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ミステリの祭典

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墓場への持参金

作家 多岐川恭
出版日1965年01月
平均点5.00点
書評数2人

No.2 6点 人並由真
(2020/10/07 04:50登録)
(ネタバレなし)
 1964年11月。精肉会社「セントラル・フード」ほか複数の企業の社主である58歳の小串夏次郎は、業績不振のさなか、自分自身の葬式を行い、新規一転の巻き直しを図ると訴えた。酔狂な趣向に呆れながらも付き合う周囲の人々だが、葬儀場で意外な事態が発生。生きていた小串が死体と間違えられて焼かれたらしいということで、葬儀場は騒然となる。しかも燃え残った人骨を調べた結果、生前に当人は何者かに撲殺された可能性も見えてきた。市警の中堅刑事、榊陽三と、新人作家でジャーナリストの青年、野路光生はそれぞれの経路から事件の真相を探るが。

 1965年の作品。
 数年前に閉店したブックオフの某店舗が店を閉める前日に全品10分の1セールを行い、もともと100円均一コーナーにあった本書の古書(現状で本サイトに登録されてない、1975年のKKベストブック社版。挿絵がいっぱいあって楽しい)を、評者は単価10円(当然、消費税はつかない)で購入した(笑)。
(いや当該の店舗の閉店そのものは、今でも頗る残念だが……。)

 それで昨日から今日にかけて読んだが、小酒井不木の『疑問の黒枠』を思わせるインチキ葬式の計画から始まる内容は、良くも悪くも掴みどころのない筋立てで、これはこれなりに面白かった。
 作中で殺人事件が起きても主役たちの目は直接の犯人探しにはあまり向かわず、どちらかといえばキーパーソンである小串夏次郎やそのほかの関係者の背後事情、さらには広がっていく人間関係の綾にばかり向けられる。そのため読んでいて、あんまりフーダニットのパズラーという感じはしなかった。
 むしろ一体全体、この事件の奥に何があるのか? 物語はどこに着地するのかが興味の眼目となる作品という印象。なんか1950年代の<在来のミステリのなかで何か変わったことをしてやろうといった、新時代の海外ミステリ>っぽいティストがにじんでくる。
(だから個人的には、nukkamさんがお怒り? の後半に明かされるあの真相も、人を食ったバカバカしさで、これはこれでよろしいかと~汗~。)

 最後まで読んで無理筋だなあ……と思う部分はホイホイ出てくるが、遊戯文学としてのミステリはこれくらい弾んだものであってほしい、という面もあり、その意味では100%ではないにせよ、作者の意気込みは肯定したい。

 まだそんなに多岐川作品は読んでないが(これで三冊目)風の噂で聞こえてくるこの作者の持ち味って、こういう作風の先にあるようにも予見する。それならそれで、これからも楽しませてもらえそうです?

No.1 4点 nukkam
(2019/07/16 20:25登録)
(ネタバレなしです) 1965年発表の本書は佐野洋による光文社文庫版の巻末解説で紹介されているように、この作者としては「珍しく」本格派推理小説の要素を持ち、中盤では土地売買に絡む詐欺疑惑が注目されるなど社会派推理小説要素もあります。作品の個性となっているのが終章で、ここではある人物による手紙で複雑な人間関係と思惑が明らかになります。これが佐野洋が賞賛した「人間の謎、人間心理の深さを見事に描いている」ということなのでしょう。しかしながら自白形式なので推理による謎解きを期待する読者に受けるかは疑問ですし、それ以上に問題視されそうなのは火葬場の事件のトリックのひどさです。受けるどころか怒り出してしまう読者がいるかもしれません。

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