの方がいい。もっとも『男たちのブルース』はこれに負けず劣らず大好きだが(笑)。
 評点は0.5点オマケ。

【余談その1】
本作では久須見の部下の社員で阿南(あなみ)敬介という男が登場。結構、印象的な脇役だけど、初登場シーンでは「敬介」の名前が集英社文庫版の116~117ページでは「亮介」になっている。誤植か?
(しかし「敬介」だの「亮(介)」だの……仮面ライダーX?)

【余談その2】
集英社文庫版の107ページで、久須見健三は『七人の刑事』の芦田伸介に似ていると言われる。これを読んでニヤリとした。というのも芦田は本作ではなく、前述の生島の代表作のひとつ『男たちのブルース』のテレビドラマ版で、主人公・泉一を演じていたので。Wikipediaにも現状で書かれていない情報だけどね。たぶん1960年代半ばのテレビドラマ。テレビ埼玉で1980年前後に再放送があり、終盤の回をちらりと見かけた記憶がある。その時はまだ原作も読んでなかったし、途中から観るのもナンだったのでそのうちまた再放送するだろと呑気に構えてスルーしたら、その後ウン十年、CSですらオンエアの機会がない(大泣)。当時、一応は家にビデオがあったので(生テープは高価だったが)、一本くらい録画しておけば良かったとつくづく後悔している。
 数年前にCSで『ゴメスの名はゴメス』の旧作ドラマ版が発掘されたみたいに、コレもどっかで見つけて放映してくれんかしら。『非常のライセンス』とかと合わせて「生島アワー」とか謳って企画プログラムを組めばいいのだ。

No.1 7点 kanamori
(2010/04/28 23:25登録)
国産ハードボイルドの路傍的作品、著者のデビュー作。
チャンドラーの影響を受けているといわれていますが、あまりそうは思わなかった。主人公が私立探偵でなく舞台が港湾近辺で終始しているという要因もあるかもしれませんが、、主人公の行動原理が、自身に降りかかった火の粉を払うというような、日本的な泥臭さがあります。
抒情性があって研ぎ澄まされた文体は、第1作にして既に完成されています。

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