ケープ・フィアー 恐怖の岬 |
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作家 | ジョン・D・マクドナルド |
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出版日 | 1991年12月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 6点 | tider-tiger | |
(2017/08/10 00:08登録) 十三年前にサミュエル・ボーデンの証言によりブタ箱入りになっていたマックス・キャディが帰って来た。幸せ一杯のボーデン一家を真綿で首を絞めるように苦しめていくキャディ。サミュエルは家族を守ることができるのか。 地味な展開。ジワジワとボーデン一家に迫るキャディは不気味であり、特に長女が危ないと思っていた。サミュエルは家族を守るにあたって、しばしば温い判断を見せる。これは絶対~になるよとこちらは思う。だが、なかなかそうはならない。地味だが、じわじわと胃に負担を与えてくれる。ここらあたりの匙加減が実にうまい。大きな動きはないのに読まされてしまう。 そして、家族を狙われたことによってサミュエルの信念はだんだんと揺らぎ、内面に劇的な変化が訪れる。この変化も自然である。 『濃紺のさよなら』の書評で、「ジョン・D・マクドナルドはアメリカ人のための作家だ」みたいなことを書いたが、本作も極めてアメリカ的な作品だと思う。そして、うまいとは思うが、私はこの作品が好きではない。作品の出来は7点以上だと思うが、6点。理由を述べるとネタバレになるので、以下ネタバレコーナーにて ネタバレ 逆恨みから家族もろとも狙われる破目に陥った平均的なアメリカの男であるサミュエル。 これはごくごく普通のアメリカの男が逆恨みされ、追い込まれ、ついに窮鼠猫を噛んだ、そういう話のようにも見えるが、ちょっと違うと思う。 本作の原題はThe Executioners(処刑人)。この処刑人とは誰のことなのか。 最初はキャディがExecutionerなのだと思っていた。かなりえぐい展開が予想された。ところが、淡々と物語は進む。サミュエルの家族のことがじっくりと書き込まれ、キャディはあまり派手なことはしない。作者は読者をボーデン一家に感情移入させてから、ボーデン一家の料理にかかるつもりなのか。嫌な展開だなあと勝手に思っていた。 ボーデン一家の緊張は耐え難いレベルにまで達した。 ここで、サミュエルの内面に変化があり、犯罪者に怯えるだけの弱い男ではなくなる。 家族が狙われているとはいえ、この時点では死刑になるほどのことはしていないキャディをサミュエルは罠にかけて殺そうとする。警察もそれを容認するばかりか、よしよし応援するぞとばかりに人員を回してくれる。これは正当防衛といえるのか? 日本だったら有り得ない話だと思う。しかし、アメリカには本作のような解決を容認する文化的な土壌があるように思える。アメリカ的価値観の勝利を描いた作品のようにすら思えてしまう。 また、途中サミュエルは小細工をもってキャディの排除を試みるも失敗するが、これなどは卑劣だと思った。 死刑制度は野蛮だから廃止すべきという意見がある。だが、アメリカやその他の国では逮捕時に被疑者を殺してしまう案件が多い。逆に日本では裁判にもかけられず殺されてしまう人間はまずいない。 ※アメリカは死刑制度あります。 |
No.1 | 6点 | 空 | |
(2012/10/30 21:07登録) ロス・マク好きであるからには、ロス・マクの筆名変更のせいで混同されたこともあったというこの人のも当然読んでいなければ、と思いながらも、Amazonの古本を買うほどではないかなという状態のままだった作家です。スコセッシ監督の映画は見ていたのですが、当時は原作者がこの作家だということにも気づかず。 そんなわけで今回やっとジョン・D初読ですが、まず意外だったのが、デ・ニーロ演じる悪役と、彼に苦しめられる弁護士との関係が全然違っていたことです。清張の『霧の旗』をも連想させ、悪役の異常さが際立っていたスコセッシ版に比べると、原作の設定は弁護士を始める前の被告人と証人というありふれた関係です。最初の映画化版『恐怖の岬』の粗筋を読むと、これは原作と同じでした。また、クライマックスは「岬」とは全く関係ありません。 弁護士夫婦のなれ初めの追憶まで入れるという、かなりじっくり描きこまれたサスペンスでした。 |