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ミステリの祭典

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ポオ 詩と詩論
創元推理文庫

作家 エドガー・アラン・ポー
出版日1979年11月
平均点7.50点
書評数2人

No.2 9点 クリスティ再読
(2020/01/31 21:05登録)
今この本は「アンソロジー他>評論・エッセイ」になってますが、できれば「海外作品」側に移動したいな...なんて思ってます。「ミステリ論」じゃあ、ないですからね。
で、創元のポオの掉尾を飾るのはこの「詩と詩論」である。その最後には奇書「ユリイカ」が控えている....とりあえず詩を読んで、「鴉」をポオ自身が自作解説というか音楽で言う「アナリーゼ」を行った「構成の原理」を楽しむのがいい。ここで働いているポオの分析はたとえば「メルツェルの将棋差し」や「ハンス・プファアルの無類の冒険」での犀利な批評精神と同じものだ。ただ対象が「自分の詩」になっただけのことである。詩でも「伏線」をちゃんと引いておくのがポオなわけだし、結末(真相)から逆算して冒頭を考えていく...デザイン的というか、工芸的というか、そういうポオの精神の傾きが、推理小説というものを産んだ、と思いたいな。
続く「詩の原理」では、ポオのお気に入りの詩を題材に「詩」を論じる、というもの。ここで

心の世界を三つの一目瞭然たる領域に分けてみると、純粋知性、美意識、倫理意識になる。美意識を真中に置いたのは、心の中でそれの占めている位置がちょうどここらからである。

ここでは詩について言っているのだが、ミステリだって実のところタダのパズル(純粋知性担当の)でなくて、それが美意識を満たすようなものであってほしいと評者は思っていたりするのだ。たぶんこれにはポオも同意してくれると思うんだ。
で、問題は言うまでもなく奇書「ユリイカ」である。四巻収録の「メロンタ・タウタ」がSFみたいな枠組みを持ってるから小説扱いなんだけど、内容的には同じようなもの。「首尾一貫」の旗印のもと、ポオが案内する「宇宙」旅行である。物質と引力、ニュートンの法則、ケプラーの法則...と、物理学の素材を扱いながらも、これは「科学」かというと実のところ「散文詩」なのである。「純粋知性」を道具としてポオの「美意識」が宇宙を捉えようと、形而下の物質の法則を手掛かりに形而上を描こうとする試みである。たとえばポオは「ボンボン」で思想を料理のように扱う、なんて奇想を試みたわけだけど、「ユリイカ」では物質がそのまま詩となり、超越的な神へと変転するイメージを捉えようとする。
実際カントやヘーゲルくらいまで、哲学者は「宇宙論」を書いていたりするんだよね...物理学と哲学が分離していない時代といえばその通りなのだが、カントの星雲説は「ユリイカ」で述べられるラプラスの説と一緒になって、今でも太陽系の起源に関する有力な説なのだが、ヘーゲルの「惑星軌道論」はニュートン説に噛みついたこともあって科学的には無視されている、なんてオチはある。このポオの「ユリイカ」でも、ビッグバンを思わせる記述があったり、その時に「ビッグバンの中心」を想定することをどうも嫌っている(空間のインフレーションだから中心はありえない、が通説)とか、銀河の中心にある「光らない星」=ブラックホールを想定したりとか、なかなか現代宇宙論を連想するような鋭さをいたるところに見せているのも面白い。
きっとポオが今に生きていれば、相対性理論やビッグバン、ブラックホールのパラドックスなどにも絶対に喰いついたに違いない。そうしてみると「ユリイカ」は奇書なのだが、ニュートン力学に依拠するポオの「ユリイカ」はただ一つの「ユリイカ」なのではなくて、十の、百の、千の「ユリイカ」がありうるように評者は想うのだ。カントやヘーゲルの「ユリイカ」はあったわけだし、アインシュタインが夢見る「ユリイカ」もあれば、ホーキングが、あるいは未来に現れる大物理学者の「ユリイカ」があるどころではなく、宇宙を見て夢みる、稲垣足穂の「ユリイカ」もあれば、たとえば評者お気に入りミュージシャンである原マスミの「ユリイカ」が、さらには別天体のポオの「ユリイカ」が、そして並行世界の「ユリイカ」がきっと、あるのだと想う。
そういう無数に散乱する「ユリイカの銀河」の物語として、評者は「ユリイカ」を読みたい。

No.1 6点 おっさん
(2011/04/28 12:26登録)
ポオの全詩63編と、代表的詩論3編を収めた本書(創元推理文庫 1979年刊)を、なぜここで取り上げるかというと。
詩論のスタイルをとった「構成の原理」The Philosophy of Composition が――

「およそプロットと呼べるほどのものならば、執筆前にその結末まで仕上げられていなければならないのは分かりきったことである。結末を絶えず念頭に置いて初めて、個々の挿話や殊に全体の調子を意図の展開に役立たせることにより、プロットに不可欠の一貫性、すなわち因果律を与えることができるのである」

という文章からもわかるように、散文作品(小説)を含めたポオの創作技法の開陳だからです。およそミステリ(に限らず)の創作や書評を志す人なら、一度は現物に目を通しておくべき文献です。
具体例としてポオが分析している、自作詩「鴉」の執筆過程が、実際その通りであったかどうかは、じつはどうでもいい(あとづけのハッタリがかなりあると思うw)。問題は考え方です。
さて。以下は雑感。
私は詩人としてのポオを云々する能力はありませんが、「鴉」や「アナベル・リイ」のようなストーリー性があるものは、比較的、とっつきやすかったです。
また、もし個人的にポオの一巻本のアンソロジーを編むとしたら、

  ほんの子供の昔から 私はいつも
  他の人達とは違っていた――

で始まる「孤独」を巻頭におきたい誘惑にかられました。
最大の問題作は、詩論パートに押し込まれている「ユリイカ」(ポオの死の前年、1848年の作)でしょう。宇宙の成り立ちを詩人のイマジネーションで解析した(?)一大論文で、その論旨は私の理解を超えていますが・・・ポオの文筆家としての総決算のようなエネルギーに圧倒されます。不幸な人生を送って来た作者が、神とは何かという問題に最終的にどう答を出したか――ポオ・ファン必見です。いや、冗談抜きに、パーソナル・ポオ・アンソロジーのトリは、これしかないです。

しかしまあ、ミステリの書評サイトとしては、「構成の原理」の一点買いで6点、というあたりが、無難なところでしょうw

(付記)当初「評論・事典・ガイド」のカテゴリーに登録されていた『ポオ 詩と詩論』を、管理人さまにお願いして、海外作品の「その他」へ移していただきました。経緯に関しては、「掲示板」の ♯26855 および ♯27119 をご覧ください。(2020.3.29)

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