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ミステリの祭典

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ルコック探偵
ルコック

作家 エミール・ガボリオ
出版日1979年01月
平均点4.50点
書評数2人

No.2 3点 nukkam
(2016/05/27 19:28登録)
(ネタバレなしです) 1869年発表のルコックシリーズ第5作です。もっともシリーズ作品としての統一性は全く考えていなかったのでしょう。本書がルコックの初事件のように書かれていますし、また「ルルージュ事件」(1866年)ではルコックを犯罪者出身の警官と紹介していたのが本書では前科などないように描かれています。本書の特色は何といってもそのプロット構成で、前半はルコックの捜査小説、後半は歴史ロマン小説と全く異なる物語を2つ繋げたような作品です。コナン・ドイルの「緋色の研究」(1887年)に強い影響を与えたのは明らかで、ドイルが作中で本書のことに言及しています。ただ本書が「ルルージュ事件」と比べても読みにくく感じたのは、東都書房版にしろ旺文社文庫版にしろ抄訳版で翻訳が古いことも大きな理由ですが、この構成に問題があるように思います。特に後半部はルコックが登場せず(エピローグでは登場)、ミステリー要素も全くないので事前知識なしに読むと退屈に感じてしまうと思います。また前半部も「ルルージュ事件」が一応犯人当てとして成立しているのに対して本書はそういう一般的な謎解きでないのも、とっつきにくさに輪をかけています。マニア読者や評論家向けの作品という評価に留まるでしょう。

No.1 6点 おっさん
(2013/04/16 14:58登録)
『ルルージュ事件』(1868)を皮切りに、『河畔の悲劇』(1867)『書類百十三』(同前)、そして Les Esclaves de Paris(1868 未訳)と続いてきた、いわゆるルコック・シリーズの悼尾を飾る本作は、内容的には、駆け出し刑事ルコックの(『ルルージュ事件』に先立つ)「初手柄」を描いています。

1868年、大衆紙『プチ・ジュルナル』へ連載され、翌年に単行本化されたこの『ルコック探偵』を、筆者は中学生時代、旺文社文庫の松村喜雄訳(初稿版を刈り込んだ、ダイジェスト版による翻訳)で読んでいます。
そのときの感想は――退屈の一言。
しかし、本サイトで未読のガボリオ作品を順繰りに取りあげてきたいま、この“代表作”を放置しておくわけにもいくまいと・・・死蔵していた、東都書房の『世界推理小説大系』第2巻を引っ張り出してきました。オリジナル全長版にもとづく、永井郁訳での再読です。
ちなみに。この永井訳も完訳ではないという声がありますが(国書刊行会版『ルルージュ事件』の、太田浩一氏による「訳者あとがき」)、『大系』の月報に寄せた永井女史の文章を読むかぎり、これは抄訳ではありません。

「第一章 調査」の荒筋は――
場末の居酒屋で、三人のならず者が射殺され、直後に駆けつけた警官たちにより、労務者ふうの犯人、自称メ(仏語で五月の意)が逮捕される。
喧嘩の果ての単純な事件のようだったが、ルコックだけは、メの言動から、彼が見た目どおりの人間でないことを見ぬき、くわえて残された痕跡にもとづく推理から、現場を逃走した二人の女性の存在を確信していた。
しかし、あくまでその正体を伏し、正当防衛いってんばりの主張で公判にのぞもうとするメ。業を煮やしたルコックは、予審判事を説きふせ、真相究明のため思いきった策に出る。
が、その結果、謎の旅芸人メは、監視の目が光るなか、忽然とその姿を消してしまうのだった・・・

ふう。やっぱり長いね。長く感じる。
翻訳の原稿枚数自体は、全体で九百枚を切っているのに、それが、一千枚におよぶ国書版『ルルージュ事件』よりスラスラ読めない一因は、率直に言って訳文のせいもあります。
敵役の大事な名前を「メ」と訳すような、語感の悪さ(田中早苗訳にしても松村喜雄訳にしても、当該人物の表記は「メイ」です)、さらには随所に首をひねるような表現が見られ――たとえば自殺“未遂”の男が発見される場面を、「哀れな男は服のバンドをひき裂いて(・・・)我とわが身を絞殺していた」なんて訳している)、そこでいちいち目が止まってしまうのですね。
しかも――ちょっと話は飛びますが――エピローグの最終節なんて、まったく意味が通らないので、原文を知らなくても誤訳だとわかりますw
残念ながら、完訳でも、この訳文では復刊できないなあ。

さて。
巻なかば、人間消失という状況に直面したルコックは、師匠タバレの助言を求め、それを受けた老人は、安楽椅子探偵的に謎解きをしてみせます。が、完全に底割れした話なので、読者側に驚きはありません。そして自身の失敗を反省し、「今は何をなすべきか分りました」と、ルコックが強大な真の敵への対決姿勢をしめしたところで、第一章は終了。

そこから作中人物の過去にさかのぼり、犯罪が起こるまでを再構成する「第二章 家名の栄誉」がはじまります。『河畔の悲劇』や『書類百十三』では、それでも過去パートを本編に挿入しようとしていましたが(構成上、前者は成功、後者は微妙)、ここではっきり、現在パートとの並置という処理がとられました。
因縁話としてのストーリーの錯綜ぶりは、これまで最高で、まったく別な“時代小説”がはじまったような感を受けます。
新キャラwも多く、正直、その大勢の書きわけはガボリオの手にあまったか、途中途中の人間関係が把握しづらい。
しかし、小森健太朗が『本格ミステリーを語ろう!〔海外篇〕』(原書房)で発言しているような
 
 「第二部に出てくる人物の名前が第一部と違ったり、描写が違ったりで最初のうちは同一人物だとわかんないんですよ。それが最後に殺人に至った時にぴたっと重なる(・・・)」

趣向はありません。主要人物に関しては、出てきた時点でちゃんとわかるように、作者は書いています(第一章で、タバレが「現代人名辞典」を持ちだしているのは、そういうこと)。
紆余曲折を経たストーリーが、冒頭の殺人につながるガボリオの構想力には、ほとほと感心しましたが、いや疲れましたw

今回、気になったのは、そうして第二章でミッチリ書かれたはずの“彼”のキャラクターと、第一章で見事にメを演じきった、いってみればプレ・アルセーヌ・ルパン的“彼”のキャラクターが、じつはうまく重なり合わないことです。もう少し、そっち方面の伏線も張っておかないと・・・。
これは普通に小説としても、ミステリ(その本質は、ルコックV.S.メのスリラーだと思いますが)としても弱点ですね。

やはりガボリオの“最高傑作”は『ルルージュ事件』。ただ同作は、アマチュア探偵に主導権があり、この作者の作風のサンプルとは言いづらい。そういう意味での“代表作”として、本書が挙げられるわけなのでしょうが、出来は数段落ちます。
筆者なら、ガボリオの代表作には『河畔の悲劇』(完訳『オルシヴァルの犯罪』を出して欲しい!)を推しますね。

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