不死鳥を殪せ 「クィラー」シリーズ/別邦題『不死鳥を倒せ』 |
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作家 | アダム・ホール |
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出版日 | 1965年01月 |
平均点 | 6.50点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 6点 | クリスティ再読 | |
(2023/11/09 21:18登録) そういえば本作って、ハヤカワ・ミステリ文庫が創刊した時の最初のラインナップに入っていた作品だった。「そして誰もいなくなった」「長いお別れ」「幻の女」「ゴールドフィンガー」を含む創刊ラインナップの中では、今の知名度が一番低い作品になってしまう。1976年だから、当然冷戦真っ最中。まだスパイ小説のリアリティがしっかりあった時代である。 本作はMWAも獲っていて(1966)、その前年のMWA受賞作が「寒い国から帰ってきたスパイ」。でやはりベルリンを舞台にして「敵の裏をかく」をメインにした頭脳戦の小説なんだが、筆致は即物的で至ってクール。一人称で内面描写は多いのだが、自分自身を「モノ」として冷静に観察するような冷徹さが目立つ。でもね、この作戦にファンタジックな味もあって、ハードボイルド化した「リアルな007」といった雰囲気がある。 話の内容は、イギリス情報部所属なんだけど、ナチ戦犯ハンターをしている主人公クィーラーが、ナチス再興を狙うネオナチ勢力「フェニックス」と単身闘う話。ネオナチ秘密組織ということもあって、実態がよくわからないから、クィーラーは自分を囮にして敵の攻撃を待ち構える、という極端な戦法を取る。だからほぼわざと捕まって、自白剤による拷問を受けるあたりの、自己分析がなかなか面白い(「アタマ・スパイ」という有名な評言がある)。 でも謎の美女とクィーラーが深い仲になるとか、ネオナチ組織の「ご神体」とか、アホみたいに大きな「計画」の話とか、堅苦しい組織小説のル・カレとは完全に別口。強いていえばレン・デイトンが近いが、組織批判とかそういう要素は希薄。敵もわかりやすい純エンタテイメント。 いいところは多いけど、だまし騙されの小説でもあって、一体何がなんだか逆転に次ぐ逆転からわからなくなってきて、ファンタジーっぽくなるところもある。これが不思議な持ち味。思うんだけど、スパイが得た情報って、それがレアで価値が高ければ高いほど、ホントの情報なのか、敵がわざと流したニセ情報なのか、あるいはスパイが自分の利益のためにでっちあげたものなのか、スパイが疑心暗鬼から膨らませた妄想の産物なのか、実はわからなくなる、という逆説も感じるんだ。特に本作、一人称の小説でもあるから、007みたいなファンタジーの傾向も感じたりする。 立ち位置が不思議な作品といえる。名作として定着するのはまあ、無理だなあ... |
No.1 | 7点 | 人並由真 | |
(2019/02/11 05:18登録) (ネタバレなし) 1960年代半ばのベルリン。「私」こと英国情報局員クィラーは、半年に及ぶ現地での任務を終えて帰国の途に就こうとしていた。しかし「不死身」の異名を取る同僚KLJ=ケネス・リンゼイ・ジョーンズが殺害され、その任務を引き継ぐよう指示が下る。命令を拒否しようとしたクィラーだが、KLJを殺したネオナチス集団「フェニックス」の黒幕に、元ナチス軍人ハインリッヒ・ツォッセンがいると知った彼は考えを変える。ツォッセンこそは、21年前の大戦中、潜入工作員としてドイツ内のユダヤ人収容所からの救助活動を行っていたクィラーの前で無数のユダヤ人を虐殺した最大級の仇敵だった。クィラーは西ドイツ内のナチス戦犯摘発組織「Z警察」を動かし、考えあって逮捕保留にしていた旧ナチスの面々を続々と検挙。「フェニックス」に揺さぶりをかけるが、敵組織も反撃の牙を剥いてきた。 MWA最優秀長編賞を受賞した、英国の1965年作品。未訳を含めて長編が20作前後書かれた英国情報局員クィラーシリーズの第一弾。評者は大昔からランダムに何冊か楽しんでいるが(現状で、私的な最高傑作は『暗号指令タンゴ』。シリーズキャラクターのスパイものので、あそこまで鬼気迫るクライマックスは、他にあまり記憶がない)、世評からしておそらくシリーズの真打ちといえる本作はようやっと今回読んだ。 当初、本書がポケミスで翻訳刊行された際に石川喬司がミステリマガジンの書評「極楽の鬼(地獄の仏)」内でつけたクィラーの異名「アタマ・スパイ」は世代人ミステリファンには有名だと思うが、そんな渾名の通り、眼前の事象を即座に解析して考えられる仮想を抜け目なく羅列し、その中から妥当性の高い結論を導き、同時に二の手三の手の予防策を講じていく頭脳派クィラーのキャラクターは、すでにこの時点から確立されている。 実際、これまでのホール作品も結構読むのにエネルギーを使ってきたため、シリーズの看板作品といえる本作はさぞ敷居が高そうだなーと思って、なんか手を出しにくかったのである(笑)。 しかし一念発起して今回、読んでみると、最初から頭脳派で冷徹だろうと思っていた初登場時のクィラーは意外なほどにパッショネイトだわ(無辜のユダヤ人を多数虐殺されたことへの復讐心と義憤が行動の核となる)、お話の方も敵組織と牽制し合う作戦の交錯ぶり、敵組織に捕まるくだり、現地ヒロインや大戦中の旧友たちとのなんやかんや……と起伏に富んでるわ、で思いのほか外連味豊か。ページをめくり始めてから一日半でほぼ一気に読み終えてしまった。 とはいえシニカルでドライな文章&叙述は期待通りに独特の硬質感があり、特に(ミステリ文庫版の解説で訳者の村上博基も触れているのだが)職務として旧ナチの戦犯を生真面目に追うZ警察の青年捜査官に接したクィラーが、20年早く生まれてればコイツは第三帝国のために同じ熱量で滅私奉公してんだろーなと腹の中で思うところなんか容赦がない。この辺はあー、これこそがホールだ、クィラーだ、という感じだね。 後から今から思えば、この事件はシリーズの一弾目に持ってこなくても良かった、二・三冊刊行されたあとに書かれても良かったクィラーの過去編的なエピソードという気もしないでもないが、半世紀経った今読んで、適度にレトロで十分に普遍的な、そんな面白さだと思う。 ところで本書の映画版『さらばベルリンの灯』はそのうち観たいと思っていたんだけれど、ミステリ文庫版の訳者あとがき(文庫用の新原稿)では「主役がミスキャスト、脚色も良くない、音楽はいい」とケチョンケチョンである(笑)。まあ原作を読んだ今となっては、何となく言いたいことがわかるような気もするが、実際の所はいつか現物を観て確かめよう。 |