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ミステリの祭典

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狩人の夜

作家 デイヴィス・グラッブ
出版日1996年09月
平均点6.50点
書評数2人

No.2 6点 蟷螂の斧
(2021/04/08 17:30登録)
裏表紙より~『大不況時代のオハイオ川流域。父を亡くした兄妹の前に現れた伝道師は、右手に「愛」、左手に「憎悪」の刺青をしていた。彼に心を許していく母と妹パール。そして、ジョンの悪夢が始まる。伝道師は狩人。獲物を手にするためには手段を選ばない。子供たちは追いつめられて……。映画化され、キングに多大な影響を与えた幻の傑作サスペンス!』~

サイコ・サスペンスものの先駆的作品とのことで拝読。しかし、サイコ色は弱かった。作者はサイコ系を描いたわけではなく、貧しい時代の9歳の少年の心理を描いたものと思います。父親をどこかへ連れて行ってしまった「青い服の男たち(警官)」を少年は悪人ととらえているところが物悲しい。

No.1 7点 クリスティ再読
(2019/07/03 00:10登録)
以前お遊びで映画オールタイムベストテンを選ぼうなんてしたことがあるんだが...うん、評者、本作ベストテンに入れたよ。それくらい、本作の映画は凄い。
監督はチャールズ・ロートンだから、イギリスの俳優さんで本サイトならクリスティ原作の「情婦」の弁護士というと通りがいいか。監督は本当にこれ一作で、赤狩り全盛期の公開当時、全然当たらなかった。けども「呪われた映画」とか言われつつも、説教師の仮面をかぶったシリアルキラーを演じたロバート・ミッチャムの怪演と「LOVEの右手、HATEの左手」の刺青をつかったパフォーマンスがサブカル的影響を与えて、日本でもやっと1990年にレイトショーで公開。そしたらあっという間にシネフィルの間でも大傑作の声が広まったという数奇な運命の映画でもある。
銀行強盗をして大金を掴んだのもつかの間で、あっさりと死刑台の露と消えた男には、男女の子供と妻がいた。奪ったカネのありかが不明なために、この親子に近づく者も多かったが、流れ者の説教師、ハリー・パウエルは妻の心を掴んで結婚にまで至る...説教師は仮面で、この男は何人もの女性を殺したシリアルキラーだった。刑務所で夫と同房になった縁で、親子がどこかにカネを隠していると踏んでいたのである。長男のジョンは、母のいない間に「カネはどこだ!」と詰問するハリーの正体を悟るが、妹のパールは手もなくハリーに手懐けられてしまっていた...ついに母はハリーに殺され、兄妹はすんでのところで川に逃れる。折しも大恐慌の真っ只中、浮浪児となった兄妹はハリーの追跡を逃れて旅をして、敬虔で親切な農園主の未亡人に引き取られる。そのクーパー夫人のもとで、他の孤児たちと暮らす兄妹のもとに、ハリーが現れる。クーパー夫人はハリーと対決する....
という話。小説としては、オハイオ川沿いの住民の生活感が溢れる、アメリカン・リアリズム小説風のタッチ。良くも悪くも信仰心の強い土地柄で、だからハリーのような食わせ者も説教師として信用されるわけである。
映画でもリアリスティックな前半から、兄妹が川に逃れるあたりで、一種のダーク・メルヘンといったタッチに切り替わるのが、何とも不思議な印象を与えるのだけど、原作にそういう素があるようだ。というのも、本作だと「子供の受難」という大きなテーマがあって、現実の大恐慌下の浮浪児たちと、この物語での兄妹、ヘロデ王の嬰児虐殺を逃れるイエスの一家の話、葦船に流された幼児のモーゼ...といった「子供の受難」の神話的な層が、幾重にも重なりあっているのだ。実際本作、ほとんどロケなしで全セット撮影のようである。これを最大に生かして、作り物めいていて、悪夢のようでもある景色の中での「子供の受難」を、「子供の目に映った」かのように描いている稀有の映画なのである。小説の「子供の目」からの「意識の流れ」風の主観的な叙述に照応しているようである。
撮影は「偉大なるアンバーソン家の人々」のスタンリー・コルテスで、アメリカの白黒映画では最高レベルの映像美を誇る名作である。クーパー夫人とハリーの最後の対決をドイツ表現主義的な光と影の美で描ききっている。クーパー夫人を演じたのはアメリカ映画のヒストリーそのもののリリアン・ギッシュ、ギッシュが子どもたちを守るためにライフルを持って、殺人鬼のミッチャムと対決する...んだが、最大の見せ場はそれに先立つ、庭に佇むミッチャムが歌う賛美歌が聞こえてくる(実にイイ声)のに、ライフルを抱えて椅子に座ったギッシュが唱和するシーンである。これはちゃんと原作にもある。

だが、それははっきりと聞こえた。空耳ではなかった。伝道師は賛美歌を歌っている。「永遠の御手にすがれ」自分自身、神の力を必要としていたせいもあるし、あの男の声をかき消すこともできるので、レイチェルもなじみのある歌詞を口ずさみはじめた

映画だと、ミッチャムは「Leaning, leaning...」と麻薬的な美声で歌うのに対して、ギッシュはその間に「Leaning on Jesus」と「イエスにすがれ」と明確にしている違いがあるのが、信仰と異端、正と邪のせめぎあいのようでもあるし、信仰と異端の紙一重の違いでもあるかのようである...魂が震撼されるような形而上的名シーンである。

わざとヘンな言い方をするが、本書は映画に忠実である。一読の価値はあるし、アメリカン・リアリズムと福音主義の危うい関係など面白い論点はいろいろある...しかし、それでも映画が強烈すぎる。原作の採点はそのワリを食ったかなあ。

北側の牧草地の先の茂みで、月から梟が静かに下りてきたかと思うと、野兎が断末魔の声を上げた。それを聞いてレイチェルは思った。小さいものが生きていくのはたいへんだわ。兎も赤ん坊も多難ね。本当に生きていくのが難しい残酷な世の中だもの。

...これをちゃんと絵にしてる。異常な映画である。

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