残像に口紅を |
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作家 | 筒井康隆 |
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出版日 | 1989年04月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 7点 | 斎藤警部 | |
(2023/12/23 23:04登録) “この調子ではどんな突然の非常識、奇想天外、荒唐無稽が起るかもしれない。それらをすべて、それぞれに対応する考え方で、終結に向けて的確に処理していかねばならないのだ。” ラストシーン、気持ちは動くのか。 タイトルの意味するところは、何気に早いタイミングで抒情を刻んでくれたが。 “そう考えて●●●●は異様なほどの快感を伴ったおそろしさとスリルに見舞われて思わず(後略)” このストーリー、もしも企画を冒頭で公開せずに最後まで完遂していたとしたら、人はどの辺りで仕掛けに気付くものだろうか。 しかしこれ、図らずも(?)『アレ』のメタファーになってるよねえ。。。。 オールドパーはバーボンじゃないよな、なんていぶかしく思う。 その人、ゴクミ? おっと、戸田奈津子語尾みたいなの出てきた? こっちはゼンジー北京語か(但し「ノンアル」で)? … だんだん語呂合わせというか日本語ラップ初級編みたいな様相を呈し始めるのが何やらおかしくて。。「孤独のグルメ」脳内独り言のような物言いも顔を出し始めた。 歌舞伎だの何だの、巧く纏めるもんだよなあ。 特殊な情交シーン(そっちの意味じゃなく)、最初の方は只々大笑い(!)だったが、やがて独特の味わいの濃密描写に推移。 官能小説から歌詞をインスパイアされるというあいみょん嬢の感想を聞きたいね。 「もしもし。ここは現実ですか」 「そうだよ。何もかも現実なんだよ」 「もしもし。もしもし。そちらは、現実ですか」 最後に残る一文字(乃至二文字)を予想しちゃいますよね。まあ手堅い本命なら「■」だろうけど、さりげなく「◇、◇◇◇」なんてのも有り得るし、ルール抵触かも知らんが「○○○○○」なんてのも、人情でじんわり来ますよ。 本作の企画、ハングルでやってみた人はいるのかな。パーツ(ㄱとかㅏとか)だとすぐ終わっちゃうから、文字(가とか혼とか삶とか)の単位で。 漢字だとちょっと果てしなくて無理ですかね。 敢えて英語に翻訳したら、終盤につれてどんな不可思議な感じになって行くのか、興味あります。 |
No.1 | 5点 | E-BANKER | |
(2018/06/10 10:17登録) アメトークの「読書芸人」でオードリー若林(カズレーザーだったかな?)が取り上げたことでも有名となった本作。 作者らしい遊び心と壮大な実験的小説という解釈でよいのか? 「中央公論」誌に連載された後、1989年に単行本化。 ~「あ」が使えなくなると、「愛」も「あなた」も消えてしまった。世界からひとつ、またひとつとことばが消えていく。愛するものを失うことは、とても哀しい・・・。言語が消滅するなかで、執事し飲食し、交情する小説家を描き、その後の著者自身の断筆状態を予感させる、究極の実験的長編小説~ まさに「実験的」小説なんだけど、市井の普通の一般的な読者にとっては、「だから何なんだ?」という感想しか残らないのでは? 以上、感想終わり! ということでもよいのだが、雑感を追加すると・・・ まずは作者の多大なる労苦に経緯を評したくなる。 第三部開始時には(雑誌連載時は第二部までて終了していたとのこと)、 世界からすでに「あ」「ば」「せ」「ぬ」「ふ」「ゆ」「ぶ」「べ」「ほ」「め」「ご」「ぎ」「ち」「む」「ね」「ひ」「ぼ」「け」「へ」「ぽ」「ろ」「び」「ぐ」「べ」「え」「ぜ」「ヴ(本来ひらがな)」「す」「ぞ」「ぶ」「ず」「づ」「み」「ざ」「ど」「や」「じ」「ぢ」「き」「で」「そ」「ま」「よ」「も」「げ」「ば」「り」「ら」「る」が消えている状態(合ってるか?)。 そこから更に一字ずつ消していく第三部がハイライトというか何ていうか・・・ それまでにSFをはじめ、さまざまな作品を書いてきた作者がたどり着いた極北が本作ということなんだろうか。 泡坂妻夫の「ヨギガンジー」シリーズでも感じたことだけど、もっと創作の中身で勝負したいいのに、って思ってしまう。 でもまぁ、作家も煮詰まってきたら、いろんなことを考えるんだろうね。 「実験」としてなら、面白い趣向だと思う。 (今回ウィキペディアで作者のプロフィール&履歴を改めて確認したけど、やっぱりなかなかの人物ですなぁー) |