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ミステリの祭典

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007 逆襲のトリガー
新ジェイムズ・ボンド

作家 アンソニー・ホロヴィッツ
出版日2017年03月
平均点7.00点
書評数2人

No.2 7点 Tetchy
(2021/05/27 23:30登録)
ホロヴィッツが手掛けたのはイアン・フレミング原作の、世界でもっとも有名なスパイ小説007シリーズだ。
しかもホームズ作品同様にイアン・フレミング財団直々に007シリーズの新作依頼がされたとのこと。007シリーズの続編はこれまでもジョン・ガードナーやジェフリー・ディーヴァーなど錚々たる作家が書いており、ホロヴィッツもそのメンバーに名を連ねるようになった。

私が今回感心したのは物語の舞台を現代ではなく、過去、つまりイアン・フレミングが現役で新作を紡いでいた時代に設定しているところだ。しかも時代としてはボンドがプッシー・ガロアと共に組織を壊滅に追い込んだ『ゴールドフィンガー』の直後、つまり1950年代となっている。

ディーヴァーの007シリーズは物語の舞台を現代にし、またボンドも若者に設定しており、スマートフォンのアプリを駆使してスパイ活動する実に若々しい内容になっていた。それはそれで作者としての特色も出ており、興味深い物であったが、どうしても往年の007シリーズを映画でも見ている当方にしてみればどこか違和感を覚えたのは正直なところだった。

しかし本書は当時の時代設定でまだ携帯電話すらない時代だ。逆にそれが007シリーズならではの雰囲気を演出しており、私個人的には映画の007シリーズの世界に一気に引き込まれるような錯覚を抱いて、物語世界に没入することができた。

しかし読書というのはどうしてこうも私を導くのか。
ボンドがレースに挑むドイツのレース場ニュルブルクリンクは実在するレース場でしかも世界でも最も難易度の高いレース場として知られており、本書に書かれている様々な悪条件は決して誇張ではない。
そしてそれを私はつい先週に観たF1レーサー、ニキ・ラウダとジェームズ・ハントの伝記映画『ラッシュ/プライドと友情』で知ったばかりだ。ニキ・ラウダが全身大火傷を負う大事故を起こしたのがこのニュルブルクリンクだったのだ。まさに本書を読むに最高のタイミングだったと云えよう。

物語冒頭のドイツから亡命した一ロケット開発技術者であるトーマス・ケラーがロシアのスパイ行為に加担して、アメリカの宇宙ロケットのエンジンに細工して空中爆発を起こさせる装置―この自爆装置の名を“トリガー・モーティス”、つまり「死の引き金」と呼び、これが本書の原題となっている―を仕込み、多額の報酬を受けるが、その報酬と全ての貯金と有価証券を持ち出して不相応に若い妻に殺害され、その妻が使っていた紙幣が偽札であったことが発覚し、その偽札事件にシン・ジェソンが絡んでいるとのことでジェパディー・レーンとボンドが結び付くのである。なかなか入り組んだプロットである。

このシン・ジェソン、なかなかの手強い相手でボンドは何度も窮地に陥る。最初は彼の偽装ロケット基地にジェパディーとの潜入作戦で敢えなく捕まり、ボンドは大きな樽のような棺に入れられ、生き埋めにされる。
ところでこのボンドの生き埋めから脱出する件は何とも手に汗握る迫真性に満ちている。なんと9ページもの紙幅を費やして生き埋めから脱出までのプロセスが実に詳細に描かれる。それは実際に生き埋めから生還した者しか解らないほど鬼気迫った内容で読みごたえを感じるシーンの1つとなっている。

そしてそのボンドの内面についても描かれるのが興味深い。
私はフレミングの作品を読んだことがなく、映画でしか見たことないのだが、そのスーパーヒーロー然としたキャラクターはタフさが強調され、繊細さが描かれるようには感じられなかった。しかし本書ではボンドがスーパースパイであると同時に1人の人間としての弱さを備えていることも描かれる。

彼が色んな女性と色恋を繰り広げられるのは1人の女性と長く暮すことに苦痛を覚えるからで、一時の情熱にほだされるが長くは続かないことが吐露される。

またそれまでの任務が数限りなく悪の手下どもを抹殺してきたことに思いを馳せる。絶大な権力を持つボスに家族や自身の命を盾にして好むと好まざるとに関わらず悪事に加担し、従わざるを得なかった、それまで普通の暮らしをしていた者もいるだろう、家族もいるだろう手下たちを殺してきた自分は果たして正しかったのかと自問する。
“殺しのライセンス”を持つボンドは決して殺人機械ではないと自らを納得させることに成功する。生き埋め地獄から生還したことで命の大切さを知り、手下を殺さずに気絶させるに留まる。ノグンリでの虐殺事件で人間の心を失ったシン・ジェソンとの違いを見出した彼は悪を斃すことへの躊躇を振り払うのだ。

しかし毎回思うのだが、ジェームズ・ボンドはスメルシュやスペクター、またCIAやKGBにつとに知られた名前、コードネームだろう。しかし彼はいつも他の職業に扮してもその名を名乗るのだが、なぜ偽名を使わないのだろうか。恰もスパイが来ましたと名乗り出ているようなものではないか。よほどその名前に誇りを持っているのか。

常々述べてきたがホロヴィッツは本当に器用な作家だと今回も痛感した。先に述べたように時代設定を敢えて007シリーズがリアルに執筆されてきた1960年代にすることでシリーズ特有の雰囲気を味わえるし、また正典のキャラクターやエピソードもふんだんに盛り込まれ、地続き感が味わえた。

No.1 7点 人並由真
(2017/10/25 10:43登録)
(ネタバレなし)
 米国を揺るがした「ゴールドフィンガー」事件ののち、007号ことジェームズ・ボンドは協力者だった女ギャング、プッシー・ガロアを伴って母国に戻り、休暇を楽しんでいた。だがそこにMから指令が下る。命令の内容は、英国レース界のチャンピオン、ランシ―・スミスの周辺に、ソ連の情報部さらにあのスメルシュの影がちらつくので護衛せよ、というものだった。早速、任務に赴くボンドだが、彼はそこで予想もしなかった巨悪の大陰謀を認めることになる。

 いや、これは非常に面白かった。
 私的に、原典であるフレミングの正編007は、一本だけあえて手つかずで取っておいてある長編作品以外、全部読んでいる。
 しかしその一方、すでに多数あるボンド・パスティーシュはピアーソンやジョン・ガードナーの初期作のほかはほとんど未読だった(変化球の007ものでは、カッスラーの『マンハッタン特急を探せ』なんか超・超・大好きだけれど)が、今回はズバリ正編『ゴールドフィンガー』の後日譚、同作のヒロイン、プッシー・ガロアのその後も描かれるという設定に惹かれて手に取った。
 ちなみに本書はフレミングの存命中にアメリカで007のTVシリーズが製作された際、原作者みずからがその映像用に提供したストーリーメモを原案としているとのこと。そんな立ち位置も、あまたある007パスティーシュのなかで本書に別格的な箔をつけている。

 なお作者ホロヴィッツはすでにホームズパスティーシュを何冊か手がけ(筆者はまだ未読だが)、そちらで良い意味のファン向けのニセモノ小説のコツを掴んでるのあろう。
 今回は、ところどころエッチな文体といい、随所に山場を設けるストーリーの組み立て方といい、フレミングらしさが横溢である(ボンドが過去の事件簿に思いを巡らすあたりはちょっとサービス過剰な気もするが)。フレミング007のパターンである<悪役の一大不幸自慢>が始まるあたりは大笑いして、心の中で拍手喝采した。
 そもそもすでに敵陣営(スメルシュほか)に顔も素性も知られたスーパースパイが前線で活躍するなら、まだ世界規模の文明が情報化社会にほど遠い過去設定の方が都合もよいわけで、そのあたりの大設定もうまく作劇に組み込んである(ハイテク的な情報分析や仲間組織へのデジタル通信の類が不可なこととか)。

 一方で良い感じで、当人自身が少年時代から007ファンだった作者のボンドのキャラクターへの踏み込みも感じ取れる。特に<職業的な殺人者ではなく、あくまで人間として闘いたい、そしてそれこそが自分の強みだ>と自認する彼の姿など、実にグッとくる。
 フレミングがTV用に遺した原案はまだあと4編あるらしく、さらにホロヴィッツは次作の執筆も始めてるらしいので、今後にも期待。

 あと翻訳の駒月雅子さん、よく仕事するなあ、今年何冊刊行してるんだ、という感じだが、全体の流麗な翻訳文とは別のところでちょっとだけ苦言。
 101ページ目に<若いレーサーのレースに参加しての生還率は8人に1人>とあるけど、これ死亡率の間違いだよね? 参加レーサーの8人のうち7人が死ぬのが当たり前じゃモータースポーツが成立しないよね? よろしくご確認をお願いします。  

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