思考機械の事件簿Ⅲ 思考機械 |
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作家 | ジャック・フットレル |
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出版日 | 1998年05月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 3人 |
No.3 | 6点 | おっさん | |
(2012/11/09 12:15登録) 創元推理文庫のシリーズ企画<シャーロック・ホームズのライヴァルたち>が、いちおうの終了を見てからじつに20年近くたった、1998年に刊行された第Ⅲ集です。 収録作は―― ①消えた女優 ②ロズウェルのティアラ ③緑の目の怪物 ④タクシーの相客 ⑤絵葉書の謎 ⑥壊れたブレスレット ⑦金の皿盗難事件 ①~⑥は、1906年から翌07年にかけて、アメリカの全国紙Sunday Magazine に発表された短編(うち最初の3編が、第2短編集The Thinking Machine on the Case 収録作品)からの拾遺コレクションですが、目玉はやはり、フットレルのファースト長編⑦ということになるでしょう。 1906年、Saturday Evening Post に連載されたこの短めの長編(翻訳の原稿枚数は、300枚程度)、ヴァン・ドゥーゼン教授が登場するのは最終の「第三部 思考機械」のみですが(執筆されたのは、かの「十三号独房の問題」より先だったといいます)、その構成は作品効果と密接に結びついています。こんなお話。 「第一部 盗賊と西部の娘」 仮面舞踏会が催されているランドルフ邸から、高価な金の皿が盗まれる。犯人は、「盗賊」に扮した男と「西部娘」。二人は車で逃走し、追手を振り切ることに成功する。この事件の取材を進める、新聞記者ハッチの前に、容疑者として浮かんできたのは、大学時代の友人ディックだったが・・・ 「第二部 娘と金の皿」 「西部娘」ドロシーは、「盗賊」の正体が恋人ディックと信じて、行きがかりから協力したものの、ことの重大さを認識するや行動をわかち、独断で、皿を持ち主に送り返す。ところが翌日顔を合わせたディックは、ある事情から、自分は約束の仮面舞踏会には行っていないと主張。本当なのか? ならばいったい、あの「盗賊」は誰だったのか? やがてランドルフ邸から、再び金の皿が盗み出されるという事態が発生し・・・ 犯行の一部始終が読者に開陳されているようでいて、作者の叙述の工夫(くだんの男は、あくまで「盗賊」としか表記されない)から、犯人の正体は謎に包まれているわけです。 このへんのミステリ・センスは、じつにポスト黄金期のトリッキーなクライム/サスペンスもの(アイラ・レヴィンの『死の接吻』あたりを想起されよ)に通じるものがあり、感心させられます。 そして読者の困惑が頂点に達したとき、満を持しての名探偵登場とあいなるわけですが・・・そこから先は、順当に古めかしいw 推理は一方的な押しつけだし、犯人の設定、その人物の行動原理にも説得力はありません。一篇のなかに、これほど近代性と前近代性が同居しているミステリも珍しい。 でも、あらためて考えてみると、名探偵もののフォーマットのなかでさまざまな実験を繰り返し(「十三号独房の問題」や「呪いの鉦(かね)」のような成功例はあるけれど、残念な結果も多い)、円熟を迎える前に逝ったフットレルの“はじめの一歩”としては、いかにもな作と言えるかもしれません。 構成と語り(騙り)のコンビネーション芸を発展させたのが、⑥(先日、曾祖父の遺品のブレスレットを、強盗に狙われたばかりという女性が、しかし別件で思考機械を訪れる。その相談ごととは・・・?)でしょう。シリーズの総括的な巻末解説で、戸川安宣氏が指摘されているように、この年代、フットレルがここまでミステリにおける“叙述”の問題を自覚していたことは驚異です。そして、結末の付けかたは、別な意味で驚異です。なんという、投げっぱなしジャーマン(この表現、プロレス・ファンでないと通じませんね ^^;)。事件の背景を完全無視だもんなあ!!! そんな、あくまでマニア向け、コレクターズ・アイテムといった性質の強い作品集である本書のなかにあって、広く一般に推薦できる佳品は③でしょう。「緑の目の怪物」というタイトルが大仰で損をしていますが(原題の“The Green-Eyed Monster”は、英語の慣用句で“嫉妬”のこと)最近、妻の行動がおかしいという夫の訴えに、思考機械が調査を開始する、kanamori さんがご書評で指摘されているような“日常の謎”ものですw 作者が意識したのは、ホームズ譚の「黄色い顔」(『回想』所収)あたりでしょうか。こちらもまた、ヒューマニティに富む幕切れが待っています。 思考機械とヒューマニティ? 水と油のようにも思えますが、長編⑦のエンディングで美女に抱きつかれ、「やめてください。戸惑ってどうしていいかわからなくなるではありませんか」と大慌てしているところを見ても、まったくの朴念仁ではないのです、この教授。 テクニカルな実験の合間に、そうしたキャラの落差を楽しめるお話を、もっと書いてほしかったなあ。 もし、タイタニックの悲劇なかりせば・・・フットレルは、果たしてどんな円熟を見せてくれたのでしょうか? |
No.2 | 6点 | mini | |
(2012/04/13 09:56登録) 今年はタイタニック号沈没後100周年に当る 100年前の1912年4月14日深夜に氷山と衝突したタイタニック号は15日未明に沈没するが、タイタニック号の命日はすなわちジャック・フットレルの命日でもあるのだ なぜフットレルが乗り合わせていたのかは定かでは無いが、当時は思考機械譚が本国アメリカ以外でも人気があり、出版上の打ち合わせの為に英国に渡り、その帰途だったのでは?という憶測もあるようだ 実際に思考機械の一部には、アメリカより先にあのストランド誌が初出だった短篇も有るくらいだ 思考機械の短編群は、内容ではなく短篇集の纏められ方で見ると、大きく分けて2つに分類される 1つは作者の生前に刊行された第1と第2短篇集で、「十三号独房」や「赤い糸」「焔をあげる幽霊」といった有名作は当然この2つの短篇集に含まれている もう1つは、1970年代にアメリカの編集者エヴリット・ブライラーによって編まれたドーヴァー版と呼ばれる落穂拾い的な2冊の短篇集である 前者の短編群は主に創元文庫版のⅠ巻とⅡ巻に収録されているが、創元文庫版Ⅲ巻では後者から多く採られており言わば増補的色彩が強い 有名作の有無の違いは有るが、それでもシリーズの特徴に大きな違いは無く、トリック自体はチャチだが、トリックの見せ方演出勝負であると言う長所短所は共通している トリックだけを抜粋して言うなら、思考機械は過大評価、ソーンダイク博士は過小評価されてると私は思う さてこの第Ⅲ巻だが、Ⅰ巻Ⅱ巻に比べて特に内容が劣るとは思わないが、逆に特筆すべき短篇も無くまぁ平均点 やはりⅢ巻の目玉はkanamoriさんも言及されているように、思考機械シリーズ唯一の長編が収録された事だろう 短篇での第1作は言うまでも無く「十三号独房」だが、実は初登場したのは長編「金の皿盗難事件」なのだ kanamoriさんのやや辛目の御評価に反してしまって本当に申し訳無いのですが、この長編なかなか面白かった ホームズの長編が後半を過去の因縁話に充てているのに対して、この長編では後半1/3に思考機械が登場して謎を解くという後の近代的長編スタイルを先取りしている しかも叙述視点人物を章によって代えているプロットが真相と絡んでくるのが斬新で、そう言えば後の短篇にも叙述トリックを使用したものが有るんだよな 惜しむらくは後の短篇群に比べて思考機械の推理にキレと説得力が乏しいのが残念 ところで冒頭に、いやに詳細に思考機械を紹介する件が有るが、実は生前に第3短篇集の刊行計画が有り、それに合わせて書き下ろしたものらしい、計画は幻に終わったが ※ 今回のテーマに合わせて私のⅡ巻の書評も若干増補しましたので、そちらも参照していただけると嬉しい |
No.1 | 6点 | kanamori | |
(2011/07/26 18:25登録) 本書の目玉作品は、思考機械シリーズの実質的な第1作で唯一の長編(といっても文庫で160ページほどで、長めの中編といったほうが正しい)「金の皿盗難事件」でしょう。ただ、内容のほうは、前時代的なロマンス小説の様相で、発端の不可思議な謎で読者を引き込む後の短編群と比べると本格ミステリとしては見劣りする出来でした。 残る6編の短編のなかでは、「緑の目の怪物」がタイトルからイメージする内容と違って、思考機械が”日常の謎”を解く異色作で印象に残った。動機が驚くほど現代的。 解説によると、シリーズ未訳作品はまだ15作もあるらしい。北大西洋に原稿が沈んだ6編はどうしようもないけれど、残りの作品をどこかで出版しないものだろうか。タイタニック号の海難事故が1912年だから、来年はちょうどフットレル没後100周年にあたるし。 |