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ミステリの祭典

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シンポ教授の生活とミステリー
新保博久

作家 評論・エッセイ
出版日2020年07月
平均点6.00点
書評数2人

No.2 5点 Tetchy
(2023/03/08 00:04登録)
シンポ教授、即ち新保博久氏と云えばしばしば書評でも作品の齟齬や細かなミスを指摘する「重箱の隅の老人」と称するほど博覧強記のミステリ評論家として名高い存在。
私は彼のその知識の豊富ぶりに感嘆し、尊敬をしていたため、本書ではどれだけのミステリの蘊蓄が披露されるかと楽しみにしていたのだが、その期待は半ば裏切られたのような内容だ。

本書は彼の書評人生において各雑誌や機関誌、更には小冊子に著したエッセイを網羅した作品であり、それらをカテゴリー別に区別して編集されているため、同時期に複数の雑誌で書かれたものが収録されている場合、同じようなことが繰り返し語られている内容になっている。これがまず何とも損をした気分にさせられた。

まず基本的に作者の基調は脱力系である。米澤穂信氏の『氷菓』シリーズの折木奉太郎のモットー「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければならないことは手短に」を地で行く書評家である。
でもそういう人に限っていろんな仕事が舞い込んでくるということを本書は証明している。
まず冒頭のミステリー創作教室の講師を務めた話ではノートにメモることも原稿料が出ないことからしないという理由がすごい。
またいわゆる被害者小説であるサスペンス小説にシリーズキャラクターがいるのは原則的におかしいという意見はなかなか面白い。しかしそれを云えば素人探偵がいつも事件に出くわしてしまうというのも原則的におかしいのだが。いつも不幸な目に遭う人たち、事件に出くわしてしまう人たちがいることがシリーズミステリの宿命なのだ。

個人的に最も面白かったのは「教授への長い道」だ。つまりこれは新保氏がミステリ評論家になるまでの読書遍歴や道のりを記したものだが、インターネットが普及する前の小説探索方法はまさに足で稼げとばかりに日々古本屋を通う毎日とそして探していた本に出遭うには運が介在していることが判る。この辺は私も同様で今なお同じことをしているので非常に身に染みる。しかしこの探し方こそが本読みの醍醐味であるのだよ。今日もないだろうなと思いながらも求めていた一冊があることを期待する古本屋通いは今でも止められない。
あと昔の児童向けミステリ作品の題名について語られている部分も面白かった。私もホームズの『バスカヴィル家の犬』の題名は今なお最初に出会った『のろいの魔犬』である。

現在では新保氏先達が切り開いたミステリの沃野を基盤としてミステリを容易に手に入れ、いやもしくは古典ミステリには手を伸ばさず、古典ミステリの影響を多大に受けた日本の本格ミステリのみを読んでSNSを駆使して読書感想文に毛が生えた程度の書評と称する文章をウェブに挙げて数多のアマチュア書評家の中から注目され、解説などの仕事を出版社から依頼されて書評家になっていくケースも多い。つまり評論賞などの賞を獲得せずともいつの間にか書評家として名が知られ、そして本まで出版する者までいるのだから、新保氏たち古参の書評家たちの彼らに対する思いは如何ばかりだろうか。まあこれも時代の流れなのだから仕方ないものではあるが。

あと裏話として面白かったのは集英社文庫だけが解説者にも印税とくれることだ。いやあ他者は最初の原稿料のみなのか。集英社はやはりマンガでの収益がものすごいのだろうから、それが可能なんだろう。現在はどうか解らないが。
あと書評家や読書家に付きまとうのは蔵書の整理の問題だが、書評家のエッセイにしては珍しくそんな私生活面にも触れているのが面白かった。いやあ自分がよく使っている文庫本いれと庫が新保氏には高価だと認識されているのはちょっと驚き。しかしそれでも安価とはいえフードストッカーに文庫本を入れるのはちょっと抵抗があるなぁ。

本書で一番不満を感じたのが最終章の「シンポ教授のシンポ的ミステリ講座」だ。ミステリの創成からミステリのジャンルの定義について語られているのだが、この内容が何とも古い。
これを最後に持ってくることで本書が2020年に刊行されたミステリ論とは思えなくなってしまうのだ。これは明らかに編集ミスであろう。
これが新保氏が各誌・各紙で書いてきた文章の集大成であるならば彼のこれまでを俯瞰した場合、その時その時に依頼された仕事を一定の水準で器用にこなしてきた文筆家という印象を持つに至った。その膨大な知識を駆使して駄洒落やミステリ好きをニヤリとさせる造語を生み出す言語センスはこの人ならではあろう。

しかし意外にも彼の読書量の凄さは感じなかった。
また一方で纏まった作家論や作品論が意外にも書かれてないことにも驚いた。私は北上次郎氏の書評を好んで読むが、彼の書評には膨大な読書量に裏付けされた知識と自分の人生経験が添えられ、読書が人生の振り返りとなり、それが作家自身の創作時の思いやそれを書くに至った人生をも語るため、実に深い読み物となる。
しかし新保氏にはそのような一人の作家、一つの作品について深く掘り下げるような評論がなかった。いや少なくとも本書には収録されてなかった。
彼はミステリ全般を概観し、俯瞰するのは得意かもしれないが、一点集中的な論評は向かないのかもしくはしないのであろう。

恐らく本書が新保氏にとって最後の単独刊行本になるであろう。
彼の書評家としての職人芸の豊かさは十分伝わったが、書評家としての実力が十分伝わらなかったのが残念である。

No.1 7点 人並由真
(2021/12/23 15:20登録)
(ネタバレなし)
 ひと月ほどかけて寝床の中でチビチビ読み進めた一冊。
 おなじみ「シンポ教授」こと、ミステリ評論家&研究家の新保博久氏が、これまでに各社の雑誌や、日本推理作家協会、マルタの鷹協会そのほかのミステリ界の会報などに書いた文章(主にエッセイ)をまとめたもの。

 引っ越しを決めた近況を語る2018年の短文をマクラに、かつてカルチャースクールで講義をした体験談とそのレクチャー内容を述懐したエッセイ(1990年代の「野性時代」に連載)から開幕。ここでさすがの知識量と、独特の私見を提示してまず読み手を圧倒させる。
 そのあとのパートで少年時代からのミステリファンとしての軌跡を回顧。ジュブナイルにリライトされた名作などとの邂逅を語るあたりも面白い。あかね書房版の『黒いカーテン』の少年少女向きのアレンジなんか、初めて意識した。 

 ただしネタバレに関して「ミステリは犯人やトリックがわかっても面白いものが良い作品だという人がいる。それはもっともだが、しかしそれは他人に押し付けることを前提にネタバレを首肯する材料にはならない(主旨)」と実にもっともな事をおっしゃりながら、前述の講義の項目でリチャード・マシスンのショートショート&サプライズストーリー『箱の中にあったのは?』のオチを自分からバラしているのは、いかがなものか? ここは今回、本にする際にぼかすか、または真相の紹介を注意書き付きで別ページにするなどの改訂を、行ってほしかった。

 以降も全般的に楽しい内容で、評者の場合、ミステリそのものの知見が特に大きく変わることはなかったが、ガードナーやスタウトなどの諸作を「軽パズラー」という呼称でまとめようとする意欲など微笑ましい(それでもまだ字義的に、その呼称でどうなんだろう? と思う面も、個人的にはあるが)。
 さらにミステリ界での関係者諸氏(亡くなられた方々への思い出話だけでワンコーナー設けられている)の話題や、自分が手掛けてきたアンソロジーや、研究&評論仕事のメイキング開陳など、それぞれ興味深い。
(ただ、この方の場合、語られた情報はこれでも氷山の一角であろう。)

 一方でやや不満としては、Amazonでも同様のレビューが寄せられているが、あくまで基本はこれまでに書きまくったエッセイをまとめた内容のため、別の場で再使用した話題、具体的には自分のミステリファンとしての経緯についての述懐などが重複していること。
 もともとは編集側の依頼で、以前のものと似たような内容の文章を自覚的に書いたのかもしれないし、著者にしても雑文をまとめるそうない機会なので、迷った末に今回の本にあえて入れた可能性もあるので、単純に責めるのはよろしくないという考えもある。
 ただまあ、持ちネタはきっと膨大な方なのだろうから、似たような話題を読ませるなら、もっとほかのハナシを……という読者のストレートな欲求もよくわかるネ。

 巻末に、文中に登場する作家や関係者、ミステリなどの書名の子細な一覧がついているのはさすが、である。
 
 最後に、先ほどこの本の中で、名作ミステリのジュブナイルリライトについての体験的な話題も豊富という意味合いのことを書いたが、実際に本書を離れてもシンポ教授はスゴイ人で、先日、SRの会関連のweb上の場で、フレドリック・ブラウンのエド・ハンターものの最後の邦訳作品『アンブローズ蒐集家』は、実は梶龍雄が雑誌付録の児童向きミステリの形ですでに1960年代に翻訳(もちろん完訳ではなくダイジェスト訳だろうが)していた、と指摘されて仰天した。実はこの情報関連のデータベースそのものは以前からネットにあったようだが、その付録本の実物を見ている&読んでいるか、この書誌的な事実を知らなければ、こんなことサラッと言えないだろう。さすが「重箱の隅の老人」である。改めて舌を巻いた。

 ちなみに(まだ続くんかい)、亡くなった小鷹信光は、他人のマチガイを見つけるのも自分のミスを指摘され、是正されるのが大好きだったそうで、その「重箱の隅の老人」を自任するシンポ教授は、とてもシンパシーを感じていた(いる)。
 評者も基本的に同じ考えなので、非常に得心がいく(今でいう「ネット警察」的なこウルさも生じるので、その辺は自戒したい面もあるが)。
 実際、小鷹信光の著作などは、あれだけ膨大な仕事をされたゆえのほんのわずかな綻びで、後になって見ると時たまアレ? という記述が目につくこともあるが、ご本人がそういう「自分の過ちを指摘してもらうのが好きな方だった」というのを今回読んで、ちょっとホッとした。それではこれからも遠慮なく、勘違いや書誌的なミスは指摘させていただこう(え!?)。

(まずその前に、自分が書く内容に勘違いや誤認が無いようにしろよと、陰の声~汗~)。 

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」

【2022年1月6日追記】
 書き洩らしていたが、あと本書の述懐エッセイで面白かった(興味深い)のは、「一見、ノンシリーズ作品に見えて、最後の最後で、実はレギュラー探偵もののシリーズの一本だと判明する作品」の扱いについて、ね。
 名探偵ものの短編完全収録アンソロジーなんかを編むときに、そういう趣向の作品を入れることは読者のある種のサプライズを奪う、と悩むそうで。
 ま、そりゃそうでしょうな。何十年考えても、扱いの正解なんか見出せないと嘆いているのも納得。
 評者だって、(別にアンソロジストの仕事なんかしたことないけど)別の似たような? 状況で迷うことはある。むろん最適解なんか、わからない。

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