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ミステリの祭典

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私のハードボイルド 固茹で玉子の戦後史
小鷹信光

作家 評論・エッセイ
出版日2006年11月
平均点7.50点
書評数2人

No.2 7点 小原庄助
(2023/12/05 08:48登録)
著者が、高校から大学時代にかけて、映画や小説でアメリカ文化を吸収して、その中から同時代文化としてのハードボイルドを選び取っていく過程は、戦後特有の熱気を背景にしているだけに興味深い。推理小説誌がチャンドラーの代表作を紹介し、性描写や暴力描写が売りもののミッキー・スピレーンの選集が登場、読書会を席捲する経緯が丹念に跡付けられる。
ハードボイルドという言葉を初めて活字にしたのは、映画評論家の双葉十三郎であることも立証される。それまでにも、海外の雑誌でハードボイルドという単語に接し得たはずだが「固茹で玉子」という原義通りに受け取り、新しい分野とは、考えなかったと思われる。
始祖のハメットをアンドレ・ジイドが激賞したという事実は有名で、日本のハードボイルド輸入にお墨付きを与えたようなものだが、当初伝えられた発言そのものは海外の雑誌に掲載された架空会見記によったもので、実際のインタビューと勘違いしたものという。このあたりの重要な考証は綿密で精彩を極め、資料を重視する著者の姿勢が発揮されている。
情報過多の湿っぽい雰囲気が支配する日本の文芸に、きびきびした行動性と乾いた文体を導入したハードボイルド。その意義を改めて認識させる回想録でもある。

No.1 8点 人並由真
(2021/11/25 21:23登録)
(ネタバレなし)
 巻末の詳細な書誌などの資料を含めて、ハードカバーで500ページを超える大冊。
 2015年12月8日に他界した著者が生涯をかけて関わってきた「ハードボイルド」「ハードボイルドミステリ」「私立探偵小説」(言うまでもないが、この3つの字義は重なり合うところも多かれど、正確には相応に違う)について語った、晩年の総決算的な著書のひとつと言っていいだろう。

 数年前に購入しながらまだ手付かずだったことに気づいて、就寝前に少しずつ読み進め、二週間ほどかけて読破した。
 本の内容は多様なエッセイの累積ではあるが、その上で、大まかにいうと
1:ハードボイルドというジャンルと概念についての文学的な歴史
2:日本の中での「ハードボイルド(ハードボイルドミステリ)」
  についての受容史と、その浸透に関りあった人たちについて
3:著者・小鷹信光自身の軌跡(いろんな意味で)
 の三つの編年的な流れが軸になっており、それらが別個に、そして有機的に絡み合いながら語られる。

 少年時代から「ミステリマガジン」そして「EQ」そのほかで著者に多大な薫陶を得てきた(大して身についていないが)ミステリファンの末席にいる評者としては、小鷹信光の少年時代から早稲田大学時代を経てのミステリファン、研究家、そして物書きとしての覚醒、その後の膨大な仕事の裏側を明かしてもらうことに強烈な感銘を覚えた。
(しかしこの本を入手してから数年間、放っておいたのは、それなりに読む側の覚悟を予見していたからか? と言い訳してみる。いや、本当に何となく、ではあったのだが。)

 読みだす前の想定の枠を超えて新鮮だったのは、少年~青年時代の小鷹が戦後すぐのミステリ叢書(雄鶏やぶらっくそのほか)に触れ、さらにはポケミスや別冊宝石、創元文庫などの登場に接した時の原初的なときめきで、一方で早稲田時代に大藪春彦の出現に動揺、刺激された際の心情吐露なども興味深い。
 とんでもないボリュームでその後、本書が刊行された21世紀初頭までの半世紀が語られ、その中には評者がリアルタイムで付き合ったミステリマガジン「パパイラスの船」や、世界ミステリ全集のメイキング事情なども相応に触れられる(古本屋で買い集めた日本語版「マンハント」時代の仕事にも)。もちろん、この本を通じて初めて認識した情報も非常に多い。

 しかしそれだけの紙幅と文字数を費やしても、実のところ、この著者の実働の何分の一しかまだ聞かされてないのではないか、と不安と戸惑いを今でも感じるのがおそろしい。

 一方で東西の文壇における「ハードボイルド」の文学的な歴史とその影響を探り、その定義を捉え直そうと試みながら、結論にはとても至らず、その迷宮の中での右往左往そのものを、数十年の歴史の果ての現実として読者に晒している感覚もあった。結局、この人は、たとえば「ネオハードボイルド」は「ハードボイルド」ではないと切って捨てることもできず、一方で「ネオハードボイルド」が「ハードボイルド」らしくなくなっていく現実も認めていたのだとは思う。そういう幅広い裾野を肯定しながら、同時にどこか迷う感覚には強烈な共感を覚えた。すごく良くわかる。

 多角的に素養を広げられ、自分の知見をブラッシュアップしてくれる一冊ではあったが、惜しいのは70年代のミステリマガジンの自分の仕事と同時期の連載について、ヘンな記述があること。
 第6章「新生の船出―1970年代」の冒頭(本書の203ページ)に、HMM70年10月号から「小説『オヨヨ大統領の冒険』」が始まった旨の物言いがあるが、もちろん小林信彦のオヨヨシリーズにそんな作品はありません。長編第三作にして、大人もの第一弾の『大統領の密使』のことだろうが、どうしてこんな誤認したのか。あと、この本を出している早川の編集部は、自分とこの雑誌の過去の連載作品のタイトルぐらい把握して、校閲していないのか?(まあ、していないのだろうけど。)
 実は本書のこの前の第5章(60年代編)で小鷹信光は、別件で誤認を小林信彦から注意された事実を開陳しているが、小林も再度の勘違いには苦笑したろうとは思う。
 
 とはいえそーゆー、細部の重箱の隅を突くようなケチな読者の読み方はそのくらいまでで、じきにその程度の些末なミスは、さほどどーでもよくなった。
 何しろ毎晩、今夜は数ページだけ読んで一区切りで眠ろうと思いながら、気が付くとその予定の数倍のページを読み進め、快い披露の中で眠くなるということの繰り返しであった。
 たぶんまたいつか読み返すだろう、拾い読みするだろう。

 改めて、著者の偉大な業績に敬意をはらい、ご冥福をお祈りいたします。

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