home

ミステリの祭典

login
救いの死

作家 ミルワード・ケネディ
出版日2000年10月
平均点6.33点
書評数3人

No.3 7点 人並由真
(2024/05/25 06:01登録)
(ネタバレなし)
 第一次世界大戦後の英国。地方のグレイハースト村に住む「わたし」こと独身の中年の地主グレゴリー・エイマーは、3年前に少し離れた隣の屋敷に越してきたモートン夫妻に関心を抱く。村人と距離を置くモートンだが、エイマーは実は彼が20年ほど前に活躍した曲芸を売りにする映画男優ボウ(色男)・ビーヴァーの変貌ではないかと疑念を抱いた。なじみの未亡人の姪の魅力的な娘オードリー・エムワースを秘書にしてモートンの調査を進めるエイマーだが、やがて彼の前に過去のとある殺人事件が浮かび上がってくる。

 1931年の英国作品。
 作者ケネディの6作目の長編で、盟友バークリーへのアンチテーゼというかあてこすりというかおちょくりというか……の意図も込めて書かれた一冊。バークリー好きは読んでみてもいいかもね。

 ケネディはそもそもマトモな翻訳が少ないが、10年前に訳された『霧に包まれた骸』はリアルタイムで読んでいた(実は、自分は大体その時期から、ミステリファンとして再覚醒した)ので、これが二冊目の読んだ作品になる。

 本サイトの先行のお二人のレビューを読むと何やらクセのある作品のようなので、楽しみに手に取った。
 本文は二部構成で、第一部がほとんど大半を占めるが、そこでの多重解決(というかデクスター風の推理の反復)はややこしいわりに、意外に読みやすい。話も比較的、スムーズに頭に入ってくる。たぶん小説も翻訳もうまいのだと思う。

 で、最後まで読んで……わはっはははは、こーゆーことか(笑)。
 
 いや、遊戯文学としてのミステリ、こーゆーのもタマには十分にアリでしょう。まあ、こういうのばっかでも困るけど(笑)。
 
 そーいえば『霧に包まれた骸』も、一種のメタミステリとしていまだに印象に残っている。面白いかつまらないか、ではなく、とにかくミステリというジャンル小説の中で、何か仕掛けてやろうという遊び心は買うんだよね。
『霧に』も今回の本作も。

 この手のものがまだまだあるのなら、未訳が山のようにあるケネディ作品、もっともっと翻訳してください(笑)。

 最後に、タイトル(邦題)の意味のみ、ちょっとピンとこない。分かる人、未読の方のネタバレにならないのなら、なんでこの邦訳タイトルなのか、教えてくだされ。

No.2 5点 nukkam
(2016/06/13 01:32登録)
(ネタバレなしです) 1931年発表の本書(共作を除くと長編第6作)はケネディの前衛的作品の代表作とされ、友人(かどうか一部で疑問視されていますが)のアントニイ・バークリイに献呈されています。探偵役のエイマーが仮説を構築してはそれが崩れ、また新たな仮説を構築するという展開はコリン・デクスターのモース主任警部シリーズを髣髴させるところもあり、その限りでは確かに本格派推理小説以外の何物でもないのですが結末はあまりにも斬新というか型破り過ぎで謎解きとしては破綻してしまったように思えます。

No.1 7点 mini
(2008/10/11 11:22登録)
国書刊行会の世界探偵小説全集の中では評判が悪い作品
”ミステリーは単なるパズルでもいい”を標榜するような読者だと、失敗作とのレッテルを貼る人も居るようだ
で、その理由は大きく二つ有って、主人公に感情移入出来ない事と、サプライズが予定調和な点
しかし私はこういった批判には真正面から反論して作者を擁護したい
そもそもこの作にパズル性だけを求めるのが間違っている
この作品は盟友バークリーに対する、へそ曲がり作家ケネディの一つのアンサーであることは序文にもある
それは人間性にも優れた探偵役ばかりだった時代に対し、”推理能力はあっても、読者から好まれない探偵役”という設定をわざと意図的に狙う事
その意味では失敗作どころか作者の狙いは成功していると思う
そりゃ主役に感情移入出来ないさ、それが当初からの狙いなんだもん
私もミステリーを読み始めた頃から探偵役が人間性に温かみが有り過ぎるのを不満に思っていたので、M・ケネディとは波長が合うのかも
今でも無愛想な探偵役が好きで、例えばジョン・ロードのプリーストリー博士とか
ラストのサプライズに関しても最初から狙ってないのは明白で、話の締め括りとしては予定調和でも何らかのオチは付けざるを得ないし、常にサプライズばかり求める読者側の姿勢に問題が有ると思う
一つだけ難を言えば、”人間性は悪だが推理能力だけはある”
という設定なのだが、推理の部分があまり緻密でない事

3レコード表示中です 書評