駆け出し探偵フランシス・ベアードの冒険 |
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作家 | レジナルド・ライト・カウフマン |
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出版日 | 2016年12月 |
平均点 | 6.00点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 6点 | 人並由真 | |
(2017/01/28 09:45登録) (ネタバレなし) 時は1893年の米国。ニューヨークの探偵事務所に勤務する「私」こと、二十代前半の聡明で可愛い女流探偵フランシス・ベアード。フランシスは相応の経験を積む若手探偵だが、先日のとある失敗から解雇される危機に瀕していた。そんな中、名誉挽回のチャンスとして、事務所所長のジョン・ワトキンス・シニアは最後のチャンスを与える。それは引退した企業家ジェイムズ・J・デニーンが、彼の息子ジェイムズ・デニーン・ジュニアの婚礼の場で、家宝のダイヤモンドを披露するので、その護衛に当たれというものだった。自分に色目を使う同僚のアンブローズ・ケンプを相棒としてデニーン家に赴くフランシスだが、その夜、ダイヤモンドはややこしい経緯の中で盗難に遭い、さらに思わぬ殺人事件までが発生する。事件の関係者のひとりに一目ぼれしてしまったフランシスは、私情も込めて本件の調査を続けるが…。 1906年に原書が刊行されたクラシックだが、相応の知性と行動力を具えながら同時にいわゆる恋愛脳でもある主人公が妙に現代的な快作。事件のなりゆきや捜査の進展に自分の恋愛上の都合をからませ、<もしもあの人物が犯人ならば、なんだかんだで私の恋はうまくいくのに>という理想を推理の一つのたたき台に持ってくるあたりなど、かの『トレント最後の事件』(1913年)以前の作品としてかなり破格の一冊だったのではないか。 関係者のタイムテーブルを整理して事件の真相を探るくだりや、複数の容疑者に疑惑の目を向けて検証していく流れは正当なパズラーだが、終盤で大きな手掛かりをやや後出しにしたのだけはちょっと残念。それでもnukkamさんのおっしゃる通り、刊行された時代を考えればよく出来ている一冊だと思える。 (とまれこの最後の意外性の部分、最近翻訳された後年の海外ミステリでもほぼまったく同様なアイデアなのを読んだね。たぶん偶然の一致だろうけど。) なお翻訳の平山雄一は、作品のモダンな感覚を鑑みて恣意的にラノベ風の軽快な読みやすい文体で翻訳したというが、これは本書の場合良い演出だったと思う。物語そのものの動きの多さと相乗して、全体的に活力にある一冊に仕上がっており、その分リーダビリティも高い。続編は作品の傾向が変わるみたいだけど、キャラクターに魅力はあるから、そっちもできれば読んでみたい気がする。 ちなみに本書は、作者のカウフマンが実在の女性探偵の談話を聞き、その主人公にドキュメントフィクション上の仮名(それがフランシス・ベアード)を与えて小説化した一冊、という体裁をとっている。平山氏は、作者が探偵の事件簿を聞き書きするというこのスタイルを横溝正史やルブランになぞらえており、それでももちろんいいんだけど、むしろ今回はヴァン・ダインの先駆だよね。向こうもファイロ・ヴァンスはあくまで小説内の仮名で、実在人物の本名は別にある、という設定だったし。 |
No.1 | 6点 | nukkam | |
(2017/01/13 09:16登録) (ネタバレなしです) 米国のレジナルド・ライト・カウフマン(1877-1959)は小説家、映画作家として活躍していますがミステリー作品はわずかに2作のみです。1906年発表の本書は女性探偵フランシス・ベアードの1人称形式の本格派推理小説です。冒頭では数々の事件を解決していて名探偵らしいことが紹介されています。しかし本書で描かれているのは探偵社で働くようになって2年ほど経過した時期のフランシスで、失敗続きで解雇される危機を迎えており最初から名探偵というわけではなかったようです。宝石の警備の任務を与えられますが何者かに盗まれてしまう上に殺人事件にも巻き込まれます。フランシスは感情の起伏が大きくてプロの探偵らしさがありませんし、推理も直感的に過ぎますがかなりの回り道をしながらもこの時代の本格派としてはまずまずの出来映えではないでしょうか。なおカウフマンは1910年にフランシスを主役にした2作目を発表していますがそちらはスパイ・スリラー系のミステリーのようです。 |