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ミステリの祭典

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オンブレ

作家 エルモア・レナード
出版日2018年01月
平均点6.50点
書評数2人

No.2 6点 tider-tiger
(2020/08/20 01:14登録)
エルモア・レナードは元々西部小説を書いていたのだが、西部小説のマーケットがTVドラマの西部劇のせいで縮小してしまったためクライムノベルへと移行した。そうした初期の西部小説を埋もれさせるには惜しいと村上春樹氏が訳出、本書には『オンブレ』と『三時十分発ユマ行き』の二作が収録されている。
過度な期待をせず気楽に読んで欲しいという村上春樹氏の言葉には同意だが、両作品ともちょっとしたおまけがあると付記しておきたい。

『オンブレ』1961年アメリカ。
~七人の男女がそれぞれ目的あって馬車に乗り合わせた。だが、族に狙われて苦境に立たされる。そこで幼少期をアパッチに育てられたジョン・ラッセル(オンブレ)が立ち上がる。~
レナードの西部小説初読み。二重の意味で面食らった。
先に結論を言ってしまうと、面白かったが、エルモア・レナードを知るための最初の一冊としてこれは薦めない。また、西部小説がどんなものかを知りたいという方にも薦めない。
※自分も西部小説のことはなにも知らないので、後者に関してはあくまで勝手なイメージ。

筋運びは後期レナードに通ずるものがあるものの、語りはまるでレナードらしくないと感じた。やや説明過多。軽快に話が進まない。会話もそれほどこなれていない印象。背景はよく描かれており、雰囲気あるが、レナードはかなり下調べをしていたらしい(これも意外だった。下調べをきちんとするようなタイプだとは思っていなかった)。
気になったのは語り手が近未来からタイムスリップをしてきたかのような妙な違和感。その場の空気にそぐわないというか都会的というか。これはもしかすると訳のせいかもしれない。春樹さんすみません!
セリフ主体で軽快に引っ張っていくレナードの語りは天性のものだと思っていたが、下積み時代の研鑽修養の賜物だったのかもしれない。

西部小説なるものを読むのは初めてだった。
自分の知っている西部系はTVドラマ『大草原の小さな家』と『ララミー牧場』と『サーカス西部をゆくーゆくー』という歌と『西部警察』くらいのものであると前置きしたうえで、本作はイメージしていたものとはずいぶん違っていた。
物語の骨格は西部小説なんだと思う。ただ、普通の西部小説が登場人物にこのような深刻な葛藤を与えるものなのだろうか。 哲学的な問いかけをするものなのだろうか。ここが西部小説としては大きな違和感であり、また本作の魅力でもあった。

前半はややまどろっこしいところもあるが、のちにこの丁寧さが効いてくる。それにしてもインディアンに拉致されていた女性にあんな質問をするか? 丁寧にもほどがあるだろう。少なくとも現代視点では完全にアウトである。
いつのまにか奇妙な世界観が構築されてリアリティを駆逐していくあたりはレナードらしいところ。
オンブレのキャラがいい。クールである。現代視点では報・連・相のできないダメな奴かもしれんが、本作はオンブレにはじまり、オンブレに終わるのである。物語は二重構造になっており、オンブレは二つのものと対峙することになる。うちの一つは悪党である。もう一つは正義というか、良識である。単純な筋に複雑な葛藤が持ち込まれて物語に異様な緊張感がもたらされる。なかなか面白い。
個人的にはメキシコ人の悪党の根性?に感心した。いや、そんなことしてないで病院行けよと。
西部小説を枠として使い、独自のものになっている。ややぎこちない部分もあるが、いい作品だった。

『三時十分発ユマ行き』1953年アメリカ。ウエスタン雑誌に掲載。
囚人を護送する保安官。だが、そいつの仲間が助けにくる。そんな話。30頁ほどの短編で『オンブレ』よりもさらに古い作品だが、こちらの方がレナードらしいと感じた。なかなかの作品。

レナードが日本で売れないのはタイトルにも原因があるような気がする。
ラブラバ、アウト・オブ・サイト、スティック、スワッグ、ゲット・ショーティ、スイッチ、グリッツ、タッチ、スプリット・イメージとこんな感じで、日本人にはいまいち内容がイメージできなくてどうにも手に取りづらいのではなかろうか。読後はかっこいいタイトルだなあと思うのだが。

No.1 7点 Tetchy
(2018/05/14 22:31登録)
2008年に『ホット・キッド』と『キルショット』の文庫化以来、翻訳が途絶え、2013年に逝去したレナードの作品はもう訳出されることはないだろうと諦めていた。だからまさに青天の霹靂だった。10年ぶりに未訳作品が刊行される、しかも訳者は村上春樹氏!何がどうしてこんな奇跡が起こるのかと不思議でしょうがなかったが、兎にも角にもそれは実現した。

しかも村上春樹氏が数あるレナード作品から選んだのは既出の作品の新訳版でもなく、はたまたレナードがベストセラー作家となった以後の作品でもなく、彼がまだデビュー間もない頃に書いていたウェスタン小説というのもまた驚きだ。特にこの手の作品はレナードが犯罪小説の大家として名を成していたために初期の作品については決して訳されないだろうと思っていただけに、三重の驚きだった。

そんな本書『オンブレ』には中編の表題作と短編の「三時十分発ユマ行き」の2編が収められている。
表題作は白人とメキシコ人の混血で、3年間アパッチと共に暮らした“オンブレ”の異名を持つジョン・ラッセルの物語。
このジョン・ラッセル、まだ21歳ながら、蛮族として白人連中に忌み嫌われていたアパッチと3年間共に生活をしていた経験から、白人たちとは異なった価値観、考え方を持つ。人の命を優先しがちな白人たちと違い、彼は常に自分の命を優先して物事に当たる。というよりも最大限に仲間の命が助かる道を選ぶ。従って1人のために皆に危機が訪れることは選択しない。それが時には非情に映るようになる。
つまり彼は無法の地で生きていくために身に着けることになった考え方、そしてアパッチたちとの生活で培ったサヴァイバル術を実践し、自分の考えに従って行動しているだけなのだ。
その一方でアパッチに対する敬意も深く、野蛮だ、忌まわしいと一方的に忌み嫌う人々には容赦ない眼差しを向ける。
彼は決して気高い男ではない。但し常に冷静な頭で考え、行動する。そうやって生きてきた男だ。作中こんな言葉が出てくる。
 “ラッセルは何があろうと常にラッセルなのだ”
これほど彼を的確に表現している言葉もないだろう。誰にも干渉されず、従わない。しかしなぜか皆が頼りにしてしまう男、オンブレがジョン・ラッセルなのだ。

そんな人の心の弱さを見せつけられる中、一人正論を吐き、常に気高くあろうとするマクラレン嬢の存在はある意味、本書における良心だ。アパッチに襲われ、1カ月以上行動を共にした17、8歳の女性は、恐らくはその地獄のような生活で凌辱の日々を過ごしながらも道徳心を保ち、そしてそれに従って生きようとする。
しかしこの荒野や悪党どもとの戦いの中ではそれらが実に偽善的で自己満足に過ぎない戯言のように響く。正しいことをすることで被る犠牲や危機がある、それがこの無法の地であることをこの正しき女性マクラレン嬢を通じて我々読者は痛感するのである。
そして正しきことをすることで訪れるのは哀しい結末だ。それが西部開拓時代のアメリカの姿なのである。

もう1編の短編「三時十分発ユマ行き」は3時10分に訪れる列車に乗せる囚人を預かった保安官が孤軍奮闘して囚人を救出しようと町に訪れる彼の仲間たちの襲撃を退け、無事列車に乗せるまでの顛末を語った物語だ。
保安官補スキャレンもまた西部の男の1人。彼は任務のため、仕事のために命を張る。その頭に過ぎるのは3人の子供と女房。家族のことを思いながら家族のために命を賭ける。死ねば何も意味はなくなることは解っていながら、そう簡単に割り切れない。なぜならそれを彼が求められたからだ。そんな不器用さが滲み出てて実に好感が持てる。

この2編を読んで思わず出たのは「男だねぇ」の一言である。

チャンドラーに続き、これが村上氏によるレナード作品訳出の足掛かりとなって今後もコンスタントに氏の訳で出版されることを望みたい。私はそれにずっと付いていくとここに宣言しておこう。

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