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ミステリの祭典

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傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを

作家 矢作俊彦
出版日2008年06月
平均点7.50点
書評数2人

No.2 7点
(2019/11/18 10:28登録)
 雑誌『小説現代』2008年5月の特別編集版「不良読本」にて読了。70年代"伝説"と謳われたドラマのオリジナル小説で、〈原案 市川森一〉の文字に加え副題も〈傷だらけの天使リターンズ〉と、まさに正統続編。なお市川はこのドラマの全26回中、衝撃的な最終回を含む最多8脚本を担当したメインライター。
 海道龍一朗の巻末エッセーによれば第三話で当時のアイドル中山麻理がヌードシーンを披露したのが決定打となり、鬼より怖いPTAに隠れもない「有害番組」と指定されたそうです。まあヌード自体はその前からちょこちょこあったそうですが。ワタシはこの番組を視聴していませんし、何の前知識もありませんが、しかしそんな事とは無関係にこの話は面白い。
 最終回で高飛び寸前古巣に舞い戻り、風邪を引いてくたばった相棒・乾亨をドラム缶に入れて夢の島(当時の一大ゴミ集積場)に葬った元探偵事務所調査員・木暮修。
 それから約三十数年ののち。マニラ、ジョホールバル、マカオ、香港と逃げまくった五十七歳の修は日本に帰国し、東京近郊のとある公園でホームレス生活を送っていた。段ボールハウスにひとり息子の健太が描いた『おとおさんのえ』を貼り、育成したゲートボールチームの賭けで小銭を稼ぎながら、市役所の担当職員や仲間の浮浪者たちと戯れる日々。
 だが同じ頃ネット空間『第四世界(フォースワールド)』では"コグレオサム"の虚像が肥大化し、いわば世界的な存在となっていた。さらに実在の彼を連れてくる事を条件に、ゲーム内で多額の懸賞金が掛けられる。その騒動に巻き込まれ浮浪者仲間のドーゾが死んだ。仕掛人は誰で、果たしてその狙いは何なのか?
 修とその相棒"シャークショ"は調べを進めるうち、新東京都知事・石山信次郎と組んだヒルズ族の長老的存在にして元東京アンダーワールドの女帝、あの綾部貴子に再会するのだった・・・
 確固としたキャラクターに支えられたテンポの良い会話やギャグ、アクション、そしてストーリー。インターネットが題材なのは賛否両論あるでしょうが、それもドラマの決着に繋がるのでOK。常人には計り知れない貴子の愛憎やスケール感もよく出ています。
 ただ映像化前提のせいか、『ロング・グッドバイ』などに比べるとこの作者の持ち味である複雑さが薄い。より一般向けとも言えますが。その点も含めてギリ7点。旧作要素をよく拾ってるんで、傷天ファンならもう少し加点するかもしれません。

No.1 8点 人並由真
(2019/04/20 18:34登録)
(ネタバレなし)
 1975年3月末、長年にわたって司法の手を逃れていた「東京アンダーワールドの女帝」にして、乱歩の『黒蜥蜴』のモデルとも囁かれた裏社会の大物・綾部貴子はさる疑獄事件に絡んで窮地に陥り、国外に逃亡した。貴子の外注の部下だった新宿の調査員(事件屋)の青年・木暮修は貴子からともに日本から脱出するように誘われるが、彼は病身の弟分の若者・乾亨(あきら)を見捨てられなかった。だが結局、亨は死亡。貴子の検挙に失敗した警視庁は意趣返しの念も込めて修に亨殺害の容疑をかけ、その後30余年、修は国内外で不遇の逃亡生活を送る。やがて2008年。都内の一角でホームレスとなっていた57歳の修は、仲間の浮浪者たちや、市役所の厚生福祉課の気の良い青年・愛称「シャークショ(市役所の意味)」などを相手に、のんきな毎日を過ごす。だが修はある日、「コグレオサム」を探す怪しい外国人の一団により、自分と間違えられたホームレスが拉致され、重傷を負ったことを知る……。

 1974年から半年間にわたって放映された日本テレビドラマ史に名を残し、世代を超えてファンから愛される名作・探偵ドラマ(というよりアングラっぽい青春ドラマ)の正統的な続編ノベル。評者は2008年3月「小説現代」特別号での本作初出の時点で同誌を入手。その後、加筆改訂された単行本も購入した(今回はこれで読了)が、散らかっている家の中で本がどこかにいってしまい、刊行から10年後の昨年2018年の夏にようやく発見。それではそろそろ読もうかと思っていたら、修役の萩原健一が先日亡くなってしまった。追悼の念はやぶさかではないが、それ以上にいい加減読んでおこう、の思いが強かった。
 くだんの「小説現代」(これはいまだ捜索中)の方に書いてあるのか未入手の文庫版の方に記述があるのか知らないが、Webでの噂を拾うと、本作はもともと21世紀の新作映画用のストーリーとして書かれながら、2006年に綾部貴子役の岸田今日子が他界したため頓挫した企画に沿った一編だったようである。
 主演の萩原や旧作テレビのメイン文芸だった脚本家・市川森一からも公認・支援を受けた完全に正統的な後日譚であり、メディア枠を違えながらも33年という長い歳月を経て復活したフィクションの主人公というのも豪快だが、旧作テレビを楽しんで観ていた(自分の場合ははじめてしっかり観たのは深夜の再放送枠だが)ファンにとっては、バディものの片割れを奪われ、その後社会の片隅で逃亡を続けてきたかつての青年主人公のジジイとなった活躍図がすごく気になる(と言いつつ、10年読まなかったけれど~汗・笑~)。

 それでまあ中身の方は、ある意味でとても王道、言ってみればスピレインの『ガールハンター』の傷天版なわけだが、作者の原作ドラマへのオマージュの込め方はハンパでなく、テレビエピソード各編の細かいネタを縦横に拾いまくるわ、その一方で青春も若さも喪失した初老主人公の疲弊と年季をみせるため、実に巧妙な刀捌きで原典世界にも斬り込むわ……で、正に原作ドラマファンの書き手による原作ドラマファンへの一編なのは間違いない。これが受け入れられないというのは、別の意味でのファンオマージュで21世紀の木暮修像に自分なりの強いイメージを抱きすぎて、それと違うものに抵抗がある人だろう。それはそれで仕方がないが、万人を納得できる作品なんか作れないという意味で、個人的にはこれは、当人なりのアプローチを貫き通した作者・矢作のひとつの大きな成果だと思う。

 なお評者は70~80年代はともかく近年の普通の矢作作品群は、数年前の『フィルムノワール/黒色影片』一作しか読んでない(その一冊が面白かったけど、大作ゆえに実に疲れた~汗~)ので、そういった作品群との比較はできないんだけれど、本書(新作・傷天)は21世紀の東京・新宿を舞台にしたストーリー上の必然性やメッセージ性も明確で、そういう意味でも良質な作品であった(いろいろな面で時代に置いていかれかけながら、それでもしぶとさを失わない修のキャラクターもカッコイイ)。
 さらに終盤のある大仕掛けはこちらの予想の隙を突かれた感じで、その辺は(中略)という意味で諸手を挙げて褒めまくるわけにはいかない面もあるが、それでも結局は導入しておいて良かった文芸だったとは実感する。

 ちなみに余談だけど、本作が登場した2008年には吉村達也の『マタンゴ 最後の逆襲』とかも発売されていた。当時は出版界にこういう、人気の名作映像作品をベースにした完全新規の後日譚ノベルブームとかが来るんじゃないかと期待したものだった。結局、そんなものは訪れなかったわけだけど(悔し涙)。

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