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ミステリの祭典

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魔群の通過
改題『魔群の通過 天狗党叙事詩』

作家 山田風太郎
出版日1978年01月
平均点7.50点
書評数2人

No.2 7点 クリスティ再読
(2020/03/22 08:30登録)
風太郎でもこれは歴史小説。この人も「負け組」が好きだなあ。「風来忍法帖」が一番の典型だけど、自分たちは全滅しつつも守るべきものは守って目的を果たし、そうそう安易な悲壮には流れずに笑って死んでいく人々の群像みたいなものに、風太郎は結構執着しているようにも思えるんだよ。だから風太郎はモブだからって侮れない。「明治断頭台」の邏卒たちや「魔界転生」の弟子たちが、主人公たちのために捨て石になって死んでいくのを、ゲームなんだけどもゲームに還元しきれない「思い」のように受け止めるべきなんだろう。
そういう「負け組」として水戸天狗党を扱ったのが本作。天狗党事件は「水戸藩から維新有為の人材を根こそぎした」悲惨な事件だから、本作では悲惨さから風太郎は目をそらすことはない。この悲惨さを回避しようととくに女性たちが策謀するのが風太郎らしいが、女性の知恵をもってもこの「戦を好む男たち」と相互報復の嵐を防ぐことはできない...風太郎の筆も、天狗党の長征を悲壮ではあっても、結果的に無益な苦難でしかなかったと描いているかのようだ。「明るくゲーム的な風太郎」の特異な死生観の裏にあるであろう、対極のニヒリズムを本作は例外的に明かしているようにも思える。
なので忍法帖しか読まない風太郎読者に、ぜひとも読ませたい作品と思わないわけではないが....ヘヴィで無益で悲惨で、救いようのない話である。辛いなあ。

No.1 8点
(2019/08/23 04:52登録)
 元和元(1864)年11月、禁門の変に相前後し筑波山で挙兵した水戸天狗党は内部分裂の結果、敗北した。第一次長州征伐に平行して那珂湊と戦闘を続けてきた六万の幕府連合軍に、那珂湊勢が主将と仰ぐ藩主名代・松平大炊頭が突如単独降伏したのだ。あまつさえ大炊頭率いる大発勢は他の二軍、筑波勢と武田勢に攻撃しようとし、党は完全に継戦能力を失った。
 だが大炊頭は一言の弁明も許されず賊魁として切腹を命じられる。大炊同様心ならずも戦争に巻き込まれた天狗党総大将・武田耕雲斎は、藤田小四郎率いる筑波勢を合わせてはるばる京都へ上洛し、時の天子に自らの苦衷を訴える事を決断した。四男源五郎と嫡孫の金次郎が、幕軍大将の妾・おゆんと、水戸佐幕派重鎮の娘・お登世の二人を人質として連れ帰ったことも、彼の判断を後押ししていた。
 「京には、故斉昭公のご子息慶喜さまが禁裏守衛総督としておわす。人質がいれば、まさか赤沼牢の家族にも手は出すまい」
 耕雲斎を戴く千人余の大武装集団は常陸と下野の外縁部を抜け、はるばる信濃から美濃へと、道なき道を、大山脈を踏破し行軍する。凍りつくような初冬の星空の下、ものものしい大軍は巨大な爬虫類のように動き出した・・・
 1976年11月~1977年5月まで雑誌「カッパまがじん」掲載。明治もの「地の果ての獄」の「オール読物」連載とほぼかぶる形。「天狗党? ああそーいうのもあったね」ぐらいの認識しかない人間を瞬時に物語世界に連れ去り、濃密な情報を叩き込みつつ疾風怒濤のドラマの中に放り出す練達の手腕は、さすが山風。白紙に近いアタマの中に、哀切極まりない人間像を刻み込む。
 耕雲斎の一子源五郎・初孫金次郎の二人、十五歳と十七歳の少年をあえて主人公に据え、少年戦士野村丑之助や豪僧全海入道・大軍師山国兵部などの魅力的な登場人物を配置。かれらにも勝る印象を残す幕府若年寄・田沼玄蕃の愛妾おゆんと、薄倖の少女お登世を対置。「修羅維新牢」に引き続き登場する後の豪商・天下の糸平こと田中平八も復讐劇の〆に一役買います。
 「天狗行列には数挺のおんな駕籠がまじっていた」との沿道の目撃者の記録から、一気に奇想を羽ばたかせた作品。並みいる風太郎作品群の中でもとりわけ救いの無い展開です。というか不勉強でして、大陸なら知らず国内でこれほどまでの大殺戮があったのを改めて知りました。
 天狗党進軍後も終わらず、さらに執拗に繰り返される誅戮。
 あの懸軍万里の大行軍は何のためであったか。あの超人的なエネルギーの燃焼の報酬は何であったのか。
 語り手である源五郎少年ことのちの福井地裁判事・武田猛は、果たしてその先に何を見たのか? 結末の解釈は読んだ方それぞれの胸に委ねたいと思います。

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