home

ミステリの祭典

login
エスパイ

作家 小松左京
出版日1971年01月
平均点6.50点
書評数2人

No.2 6点 クリスティ再読
(2024/04/15 09:32登録)
「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」はSFという小説の大前提なんだけども、「SFとスパイ小説をフージョンした」本作の場合だと、007に代表される科学応用の「スパイ・ガジェット」というものの説得力は、実のところ「超能力」に置き換えても何ら問題ないことを暴露してしまう...なんかそんな皮肉な感想をもってしまうんだ(苦笑)

だから「SF作家から見た007」というような視線がどうも気になる。頻繁に挿入される美女の誘惑もそうだけど、カジノやら黄金銃やらこれみよがしに挿入した007パロディを見つけると、「これってやっぱり、007パロディやりたいんだろう??」なんて感じてしまうのだ。
まあ小松左京的には本作で展開する「理想主義的現実主義」といったものに実は大真面目だったのかもしれない。60年代にそれなりの心情的リアリティがあったことは、それは評者的にも、わかる。しかしそれから50年以上経過した今となっては、小松左京の「ハズしっぷり」が同時に判明することにもなって、ココロが痛いなぁ。

まあだから、そんなこと以上に、日本のSF草創期でのパロディ上等な「フマジメで八方やぶれなアナーキズム」といったアティテュードが蘇るのが、評者的には妙に面白い。こういうちょっと「ワルぶった気取り方」に懐かしさを感じるのは、評者が年寄りだからだ。骨董には意図しないような骨董的価値が出てくるものなのだよ。

No.1 7点 虫暮部
(2020/05/28 11:11登録)
 小松左京のイメージからすると意外な程に通俗的かつ痛快なアクションSFで、その通俗性も含め総体として一つの文明批評に思える。世界各地を股にかける旅程は博覧強記の氏の面目躍如だが少々わざとらしい(語り手がそこまで理知的なキャラクターでもないので、薀蓄を語る部分は作者本人の視線になっているような……)。“エスパイ”と言う造語はかなりダサいと感じる。発表当時はアリだったのか?

2レコード表示中です 書評